報道陣に囲まれて歩く水原一平容疑者の代理人のマイケル・フリードマン弁護士=2024年4月12日(写真/ロイター/アフロ)

メジャーリーグの大谷翔平選手の銀行口座から1600万ドル(約24億5千万円)超をだまし取ったとして銀行詐欺容疑で訴追された元通訳の水原一平容疑者が4月12日、ロサンゼルス(LA)の連邦裁判所に出廷した。裁判所前で取材した現地在住のジャーナリストが報告する。

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「あ、ミズハラの弁護士のフリードマンが出てきたぞ!」

 4月12日、LAのダウンタウンの連邦裁判所の前で報道陣のひとりがそう叫んだ。

 100人近い記者とカメラマンたちが、青いスーツ姿の長身の男性、マイケル・フリードマン弁護士を一目散に追いかける。

「今回、捜査は非常に急ピッチで進みましたけど、どう思いますか?」という声を、フリードマン弁護士は無視して歩き去る。

 テレビ用の重いカメラを肩にかついで電柱にぶつかりそうになりながらゼーゼーと走るカメラマンや、スマホとメモを振りかざしながら走る記者たち。さらにスチールカメラを抱えて走るフォトグラファーたちが入り乱れて現場はカオスになっていた。

青いスーツを着た後ろ姿のマイケル・フリードマン弁護士。そして彼を追いかける報道陣(撮影/長野美穂)

 たまたま通りを歩いていた3人の少年たちが「ちょ、一体何の騒ぎだよ?! これ、異常だろ」と驚愕していた。

「ミズハラは今どこですか?」という声が飛ぶと「彼はもうすぐ保釈される」と一言だけ発し、フリードマン弁護士は交差点の向こうに歩き去っていった。

 ロサンゼルス・ドジャースの大谷選手の銀行口座に不正にアクセスし、24億5千万円以上を違法賭博の胴元に送金した銀行詐欺の疑いで訴追された水原容疑者が、裁判所に出廷した直後の出来事だった。

■ベルトやネクタイはなし

「あの弁護士、プロボノかな?」

「多分そうだな。今の水原にはあんな高額そうな弁護士を雇う金はないはずだから」

「あの高そうなスーツ見た?」

「確かハーベイ・ワインスタインの弁護団の一人でもあったよね、彼は」

 そんな声が報道陣の間で出た。

 プロボノとは弁護士が無料または低報酬で、更生を促すなどの公益目的のため、法律事務を提供することを指す。

 今回、フリードマン弁護士が、もし仮にプロボノで水原容疑者の刑事弁護を引き受けていたとするならば、メディアの注目が集まる以上、自らの弁護士事務所の宣伝になると計算していてもおかしくはない。

連邦裁判所前で弁護士と水原容疑者が出てくるのを待つ報道陣(撮影/長野美穂)

「スーツと言えば、水原がはいてたズボン、ずり落ちてたよね?」

 ネットワーク局ABCニュースのLA支局のイジー記者がそう言うと、周囲のLAの記者たちが「そうそう。そこが一番気になった」と口々に言った。

 足かせをはめられて法廷内に姿を見せた水原容疑者。

 なぜズボンがずり落ちそうだったのかという疑問に、ベテランの法廷記者はこう語った。

「それは、彼がベルトをしていなかったからだよ。靴ひもやベルトなど、自殺につながる可能性があるものは、当局に身を引き渡した段階で全て取り上げられる。それが決まりだから。だから、ネクタイもなしだった」

「なるほど」という声が周囲から上がると同時に「自殺の可能性」という言葉の重さがズンと響いた。

■保釈金のやりとりはない

「ひとつ確認したいんだけど、『unsecured bond』という言葉が法廷で出たけど、この『unsecured』って?」

 米大手通信社の犯罪事件担当のステファニー記者が、法廷内で取ったメモを見返しながら、そう言った。

「bond」とは保釈金のことで、今回、裁判所が水原容疑者に課した保釈金の額は2万5千ドル。つまり日本円にすると約380万円だ。

「そもそもこの金額、安すぎない? 1600万を盗んだ容疑だよ」とあるカメラマンが言う。

 すると前出のベテラン法廷記者がこう答えた。

「unsecured というのは、簡単に言えば、保釈金を現金で支払う必要がないという意味だ」と言った。

「え?」と周囲がどよめいた。

 2万5千ドルの保釈金を裁判所に納めて初めて、水原容疑者はこの建物から歩いて出てくることが可能なのではないのか?

「今回、保釈の条件として裁判官が水原に言い渡した項目を全て守って彼が生活する限り、今日の時点では1ドルも金を払う必要がないよ」

 取材メモの整理をしていた記者たちから「そうなのか!」と声が上がった。

 裁判所の前では「保釈金2万5千ドルで釈放されます」と地元テレビのアナウンサーが実況していたが、実際に現金のやりとりはないのか?

