●DFダニエル・カルバハル(レアル・マドリード/スペイン代表)

 レアル・ソシエダで活躍するサッカー日本代表MF久保建英が、今夏に古巣レアル・マドリードに復帰するかは注目ポイントの1つだ。実現するかはさておき、過去に買い戻された選手が多くいたのは事実である。今回は、1度はレアル・マドリードから移籍したものの、ブレイクを果たしてレアル・マドリードに「買い戻された」選手たちを紹介する。(スタッツはデータサイト『transfermarkt』を参照))
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

生年月日:1992年1月11日(32歳)
レアル・マドリード通算成績:413試合12得点64アシスト

 DFダニエル・カルバハルがプロサッカー選手として初めて立ったピッチは、意外にもサンティアゴ・ベルナベウではない。彼のプロ初出場の舞台は、そこから約1,080キロ離れたベイアリーナだ。

 現在32歳のカルバハルは、2002年にマドリーの下部組織に加入し、その後レアル・マドリード・カスティージャ(リザーブチーム)に昇格。同選手はそこで2年間を過ごし、11/12シーズンにはカステージャのセグンダ・ディビジョンA(スペイン2部)昇格に大きく貢献したが、トップチームでの出番は一度も訪れなかった。このような状況を受けて、新進気鋭の右サイドバックは12/13シーズンに向けてレバークーゼンへの移籍を決意する。

『Sky sports』によると、ドイツへの移籍には500万ユーロ(約7億円)の移籍金が発生したとされており、その契約期間は5年間。レアル・マドリードは「買い戻し条項」を契約に盛り込んでいた。結果的に、この移籍がカルバハルのキャリアにとって大きな転機となる。

 移籍初年度となる12/13シーズン、カルバハルは最初のリーグ戦10試合で4アシストをマークする上々のスタートを切ることに成功。そこから右SBのポジションを守り続け、最終的にリーグ戦32試合に出場して1ゴール8アシストの活躍を残した。獅子奮迅のプレーを見せた同選手は、ブンデスリーガ公式ウェブサイトのユーザーたちの投票により、フィリップ・ラームと内田篤人に次いで、そのシーズンで3番目に優秀な右SBに選ばれている。

 そんな素晴らしいデビューシーズンを過ごしたカルバハルだったが、もちろん最初から全てが上手くいったわけではない。レバークーゼンに初めて来たときには、自分の殻を破ることができていなかったそうだ。『managingmadrid.com』は、練習を共にしたジモン・ロルフェスが「彼はトレーニング中、とても静かだった」という印象を抱いたことを伝えている。

 寡黙だったスペイン人DFが同僚たちと打ち解けることが出来たのは、プレシーズン終了後のパーティーの最中だった。ロルフェスは「あの夜はとても面白かった。本当に驚いたよ。彼はオープンで外向的だった。以前は(カルバハルを)ベンチに座っているような選手だろうと思っていたが、このパーティーの後、ピッチ上でも別の人間になっていた」と、若きスペイン人の変化を振り返っている。カルバハルの成長に、ライン川のほとりで過ごした1年間が大きな影響を与えたことは間違いないだろう。

 ドイツでの活躍を受けて、レアル・マドリードは2013年6月にカルバハルの買い戻しを決断。クラブは「買い戻し条項」を発動させ、650万ユーロ(約9.1億円)をレバークーゼンに支払った。これにより、少年としてスペインを離れたカルバハルは、自信に満ち溢れたサッカー選手としてマドリードに帰還する。

 その後の活躍は、ここで多くを語る必要が無いだろう。今季を合わせて4度のラ・リーガ優勝、5度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝、5度のFIFAクラブ・ワールドカップ優勝など輝かしいタイトルをレアル・マドリードにもたらしている。ロス・ブランコスに買い戻された選手の中では、近年で最も成功を収めた選手だ。

久保建英は? レアル・ソシエダ年俸ランキング1〜10位
FWのエゴと久保建英の違和感。目に余るプレーでレアル・ソシエダが失うものとは【分析コラム】

●MFカゼミロ(マンチェスター・ユナイテッド/ブラジル代表)
生年月日:1992年2月23日(32歳)
レアル・マドリード通算成績:336試合31得点29アシスト

