古賀茂明氏

 最近、とても心配になることがあった。

 例えば、イギリス・イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国への輸出解禁。

 今回の決定は「限定的」解禁だと解説はされるが、その「限定」は内閣がいつでも自由に取り払うことができる。日本が戦後継続してきた、武器輸出制限の政策を実質的にほぼなくすのに等しい政策変更だと言っても良い。この先どこまで行ってしまうのか、と心底不安になるできごとだ。

 しかし、今回はこの件ではなく、実はもっと深刻な懸念について取り上げたい。それは、日本の平和主義の「常識」を根底から覆すような政策変更が、国民の間で大きな議論を巻き起こすことなく比較的静かに実現してしまう状況が、日本において出現しているという話だ。

 さらに、その状況をよく観察すると、ある事実に気づく。それは、国民が、「ある言葉」を提示されると、ほぼ無条件で思考が止まり、反対論を捨てて、従順な理解者に転じるという事実だ。

 その「ある言葉」とは何かというと、「中国が危ない!」である。

 このような現象が起きるためには、前提条件が必要だ。具体的には、国民の大多数が、中国に対して嫌悪・憎悪感を持つとともに、恐怖感も同時に有するという状態である。しかも、その恐怖感は巨大なものでなければならない。何か得体の知れない、言い知れぬ恐怖感という状況になっていれば効果的だが、今やそうした条件が整ってしまったように見える。

 中国に対する好感度は様々な調査において非常に低い水準に下がっている。印象が良くないという嫌中感情が9割に達したという調査もあるほどだ。

中国の習近平国家主席(写真:新華社/アフロ)

 また、「台湾有事」が盛んに喧伝された昨年以降、日本が台湾有事に巻き込まれるリスクを感じる人の割合も急速に高まっている。麻生太郎自民党副総裁が台湾有事は「日本の存立危機事態だ」などというとんでもない発言をしているが、それを聞いた人は、いかにも、中国が日本を攻撃する可能性が高いのだと勘違いする可能性がある。

 さらに、中国の国防費が米国に次ぐ規模であることなども頻繁に報じられているため、強大な軍事力への「恐怖感」はいやでも高まる。

 中国に対する国民の嫌悪・憎悪感と恐怖感が十分に高まるという条件が整った今、「中国が危ない」という短い言葉を提示すると、国民は自己防衛本能を働かせ、具体的な政策の内容如何に関わらず、何よりも中国に対抗するための政策を他に優先すべきだと判断するようになる。

 こうした国民の思考回路、いや思考停止というべきかもしれないが、それが定着したために、本来であれば、大きな議論が起きるはずの政策大転換の際にも、小さなデモは起きるが、国全体で議論するには至らないという現象が起きているのだ。

 これは、ある意味で、国民が洗脳されてしまった状態だと言っても良いのだが、この段階に至ると、さらにのっぴきならない事態が生じることに気づく。

 それは、国民が洗脳状態にあるため、マスコミが、「中国が危ない」と叫ぶ政府などの議論に反対する論陣を張ると、国民から思わぬ批判を受けるリスクがあるということだ。洗脳されているので、それを解いて異なる論理で説得するのはかなりの手間がかかり、かつ成功率は高くない。

 テレビ局では、そんな手間をかけるよりも、国民が喜ぶストーリーで企画を作って流した方が視聴率も上がるという思惑も働く。ある局の番組制作関係者は、「今は、嫌中の企画を流すのは非常に簡単だが、その逆の企画を作るのは非常にやりにくい。局内で邪魔されるし、視聴率が取れないリスクをわざわざ冒す気になれない」と私に語った。さもありなんである。

 さらに嫌中洗脳は、野党にも影響を及ぼしている。防衛費の拡大や戦闘機の輸出などの国会での議論を見ていると、立憲民主党の対応が中途半端なことに気づく。一見、自民党の政策に強く反対しているように見えるのだが、よく聞くと、防衛費の拡大そのものには賛成であることがわかる。戦闘機輸出も、内閣が勝手にできるのはおかしいから国会で議論すべきだというような手続き論でケチをつけているに過ぎない。本音では反対したくないのだということが透けて見えるのだ。

 これは、そもそも、立憲の幹部の多くが、「中国が危ない」という論理で洗脳されているという事情に加え、与党の政策に反対すると、洗脳された国民から、「中国が危ないのにどうして反対するのか」という批判を受けることを恐れて、明確な反対論を抑制してしまうという事情がある。

 ある立憲の議員は、「古賀さん、あまり正直に発言すると、炎上してしまうんですよ」と悩ましげに語った。

 こうして、政府自民党が作った「中国が危ない」という言葉に洗脳された国民世論とこれに迎合する大手メディアの共振、さらには自信を失った忖度野党の日和見により、「嫌中」が日本中の「常識」に転化しつつある。

