岸田文雄首相

 アメリカを訪問した岸田文雄首相の米議会の上下両院合同会議での演説は、かつてないほど好評で、拍手でもって支持された。それは、安全保障において「米国と共にある」「日本も責任を担う」と力強く宣言したことが大きい。だが、安全保障については、日本国民と、政府の認識との間には大きなギャップがあるようだ。この点について、シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」代表で、弁護士(日本・ニューヨーク州)の猿田佐世さんが寄稿した。

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 4月、岸田文雄首相はワシントンを訪問し、日米首脳会談を行い米議会で演説した。共同声明では日米で自衛隊と米軍の作戦・能力統合のため指揮統制の連携強化を発表。議会演説においては、岸田首相は、ここ数年の日本の急速な防衛力強化をアピールし、日本は米国と共にあると訴え、日米は地域に限られないグローバルなパートナーであり、日本も責任を担うと宣言した。

 幾つもの米メディアが、日本は平和主義から脱却した、真の意味で米国との防衛パートナーになろうとしている、などと報じている。確かに、この岸田首相の演説を聞けば、日本は、増強した軍事力を手に、日本から遠い地域の出来事に米国と共に関わることもいとわないのだ、と捉えるだろう。

  戦後長らく日本は、平和憲法の下、「専守防衛」を安全保障の基本方針とし、自衛のための必要最小限度の実力しか有さないとの防衛政策を取ってきた。しかし、近年、拡張主義的な中国や北朝鮮の核・ミサイル実験など不安定な地域の安保環境に鑑み、急速に防衛力強化が図られてきた。2014年には集団的自衛権の行使を認め、2022年には安保関連3文書を改定して敵基地攻撃能力の保有や防衛予算の倍増を決定するなど、「歴史的な大転換」と報じられる政策変更を何度も行ってきた。

 もっとも、日本国民の多くは、「平和国家」であることを国のアイデンティティとしてきた。「米国との防衛パートナーとしてグローバルな責任を担う」という政策は、つい10年前の日本の安保政策とは激しく異なるものである。国民はこれを受け入れているのだろうか。

  この4月に発表された読売新聞の世論調査の結果を見てとても驚いた。

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 例えば、2015年に政府は集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法を成立させているが、これについて、この世論調査では評価する人が49%、評価しない人が48%と結果が拮抗していたのである。既に、2015年から約10年が経っており、その間、政府は、この安保関連法に加えてさらに多くの防衛力拡大の政策変更を繰り返し行って今に至っているにもかかわらず、である。しかも、読売新聞は、歴代首相の中でも保守色の強い安倍晋三首相(当時)が、自分の考え方を知るには読売新聞を熟読してほしいと国会で言った通り、保守を代表する新聞である。一般的に世論調査の結果は質問次第で大きく変わるとされており、読売新聞の世論調査の結果は保守政権である政府寄りに出ることが多いとされている。その読売新聞の世論調査において、いまだ回答者の半数が安保関連法に「反対」と答えているのは衝撃である。

安倍晋三元首相

  他にも、この世論調査では、反撃能力や防衛予算の倍増を決めた2022年の安保三文書の改定を評価する人(どちらかといえばを含む)が50%、評価しない人(同)が48%で拮抗、今年3月の防衛装備移転の輸出制限の緩和についても評価しない人は49%、評価する人が47%で、これまた拮抗していた。「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則については、今後も守るべきとする人(同)が73%に上っている。

 質問が異なるために他の世論調査と単純比較はできないが、他の例を挙げれば、中道といってよいであろう時事通信の調査(2023年)では、殺傷能力のある武器輸出の緩和については反対が60.4%、賛成が16.5%だったし、新聞通信調査会(同年)による世論調査[6]では防衛費増額については反対(同)が55.5%、賛成(同)が42.8%であった。また同調査では、台湾有事の際に「自衛隊が米軍とともに中国軍と戦う」とする人は13.3%にすぎなかった。

  また、例えば、安保環境の悪化が叫ばれる中、防衛力の強化自体を支持する国民が多くなっているのは、社を問わず一般的な世論調査の傾向であるが、先の読売新聞の世論調査で「防衛力強化のため、政府は、どのようなことに重点的に取り組むべきか(複数回答)」との質問において、政府がこの間前面に打ち出している「長射程ミサイルの開発」については26%、「次期戦闘機の開発」については13%の支持しかなく、12ある選択肢のうち40%以上の賛成を得たのは、上位から順に、「同盟国や友好国との連携(58%)」、「ミサイル防衛システムの強化(53%)」「人工衛星の活用(40%)」の3点のみであり、皆、「防衛」の印象が強く、他国へ介入するイメージを与えないものであったのも驚きであった。

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 先月、米国政府の日本担当者から、「この5年で日本は大きく変わった。防衛力拡大の議論にも反対意見がほとんど起きない。米国としてはとてもやりやすい」との発言を聞いた。

 しかし、実は、国民世論は、上記した通り、今の日本政府の前のめりの姿勢とは大きく異なりとても慎重である。自国を守るために必要な手段の拡大については支持するが、あくまで、相当程度厳格な意味での「専守防衛」に限る、という意識が強いのがいまだ日本国民の多数であると言えるだろう。

 この間の安保政策の変更に際して、政府が、国会の審議を意識的に避け、閣議決定のみで変更を決定していることから、国民が十分に情報を得て意見を形成する機会や、反対意見を表明する機会を奪われているという現実があることも指摘しておかなければならない。

  政府は憲法改正も実現しようとしているが、憲法についても改正賛成派が増えてはいるものの、自民党が一番のターゲットとする平和条項の9条に関しては、改正に向けた世論は強くない。5月3日の憲法記念日に発表された世論調査でも、読売新聞においては、「9条を今後どうすればよいと思うか」との問いについて、改正せずに「解釈で対応」「厳密に守る」の合計が「改正する」を8ポイント上回っていたし、リベラルとされる朝日新聞では9条改正反対は61%で、改正賛成のほぼ倍であった。

  憲法記念日には、全国各地で大規模な憲法集会が行われた。東京では予定の人数を超える3万2000人(主催者発表)が集まり、平和憲法をこれからも生かしていく、と声を上げた。

 日米政府間で語られている「日本」と、実際の日本社会は、こと安全保障に関しては大きく乖離している。

  このような日本の世論調査を、ワシントンで会った元ホワイトハウス高官に見せた際の彼の言葉が忘れられない。

「なぜ日本政府は、国民の声に耳を貸さないのだ」

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