 レアル・マドリードの中盤に君臨し、世界屈指のアンカーとして名声を高めたMFカゼミロもまた、エル・ブランコによる「買い戻し」を経験している。

 サンパウロの下部組織で育ったカゼミロは、2010年に同クラブのトップチームに昇格すると、2013年にレアル・マドリード・カステージャ(リザーブチーム)へレンタル移籍。その夏に600万ユーロ(約8.4億円)で、レアル・マドリードのトップチームへの完全移籍に切り替わった。

 しかし、当時トップチームを率いていたカルロ・アンチェロッティ監督の下で、カゼミロは構想外に。チームにはMFシャビ・アロンソ、ルカ・モドリッチ、サミ・ケディラ、アシエル・イジャラメンディが在籍しており、新たに加わった若者がこの厚い壁を乗り越えることは難しい。2014年夏、ポルトガルの名門ポルトへ買取オプション付きのレンタル移籍に踏み切った。

 ポルトで迎えた14/15シーズン、カゼミロは大きく飛躍を遂げる。公式戦41試合に出場し、自身の能力を存分に発揮。既にレアル・マドリード、ブラジル代表の両方で絶対的な地位を確立していた2019年には、「フレン・ロペテギ監督が僕に電話をかけて説得してくれた。ポルトへ行ったことは僕の人生で最高の決断だ。ロペテギ監督は僕をたくさん助けてくれたし、僕は良い試合をした」「マドリードに戻ったとき、僕は既に(ポルトで)チャンピオンズリーグで経験を積んでいた。僕は変わってたんだ」(『ONE FOOTBALL』)とポルトガルでの充実した時間を回想している。ここで得た経験がその後のキャリアに大きく役立ったようだ。

 そんなポルトガルでの活躍を、レンタル元のレアル・マドリードが見逃すわけはない。2015年5月、ポルト側が1500万ユーロ(約21億円)でカゼミロを買い取る意思を示したが、レアル・マドリードがその1週間後に買い戻しオプションを行使したことで、同選手のマドリード復帰が確定している。

 その後のカゼミロについては言うまでもないだろう。トニ・クロース、ルカ・モドリッチと黄金の中盤を形成し、クリスティアーノ・ロナウドやカリム・ベンゼマなどを擁したスター軍団の中で異彩を放った。半ば「構想外」状態から絶対的なアンカーへと成長させることに成功したこの選択は、ラファエル・ベニテス監督体制下で最高の「買い戻し移籍」ともされている。

●DFフラン・ガルシア(レアル・マドリード/スペイン代表)
生年月日:1999年8月14日(24歳)
レアル・マドリード通算成績:31試合1得点7アシスト

 DFフラン・ガルシアは、昨夏にレアル・マドリード復帰という夢を叶えた。

 2013年に14歳でエル・ブランコの下部組織の一員となったフラン・ガルシアは、2018年にリザーブチームにあたるレアル・マドリード・カステージャに昇格。同年にはコパ・デル・レイでトップチームデビューも果たしている。その後、幼い頃から将来が嘱望されてきた逸材は2020年9月にラージョ・バジェカーノ(スペイン2部)へレンタル移籍することを決断した。

 ラージョで迎えた20/21シーズン、フラン・ガルシアは第1節マジョルカ戦で先発出場を果たすとさっそく1アシストを記録。最終的に37試合に出場して1ゴール3アシストというスタッツを残している。特筆すべきは抜群の走力だ。37試合のうち35試合でフル出場を果たし、左サイドからの攻撃に厚みをもたらした。シーズン終了後、1部昇格を成し遂げたラージョは同選手に完全移籍を提示。2021年夏に4年契約で完全移籍することがクラブから発表され、21/22シーズン、そして22/23シーズンをレギュラーとして過ごしている。

 そんなスペイン人サイドバックに目を付けたのが、他でもない古巣のレアル・マドリードだ。同クラブは、負傷欠場の多い左SBフェラン・メンディに代わるプレイヤーとして、フラン・ガルシアの「買い戻し条項」を発動させ、チームに加入させた。カステージャ時代、そしてラージョ時代から常々レアル・マドリード加入を夢だとメディアに語ってきた若者にとっては、何にも代えがたい喜びだったはずだ。

