いま国会で議論されている議案の中で、日本のビジネスパーソンも注目しておかなければいけない話がある。

 セキュリティ・クリアランス法案である。

 この法案の正式名は「重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律案」で、今、通常国会に提出されている。この法案は一部で物議を醸しており、特に野党からは反発の声も上がっている。というのも、この法案の内容は民間企業の従業員などにも決して無関係ではないからである。

 セキュリティ・クリアランスという言葉自体は、ニュースで耳にしたことがあるという人は少なくないだろう。そこでこの法案について、私たちに実際どんな影響があるのか、分かりやすく解説してみたい。

 そもそもセキュリティ・クリアランスとは、日本語では「適性評価」と訳される。では、何の「適性」を評価するのかというと、日本の機密や極秘の情報を扱う資格をその人に与えていいかという適性を政府が調査するのである。

 現在、すでにこの適性評価は一部で行われている。日本では、2014年12月施行の「特定秘密保護法」という法律で定められた「適性評価」をクリアしている人だけが、日本政府が指定する機密や極秘情報を知ったり、扱ったりできるのだ。

 今のところ、その適性調査を受けて国家機密を扱う資格を有しているのは大多数が公務員である。この法律はもともと、日本が米国などと共有する機密情報を漏らさないように、米国の強い要請を受けて、当時の安倍晋三政権が野党の強い反発がある中で成立にこぎつけた法律だった。

●先端技術も「守るべき情報」に

 ただ、特定秘密保護法では、日本政府が守るべき情報として指定する機密や極秘の情報は次の4分野に限られていた。防衛、外交、テロ活動、スパイ活動防止である。繰り返すが、今こうした国家機密は、適性調査を行い、アクセスできる人を制限しているのである。

 「え、たったの4分野だけなの?」と意外に思った方もいるかもしれない。実は、最近では、国家が守るべき情報はこうした4分野にとどまらなくなっている。そこで、守る情報の範囲をAIや半導体、サイバー分野などの先端技術に広げ、適性評価を行って、その評価をクリアした人でなければそうした情報を扱えないようにすることにした。

 それを法制化するために、このセキュリティ・クリアランス法案が提出されたのだ。そして、そうした情報を扱うのは公務員だけでなく、民間の企業や研究所にも数多くいるため、対象が民間にも広がることになる。

 政府の職員や関係者が関わるような技術研究や開発、ビジネスなどは少なくなかったが、そこで扱われる情報は、他国に漏れると日本の国益を損なうものも多い。国家間の競争の中で、国力を高める目的でそうした情報の奪い合いが現実に起きていることも知られるようになってきた。昨今、「経済安全保障」とも呼ばれる分野である。

 例えば、23年6月には、国立研究開発法人である産業技術総合研究所の中国籍の上級主任研究員(50代)が「フッ素化合物」に関する最先端の研究データを中国企業にメールで送り、情報を漏えいしたとして不正競争防止法違反の疑いで逮捕された。セキュリティ・クリアランス制度ができれば、国立の研究所が扱う国家にとって重要な情報に中国籍の研究者がアクセスするのを制限できるため、こうした情報流出は避けられる可能性がある。

 また最近、外国のスパイ工作による情報収集などもニュースでよく目にするようになった。そんな背景から「情報を守るにはセキュリティ・クリアランスが不可欠である!」という声が高まった。

●反対派の懸念とは

 さらに、影響はビジネス分野にも及んでいた。国際的な先端技術の共同開発といった舞台でも、日本企業や日本人ビジネスパーソンがセキュリティ・クリアランスを持っていないために、「仲間はずれ」にされるケースも少なくなかったからだ。

 例えば、先端技術を扱うビジネスにおいて、開発部門では「日本人はセキュリティ・クリアランスがないから、研究室に入ってはダメ」と、核となる技術について情報共有してもらえなかったり、国際会議で英国の機密に関わる技術の説明会から追い出されたりしたという話も耳にしたことがある。さらに、セキュリティ・クリアランスがないために商談がまとまらなかったという話も実際に起きているという。

 こうした観点からも、セキュリティ・クリアランス法案を一刻も早く通さないと国際的な競争力を削ぐことにもつながりかねなかった。先進国はどこも持っているこの制度は、今の時代には日本にも不可欠だ。

 ところが、である。この法案に反対する人たちから問題視されていることがある。

 セキュリティ・クリアランスの資格を得るには、個人のプライベートに突っ込んだ適性評価の調査をクリアする必要があることだ。まず、調査書類にあるプライベートな質問に答え、そこで問題がありそうなら、政府組織から調査を受ける可能性がある。

 すでに述べた通り、特定秘密保護法では、適性評価の対象はほとんどが公務員だった。しかし、今回の法案では、民間企業の従業員にもいろいろな質問をして調査する必要がある。これを「人権問題だ!」「プライバシーの侵害も甚だしい!」「けしからん!」と指摘する声がある。社民党の福島瑞穂党首は「これは一億総身辺調査法だ」と、この法案を批判している。

●どこまでプライベートを調査される?