 裁判官は保釈の条件として、大谷選手に接触しないことや、今後、賭博に関わらないこと、ギャンブル依存のカウンセリングを受けることなどを示し、弁護側は受け入れた。条件に違反した際に保釈金を納付する必要があるという報道もある。

 ニューヨーク州の元連邦検事補のジョシュア・ナフタリス氏がこの「unsecured」という言葉を法的に説明する。

「unsecured bondというのは、水原の出廷は、現金やその他の資産で保証されるものではない、という意味だ。つまり出廷すると約束して裁判所に実際に姿を現さない場合などには、この保釈金全額を払わなければならない決まり」と言う。

 次回の出廷日には必ず出頭するという合意文書に本人がサインし、裁判所側としては署名した人物の「良心」を信じるという形で、保釈するわけだ。

 2万5千ドルという金額のさじ加減と「unsecured bond」というやや珍しい、温情とも取れる措置が今回のケースで取られたことに対し、ナフタリス氏は「今回、水原は自分から当局に身柄を引き渡して自首の形を取った。裁判所が保釈金の金額と条件を定める際に、その点を考慮した可能性は高い」と語る。

会見を期待して裁判所の前に設置された報道機関のマイクの束。この日、会見は行われなかった(撮影/長野美穂)

■「新しい仕事」も保釈の条件

 裁判官が今回提示した数々の「条件」の中には「エンプロイメントを維持すること」という項目も含まれていた。

 つまり、何か新しい仕事を探せ、と裁判官から言い渡されたわけだが、家に引きこもっているのではなく働いて、ギャンブル依存症のカウンセリング・プログラムを受ける費用を自分で稼げということなのか。

「裁判に至る前の釈放の条件として、仕事を探すことや仕事をキープすることを求められるのはよくあること」とナフタリス氏。

 だとしたら、水原容疑者はこれから一体何の仕事をするのだろう。

 他人の銀行口座から不正に巨額の金を盗んだ容疑で罪に問われ、これだけメディアの注目を浴びている人間を雇いたい店や企業が、このLAの街に存在するのだろうか?

「ドアダッシュのデリバリーが手っ取り早いよ。ウーバーの運転手という手もある」とMLBの取材を担当するアメリカ人記者が言う。

 ドアダッシュとは、米フードデリバリー会社で、ここ数年、急速に市場シェアを増やしている成長企業だ。

 家でスマホを手にして座っていたら、最悪ギャンブルサイトにアクセスしてしまう危険もあるかもしれないから、外で汗を流す肉体労働がいいのでは、というのが記者たちの意見だった。

■大谷選手に謝罪したいと声明

 水原容疑者とフリードマン弁護士は裁判所に共に出廷したのだが、その後、なぜかフリードマン弁護士だけがひとりでスタスタと歩いてどこかに移動したことは冒頭で説明した。

 水原容疑者は一体どこにいるのかがわからないまま、大勢の取材陣が右往左往していると、米チャンネル7テレビのカメラマンが私たちに、

「拘束中の水原容疑者はすでに、当局の車に乗せられて、別の連邦裁判所ビルに保釈手続きのために移動した。ここから5ブロック先のガラス張りのビルだよ」と教えてくれた。

 保釈の手続きが行われる別の裁判所ビルに報道陣も移動し、玄関前でカメラとマイクを設置して構えて待つこと数時間。水原容疑者とフリードマン弁護士はなかなか出てこない。

「そもそも大谷は、どれだけ英語を話せるの? 英語を聞いて理解はできてる感じ?」とABCニュースのイジー記者が問う。

 するとMLB担当記者は「大谷は英語の質問はかなり理解してる感じだ。ただ、会見は全て水原を通して行われていたから、日本語がわからない我々にとっては、当然、水原の発する言葉が全て」。

 かなり冷え込んできた午後4時半ごろ、米大手通信社のステファニー記者のスマホにフリードマン弁護士からメールが届いた。「大谷やドジャースやMLBや自分の家族に謝りたい」という水原容疑者の声明が含まれたプレスリリースだった。

「ふたりはもう裁判所を後にしたって!」とステファニー記者。

「正面玄関じゃなくて、裏口から出たのか」「あの弁護士、メディアの注目を浴びるうまみを知りつくしているから、あえてじらす作戦か」と口々に記者たちは言った。

「水原は、きっと今晩これからドアダッシュのバイトがあるから、早く帰らないと、だろ」と誰かが言うと、みんな一斉にカメラとマイクを撤去しはじめた。「体が冷え切ったね。この角のラーメン屋行く?」と周囲の仲間を誘って三々五々散っていくアメリカ人カメラマンたち。

 大谷、水原、そしてラーメン。

 LAダウンタウンの金曜日は、こうして暮れていった。

(ジャーナリスト・長野美穂=米ロサンゼルス)