 今季はリーグ戦24試合に出場して、1ゴール5アシストを記録。まだまだ粗削りな部分を残してはいるが、及第点以上の活躍を見せている。来季以降の躍動が楽しみなタレントの1人だ。

●FWマリアーノ・ディアス(セビージャ/元ドミニカ共和国代表)
生年月日:1993年8月1日(30歳)
レアル・マドリード通算成績:84試合12得点3アシスト

 レアル・マドリードの背番号7を引き継いだFWマリアーノ・ディアスは、スペインで大きな活躍を残せなかった。

 カタルーニャ州のプレミア・デ・マールで生まれたマリアーノは、『The Guardian』によると当時のブラジルのスター選手であるロナウド、ロナウジーニョ、サミュエル・エトーを見て育ったという。2011年にレアル・マドリードU-19に加入すると、2014年にレアル・マドリード・カステージャ(リザーブチーム)へ昇格。当時のカステージャは、ジネディーヌ・ジダンが助監督を務めていた。ここで高い評価を得ることに成功した同選手は、ジダンがレアル・マドリードの監督に就任するとトップチームにも招集されるようになる。

 16/17シーズンは、プレシーズンマッチから有望な若手選手としてトップチームに帯同し、シーズン開幕後は公式戦14試合5ゴールを記録した。しかしながら、そのうち8試合を占めるリーグ戦のプレータイムは、全て合わせてわずか115分。チームの大事な戦力とは言い難く、マリアーノはシーズン終了後に800万ユーロ(約11.2億円)でリヨンへ売却されることが決定する。

 2017年夏、リヨンと5年契約を結んだマリアーノは、フランスでのデビューシーズンに公式戦48試合に出場。50試合に満たない出場数で21ゴール6アシストという素晴らしい数字を残した。

 そして2018年夏、レアル・マドリードは移籍市場でクリスティアーノ・ロナウド(ユヴェントスへ移籍)を失っており、攻撃陣の補強に着手。カリム・ベンゼマのバックアッパーとしてマリアーノを買い戻すことに決めた。同選手はリヨンでの1シーズンで市場価値を500万ユーロ(約7.7億円)から2200万ユーロ(約30.8億円)まで伸ばしており、大きく成長してマドリードへ戻ってきたことがわかる。エル・ブランコではロナウドの背番号7を引き継いだ。

 しかし、レアル・マドリードでのマリアーノのキャリアは、そこがピークだったのかもしれない。絶対的エースであるベンゼマの壁は高く、さらに自ら選んだロナウドの背番号7の呪縛にも苦しめられた。もちろん、19/20シーズンのエル・クラシコなど輝きを放った試合もあったが、最後まで偉大な前任者のようにコンスタントに活躍することは出来ず。同選手は『Diario De Sevilla』のインタビューで、2度目のレアル・マドリード時代を「そうだね、いろんなことが少しずつあった。競争の激しさ、出場機会の不足、継続性の欠如。大事な場面で怪我をしてしまった…」と振り返っている。

 昨年9月、マリアーノはセビージャへ移籍することを決断した。今季から新天地でプレーしているが、筋肉系の負傷や足の怪我に悩まされており。公式戦10試合の出場でノーゴールに留まっている。マリアーノはセビージャで、自身のキャリアを復活させることができるだろうか。

●FWアルバロ・モラタ(アトレティコ・マドリード/スペイン代表)
生年月日:1992年10月23日(31歳)
レアル・マドリード通算成績:95試合31得点11アシスト

 多くのビッグクラブを渡り歩いてきたFWアルバロ・モラタは、レアル・マドリードに買い戻された経験を持つ選手の1人だ。

 モラタは2008年にエル・ブランコのU-18チームに加入。2010年にリザーブチームであるレアル・マドリード・カステージャへ昇格を果たすと、11/12シーズンに偉業を達成する。

 アルベルト・トリル監督率いるカステージャは、5年ぶりのセグンダ・ディビジョンA(スペイン2部)昇格を掴み取った。モラタはリーグ戦で17得点を挙げており、昇格の立役者になっている。こうした活躍を受け、同選手は12/13シーズンのトップチーム昇格が正式に決定している。

