◆第91回日本ダービー・G1(5月26日、東京競馬場・芝2400メートル)

 3歳馬の頂点を決める第91回日本ダービー・G1は26日、東京競馬場で行われる。主役は無傷3連勝で皐月賞を制したジャスティンミラノ。史上8頭目となる無敗の春2冠制覇に挑む。現役単独最多3勝を誇る友道康夫調教師(60)=栗東=はスポーツ報知に独占手記を寄せ、大一番に向けた熱い胸の内を明かした。

 日本ダービーまで、あと1週間を切りました。馬に携わる人間には、やはり特別な舞台。キャリアを積めば積むほど、重みを感じるようになりました。私は3度勝たせてもらっていますが、何度勝っても、また勝ちたい。それがダービーです。

 ジャスティンミラノは前走後も厩舎で調整しています。うちはマカヒキ、ワグネリアン、ドウデュースの勝った3頭を始め、ダービーに使う馬は中間に放牧へ出していません。自分の手元に置き、悔いのない状態で送り出したいからです。今回も厩舎として慣れている形の調整。不安はありません。

 皐月賞は戦前から厳しいと思っていました。跳びが大きな馬でトリッキーな中山向きではなく、相手も強い。レースも前半1000メートルが57秒台のハイペースを好位で追走しましたから。4コーナーで鞍上の手が動いて、ダメかな、と。しかし、ラスト1ハロンからグイグイ伸びてきた時は本当に驚きました。意外性があるというか、本番にいくとすごい馬なんですよね。

 今年は無敗2冠を狙う立場となり正直、驚いています。昨年の秋でした。家で妻に「来年のダービーは出れないかもしれない」と漏らしたことがありました。現3歳世代は多くの馬が勝っていました【注1】が、大舞台へ手応えを持てるほどの飛び抜けた存在はいなかったんです。

 特にジャスティンミラノは後肢が緩く、育成の進み具合はうちの同じ組の中で最も遅かった。私はダービー馬とは早くから動ける早熟ぐらいの馬でないと、と思っています。勝った3頭は春過ぎにはデビューまでのめどが立っていました。しかし、この馬は春どころか、夏にも牧場と入厩の話さえ出なかった。ようやく栗東に入ってきたのは9月末。ゲート試験だけとりあえず、という感じでした。

 信じられないほどの急成長を遂げたのは11月に新馬を勝った後の3か月。正面から見ると本当に薄かった馬体にグンと横幅が出て、明らかに迫力が増しました。そして、忘れられないのが強敵相手だった共同通信杯【注2】の1週前追い切り。騎乗した藤岡康太騎手が下馬直後に「来週使えば、3歳の勢力図が変わるかもしれませんよ」と驚いたように伝えてくれたのです。私の見た感じと、彼の乗った感じの一致に手応えが深まり、言葉通りの快勝。レース後に電話で「やっぱり勝ちましたね」と祝福してくれたのを覚えています。

 彼が亡くなって【注3】1か月以上がたちました。まだ調教中でも、競馬場でも、競馬と関係ない時間でも、あの明るい笑顔を思い出すことがよくあります。調教を手伝ってもらうようになって10年以上、毎週のように顔を合わせていましたからね。

 今年は私が勝ちたいというより、ジャスティンミラノにダービー馬になってほしい。何より、この馬が勝てば、藤岡康太という騎手が調教していた馬が頂点に立ったという記憶が長く残るはず。彼のことが忘れられないためにも、何とかダービー馬にしたいと思っています。(JRA調教師)

 【注1】友道厩舎は昨年末の時点で2歳馬は10頭で12勝(調教師別6位)を挙げていた。

 【注2】前年の朝日杯FS・G1の1、2着馬(ジャンタルマンタル、エコロヴァルツ)がそろって参戦。レースは戸崎が騎乗した。

 【注3】ジャスティンミラノのデビュー前から調教に騎乗。4月6日の阪神7Rで落馬して救急搬送され懸命の治療が施されたが同10日、意識が戻らないまま35歳の若さで亡くなった。

 ◆友道 康夫(ともみち・やすお)1963年8月11日、兵庫県出身。60歳。89年5月にJRA競馬学校厩務員課程入学。同9月から栗東・浅見国一厩舎で厩務員。同11月に助手となり、96年11月から同・松田国英厩舎で助手。2001年に調教師免許を取得し、02年11月開業。JRA通算4973戦725勝。重賞は現役2位のG119勝を含む65勝。