天皇、皇后両陛下は12日、能登半島地震で被災した石川県を訪れ、被災者を見舞った。被災地訪問は3月末以来、2度目となる。象徴天皇制に詳しい名古屋大学准教授の河西秀哉氏は、被災地に足を運んで被災者と向き合う両陛下のご様子から、平成流から令和流への変化を感じるという。
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両陛下は3月22日、今回の地震で被害が大きかった石川県輪島市と珠洲市をそれぞれ訪問。今回は穴水町と能登町を訪れた。
日を置かずに相次いで被災地を訪れたことに、名古屋大の河西氏はこう分析する。
「訪問した4カ所は、いずれも今回の地震で被害の大きかった地域。2カ所、2カ所に分けて訪問されることで、それぞれの地域への“平等性”を保ち、『被災されたみなさんのことを思っています』という気持ちを込められているのだと思います」
連続での被災地訪問は、平成の頃にもあった。現在の上皇ご夫妻は2011年の東日本大震災の発災後、7週連続で被災者を見舞われている。
そして河西氏は今回の能登半島地震での被災地訪問で、天皇陛下と皇后・雅子さまの変化を感じている。「一緒になって被災者の話を聞いている」という点だ。
「今回の被災地訪問では、天皇、皇后両陛下はおふたりで役割を担われている。一緒になって被災者のお話を聞いているというのは、これまでとずいぶん違うところだなと思います」
たとえば、22日に訪問された「輪島市ふれあい健康センター」では、段ボールベッドに座る避難者に「おうちはこのあたりですか?」と、まず雅子さまから声をかけられていた。
12日に訪問された穴水町にある町唯一の商店街を視察されたときには、去り際に、雅子さまが近くの美容室のスタッフに「お体に気をつけてください」と声をかけられたそうだ。
「平成のときは、天皇陛下の少しうしろに美智子さま、もしくは天皇陛下と美智子さまが分担するというイメージでしたが、いまの天皇陛下と雅子さまは“並んでいる”感じだと思います。そこはずいぶん大きな変化です」
■天皇陛下と雅子さまのもうひとつの変化
さらに変化がもうひとつあり、それは「姿勢の低さ」だと河西氏は指摘する。
「今回の被災地訪問では、天皇、皇后両陛下の姿勢が被災者よりも低かったときがありました。避難先の段ボールベッドやソファーに座っている被災者に向かって、天皇、皇后両陛下は膝をつき、さらにかがまれていたのが印象的でした。昔は、天皇陛下がかがんだことですら色々と言われましたが、もっと姿勢が低いという感じです」
被災者のそばに膝をついて言葉を交わすことは、現在の上皇さまが皇太子時代に始められたことだ。
当初は「皇室の威厳を損なう」などと否定的な声があったという。しかし、その姿は時代とともに共感を広げ、現在では定着した感じでもある。
そして天皇陛下と雅子さまは、上皇ご夫妻の被災地での振る舞いを踏襲し、令和になってさらに姿勢を低くされているようだ。
訪問された穴水町の避難所でも、天皇陛下は体を丸くかがめるようにして避難者に話しかけられた。その姿勢にそろえようとするかのように雅子さまも、さらにグッと腰を低く落とされたのが印象的だった。
被災地訪問の役割
被災者のそばに膝をついて対話することだけでなく、被災地訪問そのものが、上皇さまから天皇陛下へと受け継がれたものだと河西氏は話す。
「『国民と苦楽を共にする』というのが天皇の務めである、と上皇陛下はおっしゃっていて、いまの天皇陛下も皇太子時代からその姿を見てこられていた。
いかなるときも苦楽を共にする気持ちから被災地訪問があるわけですが、古代の天皇は現地に出向いたわけではなく、祈りを捧げたり、写経をしたりしていました。
現在の上皇陛下は、直接的に国民と接するということが大事だとされ、天皇がやるべき仕事のひとつだと考えてこられたのです」
上皇さまから天皇陛下へ引き継がれ、そして変化していった被災地訪問の役割は、時代が変われど大きいという。
「天皇陛下と雅子さまが被災地訪問されることで、必ず報道されます。現地の状態が映し出されることで、被災地にまだ問題が残っていることに私たちが気付かされるというのは大切なことだと思います」
(AERA dot.編集部・太田裕子)