 しかしながら、トップチームではなかなかプレータイムを得られない。欧州屈指のビッグクラブでは当然と言えるが、12/13シーズンの(トップチームにおける)リーグ戦の出場は12試合に留まり、そのほとんどが試合終盤での投入だった。翌13/14シーズンはコパ・デル・レイやUEFAチャンピオンズリーグの試合への出場は増えたが、レギュラー奪取には至らず。このシーズン終了後、ユヴェントスへ移籍することを決断した。

 モラタのイタリア行きには2000万ユーロ(約28億円)の移籍金が発生したとされている。ユヴェントスでは絶対的な存在ではなかったものの、カルロス・テベスやパウロ・ディバラ、クリスティアーノ・ロナウドといったスターたちと組んで輝きを放った。

 とくに印象的だったのは、古巣レアル・マドリードを相手にした14/15シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ準決勝。1st leg、2nd legの両方でゴールを奪い、チームの決勝進出の立役者となった。最終的に、14/15シーズン、15/16シーズンの在籍2年間でリーグ戦63試合15ゴール12アシストという記録を残している。

 これを受けてレアル・マドリード側は、ユヴェントス移籍の契約に含まれていた3000万ユーロ(約42億円)の「買い戻し条項」を行使。モラタはスペインへ戻り、もう1度純白のユニフォームに袖を通している。

 この16/17シーズン、同選手は基本的にカリム・ベンゼマの控えとなっていたが、「スーパーサブ」として試合後半からチームの勝利に貢献。UEFAチャンピオンズリーグ、FIFAクラブワールドカップ、UEFAスーパーカップ、ラ・リーガの4つのトロフィーを獲得した伝説的なシーズンの陰の立役者となった。その後、モラタは、2017年の夏の移籍市場で白い巨人に移籍金6600万ユーロ(約92.4億円)を残し、チェルシー(イングランド)へ旅立っている。

●FWルーカス・バスケス(レアル・マドリード/元スペイン代表)
生年月日:1991年7月1日(32歳)
レアル・マドリード通算成績:346試合35得点63アシスト

 突出した武器はないが様々な役割を担うことが出来る「便利屋」は、2015年にレアル・マドリードに買い戻された。

 FWルーカス・バスケスは2007年にレアル・マドリードの下部組織へ加入。競争の激しい名門クラブの育成組織で生き残り、順調にステップアップしてレアル・マドリード・カステージャ(リザーブチーム)までたどり着いた。ここでダニエル・カルバハル、ナチョ・フェルナンデスといった、現在もチームメイトである選手たちと研鑽を重ねたバスケスは、11/12シーズンにカステージャをセグンダ・ディビジョンA(スペイン2部)昇格に導いている。

 順風満帆かに見えたバスケスのサッカーキャリアだが、カステージャで高い壁に直面する。多くの有望な選手たちに待ち受ける試練だともいえるが、トップチーム昇格がなかなかできなかったのだ。プレシーズンマッチなどでトップチームに帯同することはあっても、一向にバスケスには昇格の機会が訪れない。

 この時期について、バスケス本人は後に「自分は向いていないのではないか、と思わせるような大変な時期だった。物事が思い通りにいかないのがわかったとき、僕はもっと何かが必要だと自分に言い聞かせた」と『Real Madrid TV』で振り返っている。結局、最後までトップチーム昇格は叶わず、バスケスは2014年にエスパニョールへの買取オプション付きレンタル移籍を決断した(この時の契約にはレアル・マドリードへの「買い戻し条項」も付帯していた)。

 カステージャでは悔しい時間を過ごしたが、バスケスはエスパニョールで活躍してレアル・マドリードへ復帰を果たす。14/15シーズン、エスパニョールで主力の座を掴んだ同選手はリーグ戦33試合に出場。これを受けてエスパニョール側が買取オプションを行使すると、レアル・マドリード側も「買い戻し条項」を発動。当時『マルカ』は、スペイン人アタッカーが100万ユーロ(約1.4億円)で晴れてエル・ブランコへ帰還したと報じている。
 
 復帰当初は、バスケスのクオリティがレアル・マドリードには相応しくないとの声も少なくなかった。しかし、優れた運動量とクロスの精度などで徐々に認められるようになり、現在はチーム屈指のユーティリティープレイヤーとしてその地位を確立させている。愛するクラブのために犠牲を惜しまないベテラン選手はあと何シーズン、白いユニフォームでピッチを駆け抜けてくれるのだろうか。