生麦事件と江戸との出会い

 サトウが来日して6日目の1862年9月14日、薩摩藩士が上海のイギリス人商人リチャードソンらを殺傷する生麦事件が勃発し、政局を揺るがす大事件に発展した。サトウは、神奈川方面にリチャードソン救出に向かう騎馬自衛軍団をホテルの前で見送ったが、その後サトウと親交を深めるイギリス公使館付医官ウィリアム・ウイリスは、生麦事件の現場に急行して惨状を目撃している。

 12月2日、代理公使ニールは第2次東禅寺事件の賠償金4万ドルの要求と、生麦事件の協議のため江戸を訪問した。サトウは臨時通訳官のシーボルトらと一行に加えられ、初めて江戸訪問を経験したのだ。ユースデンとウイリスは海路を、サトウらは東海道を東禅寺へ向かったが、横浜から江戸への所帯道具一式を携えての大移動は手間と経費がかさみ、江戸公使館の建設が急務であることが認識された。

 12月3日、サトウはニールに同行して、品川御殿山に建設中のイギリス公使館を視察し、その美しさと壮大さを日記に詳述した。そして、12日に江戸を引き揚げるまで、愛宕山、王子、十二社(じゅうにそう)の池(西新宿4丁目、1968年(昭和43)新宿副都心計画で埋め立て)、洗足池、目黒不動、浅草、神田明神、上野不忍池、芝明神前などへ馬で遠乗りして観光した。こうした体験は、サトウが日本文化に造詣を深める出発点となったのだ。