「イトーヨーカドー」の大量閉店が話題になっている。

 かつては総合スーパーの代名詞というほど隆盛を極めた同店が、なぜここまで追い詰められてしまったのか。既に多くの専門家やメディアが分析をしているが、その中でよく言われているのは、「2階以上がもうからない」ということだ。食料品はそれなりに売れているのだが、粗利率の高い衣料品や日用雑貨などが苦戦しているのだ。

 これは近所にイトーヨーカドーがある人はよく分かるだろう。夕方になると食料品フロアは混雑しているのだが、2〜3階に上がると売場はガランとしていることがよくある。

 今や衣料品を買おうと思ったら、ユニクロ、ジーユー、ワークマン、H&M、しまむら、西松屋などニーズに合わせた選択肢が山ほどある。日用雑貨もしかりで、ダイソーなど100円ショップからウエルシアのようなスーパー的なドラッグストア、カインズのようなホームセンターまで多種多様な店舗があふれている。そんな中でわざわざイトーヨーカドーで服を買いそろえ、日用雑貨を買う客は多くない。

 もちろん、そこには「立地戦略のミス」も大きく影響する。例えば、イトーヨーカドーと同じく衣料品事業にも力を入れている「ライフ」は、東京・大阪という都市部に出店を「集中」している。都市部は自転車や徒歩で移動する人が多いので近所にユニクロやダイソーがない人たちはライフで食料品を買いながら、2階の衣料品コーナーで服を買い、日用雑貨を購入するという消費行動パターンが生まれる。

 しかしイトーヨーカドーの場合、全国展開している関係でユニクロやニトリ、大手ドラッグストアが軒を並べる国道沿い店舗も少なくなかった。そのため「2階以上がもうからない現象」が全国のイトーヨーカドーにウイルスのように広がり、今回の大量閉店となったというワケだ。

 ただ、これらはあくまで「結果」であって「原因」ではない。イトーヨーカドーに「2階以上がもうからない」「立地戦略のミス」という状況を引き起こした本質的な問題は別にある、と個人的には考えている。

●イトーヨーカドーの現状を引き起こした「病」とは

 それは何かというと、「撤退できぬ病」である。

 聞き覚えのない響きに困惑する人も多いだろうが当然だ。これは筆者が報道対策アドバイザーとしてさまざまな「問題企業」にかかわるうちに気付いた、多くの企業に共通している組織病理を勝手に命名したものである。

 では、「撤退できぬ病」とは具体的にどういうものかというと、明らかに破綻が目に見えている事業や、どう考えても到達不可能な目標などから経営者が目を背け続けて、「やめます」の一言が言えず問題を先送りにしてしまうことである。

 「ここまで何十年も続けてきたことをそう軽々とやめられない」

 「会社の根幹にかかわることなので、社内で議論を尽くして慎重に判断すべきだ」

 「雇用を守り、お客さまや取引先へのご迷惑がかからないように熟慮すべきだ」

 こんなもっともらしいことを言っているうちに時間だけが経過して、気が付けば目も当てれないほどの大損害。「こんなひどいことになるんだったら、もっと早くスパッと撤退しておけばよかった」と自分たちの優柔不断さを悔いる企業が少なくないのだ。

 イトーヨーカドーはそんな「決められない会社」の典型的なパターンに陥っている可能性が高い。それがうかがえるのが、23年に同店が衣料品事業から撤退した際のプロセスを報じた『読売新聞』だ。

 『改革案に「撤退」の文字を盛り込むかどうかは最後まで迷いもあった。内部からは、「プライドや雇用もあって、衣料品はやめられない」との声も聞かれた」(読売新聞 23年3月10日)

●かなり前から指摘されていた問題

 厳しい言い方だが、イトーヨーカドーはこういう「撤退すべきか否か」を社内で議論すべきタイミングはとっくの昔に過ぎている。

 先ほど紹介した「2階以上がもうからない」「立地戦略のミス」問題は、実はかなり昔から流通ジャーナリストや専門家から指摘されていた。

 ご存じのように、2000年代に入ってユニクロ、しまむら、ニトリなど「非食品」の専門チェーンが成長して全国展開していくと、百貨店や総合スーパーは衰退の一途をたどっていく。イトーヨーカドーの売上高も右肩下がりとなり、最終利益は05年以降ガクンと落ち込んでいた。同店の行く末を案じる人々は「今、何か手を打たないと本当にヤバいことになりますよ」とかなり危機感をもって苦言を呈していた。

 しかし、イトーヨーカドーが「もうけられない」という構造的な問題に陥っていた衣料品事業からの「撤退」を決断したのは23年春。しかも、『読売新聞』の記事にあるように、最後まで揺れていたのである。

 「とにかく決断のスピードを求められる外資と違って日本企業は慎重に議論を尽くす」という国民性を考慮しても、この異常なまでの「寝かせっぷり」は、残念ながら重度の「撤退できない病」だったと言わざるを得ない。

 さて、そこで次に気になるのは、なぜイトーヨーカドーは「撤退」できなかったのかということだろう。「そりゃあ雇用を守るためだろ」という人もいるだろうが、それはかなり疑わしい。

●イトーヨーカドーが「撤退」できなかったワケ

 「撤退」を決断せずに改革を先延ばしにすればするほど事態は悪化していくので、人員整理も大規模になっていく。『WBS(ワールドビジネスサテライト)』(テレビ東京系、23年9月)の報道によると、2500人規模のリストラ計画が検討されているという。しかし、『日本経済新聞』が2月29日に報じたところでは、正社員の1割に当たる700人が早期退職に応募したそうだ。つまり、人員整理は今後も続いていく可能性が高い。

