古賀茂明氏

 4月1日、靖国神社の14代目の宮司に海上自衛隊の元海将、大塚海夫氏(63)が就任した。エイプリル・フールではない。靖国神社の宮司に元自衛官が就任するのは2人目だが、元将官が就くのは初めてのことだ。

 大塚氏は、海上自衛隊の幹部学校長や防衛省の情報本部長などを経て退官したあと、昨年11月まで自衛隊の活動拠点があるアフリカ東部ジブチの大使を務めていた。表面的にはこれまで靖国神社との特別な関係はないように見える。

 昨年11月から今年3月までわずか3〜4カ月の間に大塚氏が靖国神社との関係を急速に深めたとは考えにくいので、大塚氏は現役時代から人には知られないような形で靖国神社とかなり深い関係にあったのか、あるいは、自衛隊が靖国神社と組織的な関係にあって、その間で今回の人事の話がされたのかどちらかだということになる。いずれにしても、自衛隊の幹部クラスが靖国神社と日頃から深い関係にあることが露呈したことが今回のニュースの一つのポイントだ。

 自衛隊と靖国といえば、年初に陸上自衛隊の小林弘樹・陸上幕僚副長(=当時、陸将)が陸自幹部らと集団で参拝して問題となった。参拝の流れや注意事項を記載した実施計画が作成され、陸上幕僚監部内で共有されていたが、参拝者は休暇をとっていた。

 防衛省は、同省と靖国神社の移動に公用車を使ったのは不適切だったとして、小林氏ら3人を訓戒としたが、「部隊としての参拝」や「隊員への参加の強制」を禁じる1974年の防衛事務次官通達には抵触しないとして不問に付した。

 また、昨年5月に海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業生165人の多くが参加して、練習艦隊の当時の今野泰樹(やすしげ)司令官らとともに靖国神社に参拝していたことも今年2月になって判明した。靖国神社の社報には、制服姿で本殿に上がって頭を下げる様子が写真つきで紹介され、練習航海前の参拝は毎年の恒例行事ととれる記述もあったという(朝日新聞社説)。

靖国神社の14代目の宮司に就任した大塚海夫氏

 この件についても、防衛省は、個人の自由意思による私的参拝であり、上記の防衛事務次官通達には反しないとして問題にしなかった。

 確かに、事務次官通達で禁じる「部隊としての参拝」ではないかもしれない。しかし、制服姿で多数の自衛官が集団で参拝すれば、実質的には組織的な参拝というべきで、事務次官通達の精神に反した行為である。

 朝日新聞の社説は、海自のケースについて、参加の強制はしていないと言っても、「幹部の育成過程の一環に組み込まれた行事のようにもみえ、若い自衛官が本当に個人の自由意思で、参加の有無を判断できるものだろうか」と疑問を呈した。当然だろう。

 不思議なことに、自衛隊員の靖国参拝に比べて、靖国神社の宮司に自衛隊元将官が就任という発表をしても、マスコミはあまり大きく取り上げなかったが、自衛隊員の半ば組織的な参拝が常態化していることと併せて考えると、実は、深刻な事態が見えてくる。

 第2次大戦当時、靖国神社は、陸海軍の管轄下にあった。宮司を務めたのも鈴木孝雄元陸軍大将だ。戦前の軍国主義と一体化し、太平洋戦争では、軍部が若く純真な兵士たちを洗脳して犬死にに陥れるための最重要ツールだったと言って良い。

 英霊を祀るというと聞こえは良いが、真実を言えば、日本国民を戦争の惨禍に陥れる加害者であったというべきだ。A級戦犯の合祀が問題になっているが、靖国神社自身がA級戦犯だったということを忘れてはならない。

 そうした負の歴史があるので、自衛隊も、靖国神社と自衛隊の間に「組織的な関係」を持つことを禁じるために、単なる参拝であっても、一定の制限を設けたのだろう。

 信教の自由は尊重しなければならないが、過去の反省の上に立って、一定の節度を保つべきだという考え方は控えめながらも、適切な姿勢だったと評価できる。

 私が大学生の頃であれば、制服姿の自衛官が白昼堂々と集団で参拝などしようものなら、世論が沸騰し、「戦争の教訓を忘れたのか!」と大騒ぎになっていただろう。自衛隊員の集団参拝を堂々と行える国が、同じ日本であるというのが信じられない。

 そして今回、神社関係者でもない元将官が大使を退職直後に靖国神社の宮司に就任するという。まるで靖国神社が自衛隊幹部の天下り先になったのではないかと思わせる。さらに言えば、戦前同様、軍事組織である自衛隊が靖国を管理する体制につながっていくのではないかという危惧さえ感じる。

 こうしたことが相次いでいる背景には、自衛隊の中で、「戦後80年近く経ち、その傷跡も癒えてきたから、もはやこれまでのタブーを破ってもいいのではないか」という空気が醸成されていることがあるのではないだろうか。

