コロナ禍の若手の奮闘に希望を見た

――個社の状況は、どのように収集しているのですか。

中村 くしくも、コロナ禍が大きな契機になりました。2020年のコロナ感染拡大時、徳島大正、香川の両銀行は、「ゼロゼロ融資」などの制度を活用しながらお客さまを支援しようとしていました。ただ緊急事態の中、お客さまの現状をより正確につかむことが難しい状況でした。

 そこで、改めて全てのお客さまの状況を再確認することにしました。そこから上がってきた情報を、各銀行経由で、ホールディングスの私たちも確認することができました。

 現場の奮闘もあり、両行合わせて2万数千社のミクロの情報が、極めて短期間で集められました。それによって、個社に合わせたコロナ対策、事業支援ができたと思います。

 そしてコロナ後の現在、この情報は当社の大きな財産になっています。それまでは、金融緩和が続いたこともあり、お客さまとの距離が少し遠くなっていました。それがコロナによってぐっと近くなった。リアルタイムの情報を収集し、継続的な接点をつくり直すきっかけになったことは間違いありません。

 コロナの影響は甚大で、お客さまに大きな影を落としたことは事実ですが、コロナ禍のこの活動によって、今後の事業支援の基礎となるニーズの把握には大いに役立ったと思っています。

――ミクロの状況が分かったことで、行うことができた支援にはどんなものがあったのですか。

中村 徳島県では、コロナ禍で防護服が枯渇した際に、ある病院が農業用の不織布を使って、介護に使う簡易的な防護服を作ろうとしていました。しかし、不織布の布地は入手できたのですが、それを縫製する手だてがなく、困っていました。そこで徳島大正銀行の取引先で、縫製ができる会社を紹介して、防護服を作ったという例があります。

 また香川銀行の例では、コロナ禍で窮地に立った結婚式場の運営会社を、レストランとホテル事業中心の業態に転換する支援もいたしました。これらだけでなく、あのタイミングでお客さまと膝詰め談判で議論し、知恵を出し合うことで危機を乗り越えた事例は多数存在します。当社は銀行の立場で、必要な場合は融資も実施しながら、チャレンジを続けていました。

 コロナ禍の動きを見て、私が感じたのは、先ほどお話ししたミクロ情報の収集をはじめ、最前線の活動は、営業店の若い行員たちの力によるものが大きいということです。感染が拡大し、厳しく不安もある中で、若手が必死に情報を取ってきて、経営者と向き合うきっかけをつくってくれました。

 ホールディングスの社長として、私はこのことに誇りを感じています。同時に、当社グループの未来へ明るい希望を見ました。もちろん、彼らにとっても、非常事態のなかで経験した人間対人間のぶつかり合いは、代え難い成長の機会になったと思います。