 そこで筆者は最近、特定秘密保護法や公務員法などに絡んで、現在使われている適性評価の適格性の質問票を入手した。これと同じような項目を、セキュリティ・クリアランスの適性評価でもチェックされることになる。どこまでプライベートなことを聞かれるのか、ここで紹介しよう。

 例えば、外国人に知り合いがいるかどうか。「外国人に身元の保証や住居の提供は行ったことがあるか」と聞かれる。さらに外国人から「飲食接待を受けたことはあるか」という質問項目もある。

 また、犯罪歴や懲戒処分の経歴も問われる。さらに、業務上の秘密を部外に漏らしたことはあるか。会社などで指導監督上の措置を受けたことがあるかも聞かれる。

 違法な薬物の使用や、精神疾患の治療歴も答える必要がある。「薬物を容量を著しく超えて服用したことがあるか」という質問もある。また、躁うつ病や統合失調症になったことがあるか。精神的なカウンセリングを受けたことがあるかも聞かれる。

 加えて、飲酒量についても答える必要がある。過去に酒でトラブルを起こしたことはないか、依存症ではないか、などだ。個人の経済状況も問われ、借金やローンの有無、自己破産歴なども聞かれる。

 こうしたプライベートな部分まで適性評価は及ぶ。これから日本政府や政府機関が絡んだり、国家間の技術開発に関わったりするビジネスや事業にどこかで携わる民間企業や民間の研究者などは、この適性評価をパスしないことには、開発チームから外されたりプロジェクトやビジネスに関われなくなったりする可能性がある。

 もしあなたが、会社などでこうした質問に答えなさい、と指示されたらどう思うだろうか。日本では違和感を覚える人がいるかもしれない。その背景には、日本特有の労働環境に関する事情がある。厚生労働省は、民間の事業者に対して、雇用に関して、就職希望者や従業員に国籍や通称、犯罪歴、懲戒歴などを聞いてはいけないと指導している。だがセキュリティ・クリアランスではそれ以上に突っ込んだ質問をすることになり、そこに整合性がなくなるとの批判も出ている。

●国の未来を守るため、法案は不可欠だ

 しかしながら、世界に目をやると、国家の重要情報を扱う資格を得るためにこうした突っ込んだ調査を受けるのは当たり前になっている。米国のセキュリティ・クリアランスのための評価調査票を見ると、質問項目は100ページを超えるほど事細かなものだ。さらにもっと機密度の高い情報を扱うとなると、うそ発見器による調査まで受けなければいけない。

 事実、筆者は、元CIA(米中央情報局)幹部の知り合いの履歴書を見せてもらったことがあるが、そこには「Top Secret/SCI(トップシークレット/機密隔離情報)のセキュリティ・クリアランス所持、全てのポリグラフ調査もパスしている」と記載されていた。要は、セキュリティ・クリアランスとは国家の根幹を支える重要な資格なのである。

 国家機密を漏らされたら国民の生命と財産に多大なる影響を与える。それを考えれば、当然だと思うのは筆者だけではあるまい。

 セキュリティ・クリアランスでは、適性評価の調査は、あくまで任意である。「そんなことを聞かれてまで仕事したくない」と考えれば拒絶することもできる。ただ重要情報を扱う仕事ができなくなるだけである。

 世界のスパイ機関や、日本や世界で暗躍する諜報員、スパイを摘発する側の防諜組織などを取材している筆者から見ると、国の安全と発展を維持するには、防衛や外交、テロ対策などだけでなく、ビジネスや経済分野にもセキュリティ・クリアランス制度を導入するのは絶対に不可欠だ。

 さもないと、日本は国際的に排除されてしまうだけでなく、国民の未来も守れなくなってしまうのである。

 これまで情報管理の甘さが外国から指摘されてきた日本が、やっと先進国並みに情報を管理する方向に動いている。あとは、情報を盗もうと工作を行うスパイ行為への対策である反スパイ法なども必要になるだろう。ただそれにはまだまだ時間がかかりそうだ。

(山田敏弘)