自身が抱える難聴と向き合い、世界に挑戦しようとしている人がいます。

生まれつき難聴である湯野琉世(Instagram:ryusei_yuno__5)さんは、デフサッカーの日本代表です。デフサッカーとは聴覚障がい者のサッカーであり、競技中は補聴器を外すことが義務付けられています。

今回湯野さんにデフサッカー日本代表としての今後の目標についてなど話を聞きました。

サッカーとの出会い

湯野さんがサッカーを始めたのは小学1年生の頃。お兄さんの影響で地域のサッカークラブチームに入団しました。幼稚園の頃はよく友達とボールを蹴って遊んでいたとか。幼いころからサッカーに興味があったようですね。

「父が野球経験者だったため、サッカーか野球で迷いましたが、野球のデッドボールが怖くてサッカーを選んだのも1つの理由です(笑)」

“日の丸を背負う”という夢を幼いときから掲げていた湯野さん。ロアッソ熊本や、サムライブルーの試合にもよく両親に連れて行ってもらっていたそうで、その頃からすでに「サッカー選手になりたい!」という夢を持っていました。

試合中の困難

高校までは健聴者とともにサッカーをしてきた湯野さん。健聴者とサッカーをすることで困ったこともあったようです。

「コミュニケーションの部分で大変苦労をしました。音を拾う補聴器のマイクが前向きについているため、後ろからの指示が聞こえないことや味方との連携が取れないといったことが多々ありました。また、補聴器が水に濡れると壊れてしまうことから、雨の日の試合は補聴器を外してプレーしていました。そのため、審判の笛も味方の指示もあまり聞こえていない状態でした」
広いフィールドでは音も情報の一つ。音が聞こえない状態での試合は大変だったと思います。

湯野さんが行っているデフサッカーは、試合中に補聴器を外してプレーすることが義務付けられています。味方の指示や審判の笛、相手の足音がまったく聞こえません。無音の状態で試合をしているとのこと。試合中に味方への指示が通らないことが健聴者のサッカーとの一番大きな違いだと湯野さんは感じたそうです。

デフサッカーでは、試合中の選手同士のコミュニケーションは大きく分けて3つ。手話、アイコンタクト、ジェスチャーがあります。

声で伝わらないぶん、手話を用いて伝えます。試合中、いつどのタイミングで伝えないといけないかも考える必要があるとのこと。

デフサッカー日本代表として

2023年のマレーシアで行われた世界ろう者サッカー選手権大会で、準優勝に大きく貢献する得点を決めた湯野さん。デフサッカー日本代表であることをどのように捉えているのかについて聞いてみました。

「形は違えど、小さいときから掲げていた”日の丸を背負って戦う”という夢を叶えられたのですごく嬉しかったです。その反面、責任がすごく伴います。1つのパスミスや判断ミスが失点に繋がり負けにつながることもあるので、日の丸を背負っている以上、責任感をしっかり持って試合に臨んでいます」

夢を叶えることができた嬉しさの反面、代表ならではの責任感もあるようです。

また、湯野さんがデフサッカーに出会ってから、気持ちに変化があったそう。

「ろう者と会う機会が増えたことで、自分も手話を覚えることができて新たな発見がたくさんありました。手話を用いて話すことが今ではすごく楽しいし、誇りに思います」と湯野さん。

湯野さんは、現在手話教室を開いています。デフサッカーに出会った2018年から、たくさんのろう者と出会い、見て真似しての繰り返しで2年ほどで手話を覚えたそうです。

2年ほど前に、湯野さんがサッカー選手として活動していた山口県下関市で「手話を勉強したい」という声があり「手話で話せる場を作ろう!」と、手話教室の企画を始めました。

ろう者の人と関わること自体がとても楽しく、自身を必要としてくれる人もいるため、すごく充実した時間を過ごせていると湯野さんは感じているそうです。

さらにパワーアップした姿を

「デフサッカー日本代表選手として結果を求め続けることはもちろん、障がいのある子どもたちへ夢や希望を与えられる存在になれるように努力したいと思っています。そして、個人的に2024年3月11日からドイツへ1年半程サッカー留学に行きます。ドイツは言葉もまったく通じない、サッカーのレベルもとても高い国なので楽しみです。ここでさらにパワーアップして第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025で皆様に感動と勇気を与えられるように頑張ります!今後とも応援よろしくお願いします」と、熱い思いを語ってくれました。

第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025は2025年11月25日と26日に開催されます。湯野さんのさらなる活躍を期待しましょう。

【参考資料】
JFA.jp『障がい者サッカー』

ほ・とせなNEWS編集部