3月上旬、都内の公園でスタッフに囲まれて、吉田羊が桜の木の下を歩いていた。社会学者で、主人公親子と同居する向坂サカエ役を演じるドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)のロケだった。

「出演者もスタッフもテンションが高かったですね。ドラマが好調なだけに、現場の雰囲気もノリもよいのでしょう」(目撃した人)

吉田は出演中の大河ドラマ『光る君へ』(NHK)でも、藤原道長(柄本佑)の姉・詮子というキーパーソンを演じている。

「謀略家の父・兼家に翻弄される難役を好演しています。詮子役について吉田さんは『演じれば演じるほど孤独感にさいなまれてしまう。自分の目標達成のため手段を選ばない父親は憎悪の対象』と話されていました」(制作関係者)

そんな吉田の私生活はベールに包まれているがーー。

「“上京後、3回は結婚しようと思ったけれど、もう独り暮らし歴が30年過ぎちゃった”なんて話をしていました」(前出・制作関係者)

吉田は福岡県久留米市で5人きょうだいの末っ子として生まれた。地元時代をあまり語らない彼女だが、’01年11月3日付の『西日本新聞』では、こう綴られていた。

《転機は大学3年のころ。何気なく眺めていた情報誌で、ページの欄外にある小さな“役者募集”の記事が目に止まった。注意して探した記事ではないが、何かが気になった。

福岡県久留米市の実家は教会。子どものころから賛美歌が好きだった。人前で歌ってハーモニーを聞かせ、拍手をもらうのが気持ちよかった。「それに、8歳上の姉が演劇をやっていて、きらきらと輝く姉の姿にあこがれを持っていました」(*「 」内は吉田の発言)》

俳優業は両親には事後報告で、一切反対されなかったそうだ。自ら劇団を立ち上げ、20〜30代は都内の小劇場を中心に活躍。『HERO』(’14年)出演を機に遅咲きのブレークを果たすことになる。

幼稚園教諭として5人を育て上げた母は’17年に他界した。最期は仕事のためリモートで看取ったという。’21年5月21日に配信された「AERAdot.」の対談では両親について彼女はこう語っている。

《うちの父はね、基本的に、世のため人のために生きている人。(略)家族よりも、困っている人、悲しんでいる人を優先して生きているんです》 《私ね、父親っ子なんですよ、ファザコンで。何かしてあげたいとしか思ったことがない》 《父のことが好きすぎて、母とはちょっと険悪になることが多かったなぁ。(略)それは多分、母も自覚してたと思います》



■「ご家族でお父さまの活動を支えてーー」

実は吉田の父は教会での仕事に加え、地元のホームレス支援を行っていた。吉田の知人は言う。

「彼女の父親は’91年から地元・久留米市内で野宿生活を強いられているホームレスを支援しています。もともとは’90年、久留米市内で起こった野宿者同士の殺人事件が契機となり、市内の野宿者をサポートする必要性を感じた吉田さんの父が支援団体『久留米越冬活動の会』を立ち上げたのです。公園での炊き出しや衣類配布、悩み相談に乗ったり、凍死や人権侵害を未然に防止する活動を長年行っています。一般の方にも広く援助を呼びかけています」

「久留米越冬活動の会」の担当者は本誌の取材にこう語る。

「吉田さんはご夫婦で活動されていました。羊さんもお父さまと一緒にボランティア活動に参加していましたね。十数年前かな、まだ彼女がそこまでテレビには出ていないとき、炊き出しなどに来られていたのです。久留米市の小頭町公園で、ホームレスさんにご飯を作って、汁物を提供するようなことを一緒にされていました。

当時は何度も来られていましたよ。お父さまを尊敬していらっしゃったし、活動に賛同してご一緒にされていたんだと思います。お父さまはご年齢のこともあって、もう退いておられますが、ごきょうだいは今でも来ています。お母さま亡き後も、ご家族でお父さまの活動を支えられているのです」

別のインタビューでは、吉田は実父への感謝をこう明かしていた。

《母が他界して、残された父にこの先、いつまでも笑って暮らしてほしい。だから、父の考えに耳を傾け、尊重していく。それが育ててくれた恩返しであり、子の務めだと思います》(「日経クロスウーマン」’21年6月4日配信)

23年前の地元紙で記者に「地元公演は?」と尋ねられた吉田は、「今は東京で地盤を固める時期。まだまだ先の夢ですね」と語っていた。今年6月には主演舞台『ハムレットQ1』で初めて故郷・久留米市のステージに立つ。父も“凱旋”を楽しみにしているはずだ。