 岸田文雄首相および自民党は、現在、裏金疑惑によって国民の信頼を完全に失い、支持率も最低水準に落ち込んでいる。政権維持だけでも四苦八苦の状況だ。

 そんなときに、膨大な政治的エネルギーを要する防衛政策の大転換など、本来は遂行する余裕などない。

 しかし、岸田首相は、日本の安全保障政策を根本から変えるような政策をものの見事に推進している。防衛費を倍増してGDP比2%を目指す計画に沿った予算を通し、敵基地攻撃能力の保有を前提にしたミサイルの開発配備計画も進める。中国との戦争のために南西諸島にミサイル基地やレーダー基地を設置し、さらには戦争になったら故郷を捨てよという沖縄県民避難計画作りに入り、さらにはシェルターも設置する。完全なる戦時体制の構築に走っているのだ。

 4月10日からの訪米では、米軍のインド太平洋軍司令部と新設される防衛省の統合作戦司令部の事実上の一体化について合意して、いつでも日米合同で戦争を遂行できる体制を目指すとみられる。

 冒頭に述べた殺傷能力を有する兵器の象徴である戦闘機の第三国輸出も公明党の抵抗を退けて軽々と決めてみせた。

 安全保障の名の下に、国家が一部の国民の生活を監視する「セキュリティ・クリアランス」法案も国会で審議中だ。

 もはや、日本は、平和国家でも何でもない。西側軍事同盟の一角を担うただの軍事大国に成り下がってしまったのである。

 嫌中国民洗脳にはもう一つ落とし穴がある。

 それは、嫌中洗脳状態を自己の利権維持のために悪用しようとする連中がいることだ。例えば、原子力ムラがその典型である。原子力発電と嫌中は直接関係するわけではない。

 しかし、嫌中をうまく利用して再生可能エネルギーを叩き、そこから原発推進世論につなげるという企みをもった良からぬ輩が出てきた。

 そのロジックは、簡単にいうと、こうだ。

 中国は日本の脆弱なエネルギー供給構造につけ込み、日本のエネルギー市場に影響力を及ぼして間接的に日本を支配下に置こうとしている。そのため、日本の政策立案の段階で、審議会委員や一部の再エネ推進派の政治家を裏で操り再エネ推進の政策を進めている。その行き着く先は、中国製の風力発電機や太陽光パネルが日本市場を席巻し、気づいてみたら中国製品なしに日本のエネルギー市場は立ち行かないという状況を作ることだ。今はその過程にあるので、間違っても、再エネに力を入れるなどということはせず、原発を推進して、中国のエネルギー支配から逃れなければならない。

 この理屈には相当無理があるが様々なフェイクニュースを織り交ぜてこうした論理が展開される。すでに日本の風力発電市場では設備のほとんどが中国製だなどという嘘(実際は例えば、再エネ海域利用法で公募された洋上風力発電の落札企業が使う予定の風力発電機には、中国製は1基もなく、GEやベスタスなど欧米勢が席巻している)がまことしやかに伝えられ、知らない人は、「風力を増やすと中国支配になるからやめた方がいい。それよりも原発を伸ばすべきだ」などと勘違いしてしまう。

 最近たまたま起きた中国企業のロゴ入り資料が内閣府の有識者会議で民間委員から提出された資料に使われていたという件では、中国政府の陰謀だと騒がれたが、実は、単なる事務的ミスに過ぎないことが証明され、大手メディアはもはや取り上げなくなった。

 しかし、上に紹介したよからぬ連中は、まだ諦めず、原子力ムラに恩を売りたい愚かな国会議員を動員して依然として嫌中を悪用した反再エネ・原発推進キャンペーンを続けている。

 嫌中洗脳はこのような予想外の害悪をもたらしていることにも引き続き注意が必要だ。

 さて、嫌中洗脳状態が継続すれば、今後どうなるのか。

 今日進められている、戦争のための防衛費拡大は、2%どころか3%、4%、5%とエスカレートしていくだろう。何しろ、敵は中国なのだからいくらあっても足りないということになる。

 アメリカからの武器の爆買いも一段とギアアップするはずだ。

 武器輸出の歯止めも完全に取り払われて、日本中に国有武器工場城下町ができて、武器輸出で潤う地方が増えるだろう。

 そして、気づかぬうちに、セキュリティ・クリアランス法は改正強化され、戦争のために国家が国民一人一人を監視する仕組みに転化していく。

 その先には、戦争を本当に可能にするために最も重要な「徴兵制」が待っている。絶対にあり得ないはずの核武装論も、タブーではなくなる。

 そして、そうした戦争体制構築の過程では、2015年の集団的自衛権の行使容認反対デモの時とは全く異なり、大きな反対もなく、「中国が危ないなら、仕方ないね」「戦争は嫌だけど、あの危ない中国には備えないとね」という会話が聞こえるだけということになるのかもしれない。

 そして、実際に戦争になるかどうかに関わりなく、対中戦争の準備のためにあらゆるリソースを投入することにより、日本経済は衰退し、国民は日に日に窮乏度を高めていくということが起きるのは確実だ。

 嫌中洗脳状態を解き、冷静な政策の議論ができる状況を取り戻すことが、喫緊の課題である。