 本当に「雇用を守る」ことを第一に考えているのならば、こんな事態になる前に「もうけられない衣料品事業」からの撤退を決断し、段階的に他部署や成長分野へと人員を移していくことがベストだったことは言うまでもない。

 それを23年まで先送りにしたということは、イトーヨーカドーにとって「雇用を守る」ことよりもはるかに大事な「何か」を守っていたからだ。では、何がイトーヨーカドーの経営陣に撤退を思いとどまらせていたのかというと、その答えは先ほど紹介した『読売新聞』の記事に出ていた。

 「プライド」である。

 実はイトーヨーカドーはもともと衣料品店だ。イトーヨーカドー、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの設立者である伊藤雅俊氏の叔父にあたる吉川敏雄氏が1920年、東京・浅草で始めた「羊華堂洋品店」が前身である。戦後、この衣料品店を伊藤氏が引き継いで58年に「ヨーカ堂」を設立した。

 つまり、衣料品事業というのはセブン&アイグループにとって「祖業」であり、創業者・伊藤氏の魂を現代に引き継ぐという意味でも、非常に重要な位置付けなのだ。伊藤氏を崇拝している経営陣としては、「もうからない」という理由くらいで「創業者の魂」を捨てる決断などできるわけがない。

●セブン-イレブンにも似た傾向が

 実はこのように「プライド」が邪魔をして、時代とマッチしないビジネスモデルから撤退ができない傾向は、同じセブン&アイグループのセブン-イレブンにも見られる。

 覚えている人も多いだろうが2019年、セブン-イレブンの「24時間営業問題」が注目された。人手不足から24時間営業を取りやめたセブン-イレブンの元加盟店オーナーとFC本部が対立して訴訟にまで発展した。こうした事態を受けて、一部で「奴隷契約」と揶揄(やゆ)されるFC本部とオーナー間の力関係も注目され、セブン-イレブンが創業時から続けてきた同一地域内で同じコンビニを集中出店させていく「ドミナント戦略」なども批判を集めたのだ。

 しかし、セブン-イレブン側は「24時間営業」「ドミナント戦略」の継続を表明した。どちらも人口増加を前提としたビジネスモデルなので、人口が急速に減っていく現代では現場にブラック労働を強いるだけだ。遅かれ早かれ「破綻」が見えている。しかし、セブン-イレブン経営陣はかたくなに「撤退」を拒んでいる。

 なぜかというと、これは先ほどと同様、セブン-イレブン・ジャパンを立ち上げて、ここまでの巨大チェーンに成長させた鈴木敏文元会長がドミナント戦略を「経営の根幹」と位置付けているからだ。同一地域内での「支配」を強めるのに、24時間営業は欠かせないことは言うまでもない。

 つまり、セブン-イレブンにとっての「24時間営業」や「ドミナント戦略」は、イトーヨーカドーの衣料品事業と同じく「創業者の魂」なのだ。だから、ちょっとやそっとのことで撤退できないのである。そのあたりの考察については、以前記事を書いている。

 その中でも解説をしているが、「撤退できぬ病」は「集団合議」で物事を進めていくことが多い「日本型組織」の典型的な病理だ。そして、その先には往々にして「破滅」が待つ。

 分かりやすいのは「インパール作戦」だ。

●インパール作戦とは?

 およそ3万人が命を落とし、世界中の戦史家から「太平洋戦争で最も無謀」とボロカスに酷評されるこの作戦について、実は大本営でも否定的な声が多かった。戦況報告を受けた陸軍幹部たちも心の中では「撤退すべきでは」と揺れていて、東條英機もそうだった。

『この報告の場には、参謀本部・陸軍省の課長以上の幹部が同席していたので、東條としては陸軍中央が敗北主義に陥ることを憂慮したのであろう。このあと別室で2人の参謀次長だけとの協議になったとき、東條は「困ったことになった」と頭を抱えるようにして困惑していたという』(防衛省 戦争史研究国際フォーラム報告書 戦争指導者としての東條英機より)

 しかし、この無謀な作戦は進められる。東條をはじめ幹部たちは「撤退」を言い出すかどうか最後まで迷いながら、誰も強く言い出さなかった。そして、この作戦に至るまで多くの犠牲者を出している陸軍内部でも「これまで散っていった戦友たちのためにも、今さらやめられない」というムードが強かったからだ。つまり、陸軍は「プライド」によって自縄自縛の状態だったのだ。だから幹部は誰も「こんな無謀な作戦から徹底しよう」の一言が言い出せず沈黙し、最前線の兵士たちを「負け戦」に突っ込ませてしまったのである。

 戦争と企業活動という違いはあるものの、このあたりの構造はほとんど変わらない。

 「集団合議」の日本型組織では、幹部たちが「撤退できない病」に蝕(むしば)まれて、結局誰も何も決断をすることなく、問題を先延ばしにしていくことが多々ある。そして「ヤバいなあ。このままだったらヤバいよなあ」とつぶやきながら、組織全体が破滅に進んでいく。

 100年の歴史を持つ名門企業ですら、この「病」には無力だった。皆さんの会社もぜひお気を付けていただきたい。

(窪田順生)