ラグビーの日本代表ヘッドコーチ(HC)に9年ぶりに復帰したエディー・ジョーンズ氏(64)がこのほどスポーツ報知のインタビューに応じ、就任から3か月の活動を振り返った。国内では高校、大学、リーグワンと世代を問わずグラウンドに足を運び、史上初の4強入りを目指す2027年オーストラリアW杯に向けた“金の卵”発掘にトライ。現在、世界ランク12位の日本が、世界のトップに食い込むため、育成システム構築の重要性を説いた。(取材・構成=大谷 翔太、宮下 京香)

 監督として「日本でキャリアを終えたい」と決意し、再び来日したジョーンズ氏の胸中は明快だった。

 「日本での挑戦が大好きだ。15年(W杯)の後も、いつかまた戻ってきたいと思っていた。私の選手時代は体が小さく、勝つために何か方法を探ってきた。日本のように、何か少し足りないチームを助ける仕事がしたい。妻も日本人であり、日本で最後のコーチングをして、その後この国に住みたいという思いもある」

 64歳となった今もハードワークは変わらない。就任以降、ほぼ無休で全国視察に奔走している。日本ラグビーは、どう映ったのか。

 「15年当時と比べると、リーグワン(当時はトップリーグ)は、よりプロフェッショナルになりレベルが上がった。特に1部の上位6〜7チームは(南半球最高峰リーグの)スーパーラグビーでも戦える。9年前はそう言えなかったが、ファンやメディアの期待値も上がっただろう」

 ともにジェイミー・ジョセフ氏が率いた19年W杯日本大会は史上初めて8強入りし、23年W杯は2勝2敗で1次リーグで敗退。9年ぶりに日本代表を指揮するジョーンズ氏は進化への課題を鋭く指摘した。

 「大谷翔平や香川真司(サッカー元日本代表MF)のような、世界でトップになれる選手の成長や発掘が遅い。確かな例が福岡堅樹【注1】だ。13年に当時筑波大2年だった福岡は、世界レベルのスピードを持っていたが、その才能を生かすまでに6年かかった。19年W杯では間違いなく世界一の右WTBだったが、南アフリカやオーストラリア、イングランドなどに行かせていたら15年W杯でも活躍できていただろう。才能を持った選手たちが、いち早く成長できるように働きかけていきたい」

 今年の欧州6か国対抗でフランスと引き分けるなど飛躍的に成長するイタリアが参考になり得るという。

 「イタリアは現在国内にプロチームが2つしかないが、3つのアカデミーを作った。トップからユースまで、ベストな選手たちがスポーツ科学に基づいた練習をしている。日本の大学にも、15人くらいは国際的なレベルになれる選手がいる。そういった選手を、一貫性を持って発掘していかないといけない」

 2月に行った短期の代表候補合宿に9人の大学生を招集。この春は東西8大学を回り首脳陣と会談した。日本のアイデンティティーと掲げる「超速ラグビー」の共通理解とともにエディー式練習メニューも提示。リーグワンで既に活躍する選手に目を光らせ、東京ベイのフッカーの江良颯、東京SGのフランカー・山本凱とSO・高本幹也らに期待を寄せている。

 「野球で世界一の選手を発掘できている日本が、なぜラグビーではできないのだろうか。WBCで優勝できたのは素晴らしい選手がいるからだ。ラグビーでも世界のベスト15に入るような選手を育てていくことが、目の前にある大きなチャレンジだ」

 27年W杯に向け、6月から本格始動するエディー・ジャパン。今年はイングランドやニュージーランドなど、強豪国に挑む。今季のテストマッチの狙いと、描く青写真がある。

 「今年は土台作り。27年10月開幕のW杯で花が咲くように、木を植えるような一年となる。25、26年で一貫性を持って芽が生えてくるところを見たい。リーチ・マイケル、稲垣啓太、松島幸太朗ら若手の手本になる選手を見極め、若い才能に4年かけて成長してもらう。シニア選手には『次の4年間を犠牲に払ってやる気はありますか?』ということを問わなければならない。私に向く期待値は、当然勝つこと。ただ勝敗を問わず、どの方向に向かっているか見失わないことが何より大事だ」

 【注1】2013年4月、当時筑波大2年の福岡は、ジョーンズHCに快足を見いだされアジア5か国対抗のフィリピン戦で日本代表デビュー。15年W杯ではスコットランド戦1試合に出場した。19年W杯日本大会では、出場4試合で4トライを記録。同5トライを挙げたWTB松島幸太朗(東京SG)との“ダブル・フェラーリ”で日本の史上初の8強入りに貢献した。

 ◆15年イングランドW杯 初戦でW杯優勝経験国で当時世界3位の南アフリカに34―32で、スポーツ史上最大の番狂わせと言われる「ブライトンの奇跡」を起こす。W杯史上初めて計3勝を挙げながらも1次リーグ敗退を喫した。第1次エディー政権は通算48戦で34勝1分け13敗。

 ◆エディー・ジョーンズ 1960年1月30日、オーストラリア・タスマニア生まれ。64歳。シドニー大卒。2003年、母国の代表監督としてW杯準優勝。09年、サントリー(現・東京SG)GMに就任し、10年度に監督兼任で日本選手権V。11年に日本代表HCに就任し、15年W杯で3勝。同年11月にイングランド代表監督に就任も、22年12月に解任。23年1月にオーストラリア監督に就任し同年W杯は1次リーグ敗退、11月25日付で退任した。母は日系米国人2世。家族は日本人の妻と1女。

 取材後記 インタビュー室に入ってきたジョーンズ氏は、歩み寄って右手を差し出してくれた。柔らかな笑顔とともに日本語で「よろしくお願いします」。15年W杯で歴史的3勝。穏やかな接し方、時には真剣な口調が印象的で「エディーさん」と親しみを込めて呼ばれるのが分かった。

 指導者を始めた1996年との違いを聞くと「今の若い子は『こうしなさい』と指示するのではなく“導いてあげる”ことが大事」と力説。U―20合宿でも指導したFW第3列の石橋チューカ(20)=京産大=を愛情を持って「チューカドン(中華丼)」と呼ぶなどムード作りも欠かさない。日本代表を指揮した9年前から自身も変わったようで「今はおじいちゃんみたいな存在」と笑った。

 最近、マルチーズを飼い始めたそう。「この子はクレイジー(すごいの意)」と食事を素早く済ませてかわいがる溺愛ぶりで、ヒロコ夫人と都内を散歩している。「日本での挑戦が大好き」という指揮官。強く、優しくリードを引いていくだろう。(宮下 京香)