1990年代後半、バラエティー番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)の「電波少年的懸賞生活」に出演し、一躍有名に(撮影/平尾類)

 英国で制作されたドキュメンタリー映画「ザ・コンテスタント」が話題になっている。題材となったのは、1990年代後半にバラエティー番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)の「電波少年的懸賞生活」だった。タレントのなすびさん(48)が、「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに目標金額を目指し、アパートの一室ではがきを書き続ける孤独な生活は日本、韓国編で計1年3カ月に及んだ。現在のテレビ番組では、人権侵害の観点から放送できないだろう。映画は昨年9月、第48回トロント国際映画祭(カナダ)でワールドプレミア上映され、3日間とも満員に。11月に米国・ニューヨークのドキュメンタリー映画祭「DOC NYC」で上映された際も大きな反響を呼び、定額制動画配信サービス「Hulu」で全米配信が決まった。なすびさんはこの現象をどう感じているだろうか。直撃インタビューに応じてくれた。

■スタンディングオベーション

――「ザ・コンテスタント」が上映された後の反響はいかがでしょうか。

 ニューヨークの映画祭は現地に行きまして。正直、不安だったんです。エキセントリックな題材で、「こんな過酷なことが許されるのか」とネガティブに捉えられがちなので、どこまで受け入れてもらえるかなと。でも上映が終わった後にスクリーンの前に立ったら、ほとんどのお客さんがスタンディングオベーションしてくれたんです。300人ぐらいですかね。拍手が鳴りやまず感極まってしまいました。

「懸賞生活」をしている時は精神的に追い込まれたという(撮影/平尾類)

――その後のアフタートークでは、お客さんとどのようなやり取りをしたのでしょうか。

「あなたはなぜあの生活に耐えられたんですか?」という質問が多かったですね。僕も舞い上がっていたので何を答えたのか鮮明に覚えていないけど……少し意外だったのが、「あなたのことを誇りに思う」「尊敬します」という前向きなメッセージが多かったことです。実は懸賞生活が終わった後に、海外のメディアからも定期的に取材インタビュー依頼がありました。「あんなネガティブな企画をなぜ受けたのか」「あの企画は犯罪です。なぜテレビ局を訴えないのか」など日本のメディアリテラシーの低さに怒りを向けた質問が多かった。映画を見た方たちも同じような反応が多いかなと思ったら、そうではなかったのが驚きでした。X(旧ツイッター)のフォロワーも海外の方が1万人近く一気に増えて。「話題になっているので映画を見たい」「あなたのドキュメンタリーの映画の続編を作りたい」などのメッセージが届きました。

■東北と福島復興のために

――改めて、映画で伝えたいメッセージを教えてください。

 懸賞生活の題材がメインではありますが、東日本大震災を経て、東北と福島復興のためにエベレストを登頂するところまで追いかけてもらっています。僕は抑圧された環境で精神的に追い込まれましたが、「かわいそうな人間」では終わっていません。よく誤解されるのですが、懸賞生活をネタに芸能界を震撼させたいという意図は全くないし、告発映画でもありません。日本テレビを訴えるという考えもさらさらないです。

東日本大震災で大きな被害を受けた福島は故郷だ(提供写真)

――映画化を承諾するのは大きな決断だったと思います。

 そうですね……。「懸賞生活」をしている時は自殺を考えるほど精神的に追い込まれたし、企画が終わった後も対人恐怖症になったり、精神的なストレスを抱えていたりした時期もありました。10年後に「懸賞生活をもう一回やろう」とオファーが来ましたが、「ニ度とやりません。1億円積まれても、10億円積まれてもやりません」と断りました。それぐらいつらかった。映画化の話は10年前にイギリス人のクレアさんという女性監督から来たんですが、その後に音沙汰がない時期があって。2018年ごろですかね。4度目の挑戦でエベレストに登頂した後で、東日本大震災で大きな被害を受けた故郷・福島の復興作業をポジティブに取り上げてもらいたいという思いもありました。懸賞生活だけでなく、その後の活動も取り上げていただけるということだったので、「できることは協力します」と伝えました。

■恐怖の対象でした

――なすびさんやご家族、友人だけでなく、電波少年で当時のプロデューサーだった土屋敏男さんが映画に出演されたことは驚きでした。

 僕は懸賞生活のトラウマがあったので、土屋さんは恐怖の対象でした。日テレでたまにお会いする時があったけど、緊張して言葉が出ない。10年後に再び懸賞生活でオファーが来た時に、「土屋さんにあの時のつらかった思いを理解してもらうのは無理なんだな」と感じました。関係を修復できないと思ったのですが、一つの転機があって。2013年ごろにお会いした時、土屋さんが「あの懸賞生活をやっていた時は若手芸人にむちゃなことをさせていた。本当に申し訳ない。迷惑を掛けた当時の芸人たちに贖罪の意識を持って対応しないといけないと思っている」と謝ってきたんです。

青森から福島につながる、みちのく潮風トレイルを踏破したことも。道々でいろんな方々に「応援してるよ」と励まされてたという(提供写真)

――想定外の出来事でしたか。

 そうですね、雲の上だった人が頭を下げることは考えられなかった。この謝罪を受け入れないのは違うかなと。その時、僕は福島に元気を与えたいと、2度目のエベレスト挑戦を模索している時期でした。エベレストに挑戦するにはネパール政府に支払う入山料、渡航費、滞在費、登山ガイド費用などで計1000万円近くかかる。当時はまだはやっていなかったクラウドファンディングで資金が集まらなかったので相談したら、「オレにできることなら何でもする」とニコニコ動画の生放送で、エベレスト登頂資金を呼び掛ける番組を作っていただきました。最終的に600万円が集まって。今回の映画出演はリスキーなお願いだと思ったのですが、「悪魔扱いされようと、なすびがインタビューを受けてほしいというなら逃げずに受けるよ」と承諾していただいた。当時の電波少年の別のプロデューサーも「今まで懸賞生活に関わる取材は一切受けなかったけど、土屋さんにお願いされたから受けるよ」と出演してくれて。思いの行き違いがあった時期がありましたが、新たな関係性があったから映画が完成したことは間違いないです。

震災が発生した時、自分ができることを死に物狂いでやろうと思ったという(提供写真)

■「今じゃないよ」

――今は「懸賞生活」をどう捉えているでしょうか。

 電波少年はいろいろな企画がありましたが、1年3カ月、1人で部屋にこもった企画を乗り越えたのは僕しかいない。普通の人はできません。後輩の芸人には悪い前例を作ったと思います。その後の企画で「なすびができるのに、なんでできないんだよ」と言われていたみたいなので。25年の月日が経ちましたが、今になって思うのはこの映画が上映されるために、懸賞生活をやったのかなと。映画制作がトントン拍子で進んだら、エベレストの登頂前に完成していたかもしれないけど、僕の人生を描くうえで神様が「今じゃないよ」と感じたのかもしれない。つらい出来事だったので美化するつもりはありませんが、良しあしではなく、こういう人生のレールが敷かれていたのかもしれないと感じています。

なすび/俳優、タレント。1975年、福島市出身。98〜99年に出演したテレビ番組「進ぬ!電波少年」での懸賞生活で話題を呼んだ。俳優としても活躍。福島県の「あったかふくしま観光交流大使」や環境省の「福島環境・未来アンバサダー」を務める。

(平尾類)