北照を春夏合わせて8度の甲子園出場に導いた河上敬也氏(65)がこのほど、札幌あすかぜの監督に就任したことが分かった。同校を退職後、相生学院(兵庫)、北海道フロンティアリーグ・美唄ブラックダイヤモンズで監督を務め、今春から選手わずか4人の公立校で再出発。まずは夏以降の単独出場を目指してチームを一からつくり上げる。

 ■「野球で恩返し」

 名将が高校野球界に帰ってきた。12人の教え子をNPBに送り込んだ河上監督が、9年ぶりに北海道の高校でユニホームに袖を通す。すでに本格的な指導を開始しており「北海道も公立と私学の差が開いてきている一方。私が指導すれば公立でも私学と同様、もしくは、それ以上の指導ができると知らせたい」と腕をまくった。

 北照を15年3月に退職後、16年3月から17年春まで相生学院で指揮を執った。その後は、体調を崩していたこともあり高校野球の監督からは身を引いていたが「このまま野球界を離れてもいいとは思っていたけど、人生一度ですから、いろんな形で恩返しをできるのは野球」と、もう一度立ち上がった。昔から親交があり、22年夏まで札幌あすかぜの監督を務めていた川村裕氏から依頼され、復帰を決断した。

 北照では春5度、夏3度の甲子園に出場。春は2度8強入りの実績もあるが、当時から指導を取り巻く環境が大きく変わったことは重々理解している。9年前は不祥事で退職しており「北照時代のような指導を全くするつもりはないし、できるわけでもない。そういう中で自分が何ができるか挑戦してみたい」と足元を見つめている。

 ■北海道に風穴を 

 65歳。満身創痍(そうい)でグラウンドに立つ。昨年には腰のヘルニアの手術を受けた。左手首の靭帯(じんたい)も痛めてサポーターを着けてノックを打つが、選手に向き合う熱量は9年前と変わらない。「色んな成功や失敗が過去にたくさんあった。それをもう一度振り返ってやってみたい。もちろん野望もある。北海道は甲子園に行くには私学しかないと言われている時代ですから、そこに風穴を開けてみたい」。胸に秘める思いは「初めからもう一度」を意味する「Start Over」。3季通じて道大会出場経験のない弱小校で、新たな指導者生活をスタートさせる。(島山 知房)

 ◆札幌あすかぜ 札幌稲西と札幌稲北の再編統合により、2011年に開校した道立校。野球部も同年に創部した。3季通じて道大会(夏は南大会)出場なし。19年夏に札幌地区代表決定戦に出場したが、札幌大谷に0―11で敗れた。

 ◇河上 敬也(かわかみ・たかや)1959年4月1日、小樽市生まれ。65歳。北照高時代は外野手。3年夏は南北海道大会準決勝で敗退。81年に母校の監督に就任し、91年夏に甲子園初出場。2000年春に甲子園初勝利を飾り、春夏合わせて8度甲子園に導いた。甲子園最高成績は10年春と13年春の8強。15年3月に退任後は、兵庫・相生学院高と北海道フロンティアリーグの美唄ブラックダイヤモンズで監督を務めた。家族は妻と2女。