差別発言がきっかけで辞任へ追い込まれた静岡県の川勝平太知事(75)。大学教授時代の評判はどうだったのか。川勝氏が1998年まで教授を務めていた早稲田大学政経学部の「教え子」たちに聞いてみたが、やっぱり…。

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ほとんどの教え子が「覚えていない」と口を揃えるワケ

「こんなバッシングを受けながら、去り際に細川ガラシャの辞世の句を読むなんてとことん空気が読めない人ですね」

 こう呆れるのは40代の早稲田OBである。

 川勝氏は1990年、41歳の若さで母校である早稲田大学政経学部の教授に就任。世界史を「アジアの海」の視点から捉え直した独自の歴史観「文明の海洋史観」を提唱し、新進気鋭の経済学者として注目を集めた。

 98年、国際日本文化研究センター教授に転身。2007年、静岡文化芸術大学に学長として招聘されたことがきっかけで、09年に静岡県知事選に出馬した。

 前出の早稲田OBは川勝氏の授業を取っていたと話す。だが、どんな授業風景だったのかと尋ねても、

「うーん、思い出せない。何かの必修科目で無事単位はもらえた記憶だけはあるのですが、何の授業だったかも思い出せない。苦労した記憶だけはあるのだけれども…」

 川勝氏の在職期間に在学していた早稲田政経OBに話を聞くと、ほとんどが同じような反応を示す。「顔だけはうっすら覚えている」「落とされた恨みだけは何となく覚えている」。

 理由は授業に出ていなかったからだ。それが当たり前の時代だった。

「最後の楽園」と呼ばれていた政経学部

「今の学生さんたちからみると信じられないような時代で、大学は遊園地みたいなところだった。高田馬場駅から歩いて大学にたどり着くまでに、雀荘に吸い込まれてそのまま徹夜みたいな。私の時代は2年に一度、学生自治会が仕切って試験を『ストライキ』する慣習もまだ残っていた。ストが可決されると試験がなくなり、レポートだけで切り抜けられるので、みんな大喜びで革マル派学生のアジに賛意を示したものです」(93年卒業生)

「特に政経学部は『最後の楽園』と呼ばれていて、出欠を取らない先生がほとんど。試験も持ち込みアリで、いい先生だとどんな問題が出るか事前に教えてくれた。テストに感想文みたいなことを書くだけでも『良』をくれる教授がいて、『あの先生は全良制だから取った方がいい』みたいな言い方をしていた」(00年卒業生)

 学生たちはどうしたら楽に単位を取得できるか口コミ情報を欲していて、4月になると教授の評判がまとめられた学内情報誌が飛ぶように売れた。有名なのが出版サークル「早稲田大学マイルストーン編集会」が発行する「Milestone Express」である。「早大生のバイブル」と呼ばれ、今も大学内や早稲田駅前の書店で販売されている。

「出欠を取る取らないなどの基本情報や試験の難易度や評判が点数化されていて、重宝したものです」(前出のOB)

「デイリー新潮」は96年発行の同誌を入手。そこに「日本経済史」の教授として川勝氏の評価は掲載されていた。

女子大生には人気だった

 出席確認はなしで前後期ともにテストあり。持ち込みは×。講義内容の評価は5段階中2。総合評価は5段階中3。数字だけみると微妙なところだが、寸評は辛辣だ。

〈内容の好みは個人差激しい。高価な本を買わせるし、レポートもきつい。取るなら川口浩の方を勧める〉(註・川口浩氏は同学部で同じ「日本経済史」を担当していた教授)

「この雑誌を見ていたら苦労しなかった」

 こう苦い記憶を語るのは93年に2留の末、卒業した男性だ。彼の記憶によれば、当時、別のミニコミ誌に川勝氏の評価は「楽勝」と記されていたという。

 授業には5回くらい出席した記憶がある。

「出席を取らない先生だったので、200人くらい入る教室に学生は30人くらいでした。印象的だったのは前方に“親衛隊”みたいな女子学生が数人陣取っていたこと。イケメン教授として彼は女子に人気があったのです。他の教授に比べたら川勝さんは断然若かったし、恰幅がよくてスーツもお似合い。ハスキーボイスが渋くてかっこよかった」

 だが、試験では苦労した。

「3年生になっても必修科目が取れなくて追い詰められていました。授業に5回も出たのもテスト前に丸暗記する『モカイ』(模範回答)を入手するためです。前期は何とか乗り切ったが、後期は手に入らず苦労した。最後は地下鉄のホームで、教室で見かけたことのある女の子に『ねえ、川勝の授業出ていたよね』とナンパみたいに声をかけ、拝み倒してコピーさせてもらったんです」

成績表に書かれていたまさかの「不可」

 それを前期同様、丸暗記して試験に臨んだ。想定通りの問題が出てバッチリ乗り切ったと思い込んだまま後日、成績表をもらって愕然とした。まさかの「不可」だった。

「今でも納得できないですよ。模範解答通りにちゃんと書いたんですから。あの理不尽さは、非科学的ないちゃもんばかり持ち出してリニアに反対し続けた彼の姿勢そのものです。女子大生にばかり甘い顔していたところも、ポピュリストの原点を感じます」(同)

 いささか私怨も入っている気もするが、川勝氏が30年前から嫌われていたことだけは間違いなさそうだ。

デイリー新潮編集部