※写真はイメージです(写真/Getty Images)

 日本の歴史に残る最古の糖尿病患者と言われている藤原道長。病気の進行具合は文献に克明に記されており、有名な「望月の歌」を詠んだときには合併症により目が見えなかった可能性がある、と医師は指摘する。糖尿病により伯父や兄、おいが相次いで亡くなった遺伝的素因や、当時の生活習慣に迫る。

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 2024年1月から放送開始したNHK大河ドラマ「光る君へ」。日本を代表する古典文学『源氏物語』の作者である紫式部と、当時の最高権力者・藤原道長を中心に、平安中期の貴族社会を鮮やかに描いている。

 3人の娘を次々と天皇の后(きさき)にし、外戚となって権勢を振るったことでよく知られる道長。有名な「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌は、この世のすべてを意のままにできる権力を掌握したことを表している。

若林医院(兵庫県姫路市)院長であり作家の若林利光医師

「日本における糖尿病の最初の記述は、平安時代の貴族、藤原実資の日記『小右記』と言われています。当時の道長の様子を『日夜を問わず水を飲み、口は乾いて力無し、ただし食が減ぜず』と記しており、これは口渇、多飲、ただしがんのように衰弱していないという典型的な糖尿病の症状です」と若林医師は言う。

 糖尿病には1型と2型があり、日本人糖尿病患者の95%は2型患者に分類される。2型糖尿病は、遺伝的な要因に運動不足や食べ過ぎなどの生活習慣が加わって発症すると考えられており、症状の進行に伴いさまざまな合併症を引き起こす。そのひとつが失明の2大原因の一つといわれる糖尿病網膜症だ。

「高血糖の状態が長く持続すると血流が悪くなり、網膜の細胞に酸素や栄養が行き渡らなくなります。望月の歌を詠んだ4カ月後に書かれた道長の日記『御堂(みどう)関白記』には、『目なお見えず。二、三尺相去る人の顔も見えず』と、90cmほど離れた人の顔がわからないほどに視力が低下していたことが記されています。道長に欠けることのない満月が見えたのかどうか、非常に疑問ですね」

 望月の歌が詠まれたとされるのは1018(寛仁2)年10月16日、道長53歳。その約半年前の4月15日、道長の日記『御堂関白記』には「夜通し胸が痛み、精神が不安定になった」という旨の記述がある。その1カ月後には、「胸の痛みが絶えず発生し、極めて我慢できないほどであった」という。若林医師によると狭心症などの虚血性心疾患の疑いがあり、道長の体が病にむしばまれていたことがわかる。

「望月の歌」を詠んだときの道長は、非常に痛ましい状況だったと推察されるのだ。

■道長の家系には糖尿病患者がずらり

 2型糖尿病の主な原因は「遺伝」と「生活習慣」。遺伝といえば、道長は糖尿病患者が非常に多い家系に生まれた。伯父の藤原伊尹(これただ/これまさ)が49歳、長兄の道隆が43歳の若さで亡くなっている。また、若林医師によれば道隆の息子の隆家(たかいえ)も糖尿病網膜症の疑いがあるという。当時はまだ糖尿病という言葉はなく、道長の没後約70年の1094年に「飲水症」という言葉が初めて使われた。

人物は一部抜粋。色付きの人物は糖尿病であったと見られている

 だが、道長は明らかに糖尿病の症状が出ているにもかかわらず62歳まで生きた。若林医師によると、当時の上流貴族の平均寿命は60歳。病名もない、医療も発達していない時代において、十分長生きしたといってよいだろう。これはなぜなのだろうか。

「兄の道隆は、大酒飲みで有名でした。道長が数々の合併症に苦しみながらも平均寿命を超 えることができたのは、ひょっとしたら兄を反面教師にして酒を控えており、それが糖尿病の進行を抑制したのかもしれません」と若林医師は言う。

 遺伝的素因があっても全ての人が糖尿病を発症するわけではなく、食生活や運動習慣が大きく影響すると考えられている。道長はふくよかに描かれることが多いが、本当に贅沢三昧だったのなら62歳まで生きられたかどうかは疑問だと若林医師は指摘。今も昔も、2型糖尿病は食べ過ぎ、飲み過ぎ、運動不足などの生活習慣をコントロールすることで発症や進行を抑制できる病気なのだという。

■疫病にかからなかったことで権力を掌握した道長

「道隆に次ぎ、三男・道兼も当時大流行した疫病により死去。上級貴族たちも続々と病に倒れ、生き残った道長が五男にもかかわらず急浮上して権力を独占しました。戦いに勝つことで地位を得られる武士の時代とは異なり、疫病をくぐり抜けて生き延びることこそが、平安貴族の戦い方だったのです」(若林医師)

 五男に生まれ出世が難しいと言われながらも政界の頂点に立った道長は、運をつかむ力や、類いまれな生命力も備えていたのだろう。医療が未発達な時代において、病と闘いながら懸命に生きた偉人たち。早死にをもたらす原因や対策を知り、自身の健康管理に役立てることの大切さを現代の私たちに教えているのかもしれない。

(文/酒井理恵)