航空事故。これが一度発生すると、最悪数百人の乗客が命を落としてしまいます。

今年1月に羽田空港で発生した日本航空の地上衝突事故は、全世界のメディアが「奇跡」と称賛しました。日航機の胴体は完全に焼け落ちたにもかかわらず、乗員乗客は全員脱出。厳しい訓練を潜り抜けた客室乗務員の能力が十二分に発揮された出来事でもありました。

一方、この奇跡はかつての航空事故から得た教訓が積み重なった結果でもあります。そこで今回は航空事故調査シム『Plane Accident』をプレイしながら、民間旅客機の安全性を大きく向上させるきっかけになった「コメット連続墜落事故」とその事故調査について解説していきたいと思います。

ナショジオの「メーデー!」みたいなゲーム
『Plane Accident』は、航空事故の原因を徹底調査することが目的のゲームです。

墜落直後の現場は、あちこちに飛行機の部品が散らばっています。それを一つ一つ拾い上げ、ラボに輸送し、さらに事故機周辺に規制線を張ってパイロットが生きていれば救助して救急車を呼ぶ……という具合に、結構やることが細かい!

事故機の火災を消し止めるのも、機体からブラックボックスを取り出すのも、何ならブラックボックスを取り出すために使う電動ドライバーのバッテリー交換も、事故調査官であるプレイヤーが自分でやる必要があります。事故機の整備記録、航空日誌、パイロットの経歴、墜落現場にいた人の証言等々を検証し、事故原因を明らかにしていきます。

まさにこれはナショナルジオグラフィックチャンネルの番組「メーデー!」の世界。いやー、筆者はこういうゲームを待ってましたよ! 実は筆者は長年のメーデー民で、この記事を書いている時もナショジオにチャンネルを合わせて「メーデー!」を視聴しています。

事故調査という仕事は、今後の航空事故を防ぐために行う地道な作業です。無数に散らばった残骸を全て回収し、それをラボで組み立てます。すると、具体的にどの部分がどのように破損したのかが判明します。そうした米粒を数えるような作業も、『Plane Accident』で克明に再現されています。

世界に衝撃を与えた「コメット連続墜落事故」
事故がなぜ発生したのかを解明し、今後二度とそれが起こらないよう対策を施すということは、現代では当たり前になっています。そのきっかけは、デ・ハビランドDH.106コメットという旅客機の連続事故です。

第二次世界大戦後、世界の航空事故は「レシプロ機からジェット機へ」の転換点を迎えます。その中でイギリスのデ・ハビランド社が世界に先駆けてジェット旅客機を開発します。それがDH.106コメットです。

1951年1月に初めての量産機が航空会社に納入されたコメットは、しかし数年のうちに相次いで事故が発生し、機体が失われていきます。特に1953年5月の英国海外航空783便墜落事故、1954年1月の英国海外航空781便墜落事故、同年4月の南アフリカ航空201便墜落事故は、いずれも乗客乗員全員が死亡する空中爆発・分解事故です。立て続くコメットの事故原因はなかなか判明せず、当初は「悪天候の中をパイロットが無理やり飛んだから」という説もありました。

事故機がいずれも納入からあまり時間が経っていない(つまり新品に近い)状態だった点も、謎を呼びました。なお、当時は航空事故調査のセオリーが全く確立されていない時代で、今では当たり前の「残骸を回収してつなぎ合わせる」ということも行われていませんでした。

費用を惜しまず事故調査
この時のイギリス首相は、第二次世界大戦で枢軸国を叩きのめしたウィンストン・チャーチルです。彼はこのような指示を出します。「コメットの連続事故の原因を徹底的に調査しろ。必ず原因を特定したまえ。費用はいくらかかっても構わん!」

イギリスの威信をかけて開発した世界初のジェット旅客機が、次々に事故で失われていく状況。葉巻を噛み締めながら顔を真っ赤にして怒り狂うチャーチルが、容易に想像できます。

その怒りは現場にもよく伝わっていたようで、事故海域ではイギリス海軍が対潜ソナーを使って海底に沈む残骸を発見・回収していきます。これは民間の船まで動員した作業ですが、船をチャーターするのにアメリカドルでの支払いが必要だったため、何と現場の責任者が闇ドルに手を出したとのこと。ブレトン・ウッズ体制下の為替レートを無視する行為が許されたのは、微罪など構っていられないほどチャーチルからの突き上げが激しかったからでしょう。

大掛かりな装置で原因特定!
そうして残骸を集めていき、どうやらコメットは機体内部と外との気圧差が原因の爆発ではないかということが分かってきました。しかし、飛行機というものは最初から気圧差を想定して設計されています。新品に近い最新旅客機があっという間に金属疲労を起こした、などということは考えられるのでしょうか?

そこで事故調査チームは、コメットがまるまる1機分入るほどの巨大な水槽を作ります。気圧の代わりに水圧を用いて毎日加減圧を繰り返し、機体がどこまで耐えられるかという実験を行ったのです。

すると、コメットのカタログデータから立てた当初の想定よりも遥かに短い期間で金属疲労が現れました。デ・ハビランド社が考えていたよりも早く機体寿命が訪れてしまう旅客機だった、ということです。

これはイギリスの航空産業に極めて大きなダメージを与えると同時に、航空事故調査官という職業の人々が大注目されるきっかけにもなりました。

事故の教訓は安全対策に反映
今年1月に羽田で発生した地上衝突事故は、今も原因調査が進められています。この事故から得られる様々な教訓をもとに、更なる安全対策が開発されることは必定。そして、此度の「奇跡の脱出」も1985年8月のJAL123便墜落事故以来の教訓と決心が大いに生かされています。

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