 憲法9条に自衛隊を明記せよという政治の議論と共振しているようにも見える。

 今まで、常に一歩下がって、自己抑制的に行動していた自衛隊が、もっと正々堂々と前に出て、好きなように振る舞って当然ではないかという雰囲気が出てきたということだ。

 これは、シビリアン・コントロールが利かなくなりつつあることの表れかもしれない。

 さらに言えば、シビリアン・コントロールどころか、コントロールするはずの政府の側が、政教分離の大原則を形骸化させ、靖国と国と自衛隊の一体化を事実上認めつつあるという段階にまで進んでいるという疑念も生まれてくる。

「台湾有事は日本有事」などという全くの出鱈目が与党幹部の口から飛び出してもお咎めなし。今にも自衛隊が台湾に派兵する事態が迫っているかのような話が喧伝されているが、心配なのは、「万一に備えるのは大事」という短絡的な思考が日本を覆い始めていることだ。台湾有事に日本が参戦するといういくつかのシミュレーションも行われるほどにまでなっている。

 だが、仮に本格的な戦争になる可能性を考えると、自衛隊の人員不足と高齢化が戦争遂行能力に暗い影を投げかける。どうしても若い兵士の大規模な補充が必要だ。

 しかし、人手不足が深刻化し、若年人材は売り手市場でリクルートは容易ではない。そこで考えられるのが、「お国のために命をささげることの崇高さ」を訴える洗脳作戦だ。今時そんなバカなと思うかもしれないが、それくらいしか対策はないのではないか。

 神風特攻隊の若者も、国のために命をささげ、靖国で仲間に再会するという軍部が作ったストーリーを信じて散って行った。これを美談として伝える映画などは後を絶たないが、そうした犠牲を生んだ加害者である靖国神社の重大な罪について、どれだけの若者が思いを馳せることができるのか。教科書改訂などにも表れる平和教育の形骸化もまた心配を増幅させる。

 ちなみに、中国の「中国国際報送局(CRI)」は、中国外交部(外務省)の林剣報道官が3月19日の定例記者会見で、今回の自衛隊の元将官の宮司就任のニュースについて、「侵略の歴史を確実に正視し、反省し、実際の行動で軍国主義を徹底的に切り離し、アジアの隣国と国際社会からの信用をさらに失墜させないよう促す」と表明したことを伝えた。

 私が心配するシビリアン・コントロールの形骸化という視点はなかったが、侵略を受けた側が、より敏感に反応するのは当然のことだ。

 もう一つ、中国の側にも心配な事態が生じているという話を、日中関係を専門とする著名な日本の大学教授から聞いた。それは、ある中国人の政治学者の話だ。当然のことながらオフレコの話だ。

 その教授によれば、中国政府は習近平国家主席を含めて共産党による軍の支配、すなわちシビリアン・コントロールの重要性は十分に認識している。

 しかし、最近、軍部にはそれと異なる姿勢をあえてにおわせるような動きが出ているという。具体的なことまでは言わなかったが、これまでにないことが起きているという話だったそうだ。

 日中双方でシビリアン・コントロールに不安が生じているとすれば、両政府の意思と無関係な紛争が生じる可能性が出てくる。

 日本の自衛隊が現在のような行動をエスカレートさせれば、中国の軍部も警戒を強め、中国共産党中枢を突き上げたり、あるいは、共産党の意向を無視する行動に出たりするリスクは確実に高まる。

 今回の一連の自衛隊と靖国神社の行動がすぐにそういう事態につながると言いたいのではないが、方向としては、確実にそちらに向かっていると見るべきではないのか。

 物事が急に動けば、誰もが気づくが、少しずつ進むと気づかないうちに、それが当たり前のことになる可能性がある。

 武器輸出を禁じていた日本が、ついに戦闘機を共同開発した国以外の諸国に輸出することが許される日が来ると誰が予想できただろうか。

 しかも、立憲民主党でさえ、これを正面から否定できない。反対しているように見えて、その勇気がなく、岡田克也幹事長も国会で議論すべきだという形でイチャモンをつけているだけである。世論だけでなく、リベラル政党の中にも、「万一に備えることは必要」「戦争を抑止するためには軍拡はやむを得ない」という空論に洗脳される議員が増えているのだ。日本維新の会や国民民主党は、自民党よりはるかに好戦的な議論を展開している。

 自衛隊と靖国神社の動きは、実は、こうした政治の変節を表す鏡に過ぎないのかもしれない。

 このことに気づいている日本国民はどれだけいるのか。そして、どうしてマスコミは警鐘を鳴らさないのか。

 後悔先に立たずと言うが、そうならないように、気づいた国民が、しっかりと声を上げていかなければならない。