あの日と同じような晴天だった。尼崎JR脱線事故の発生から19年がたった25日、追悼慰霊式が営まれた「祈りの杜」(兵庫県尼崎市久々知3)には、朝から遺族や負傷者らが訪れた。発生時刻の午前9時18分前には、快速電車が事故現場のカーブを減速して通過し、多くの人が犠牲者を悼み、鉄道の安全を願った。

 快速電車は事故当日と同様、通勤通学客らで混み合った。車内には現場を通過する前、発生19年を伝えるアナウンスが流れた。

 「事故を心に刻み、安全運行に努め、安心してご利用いただけるよう全力をあげて取り組んでまいります」

 神戸市灘区の菅尾美鈴さん(75)は、長女(44)と参列した。事故で命を落とした長男吉崇さん=当時(31)=を思い、発生時刻に合わせて静かに目を閉じた。

 「事故からこれまで、心の底から笑ったことはない。楽しいことや面白いことがあっても、脳裏に吉崇がよぎるから」

 同県川西市に住んでいた吉崇さんはあの日、会社に向かうため、川西池田駅から快速電車の1両目に乗り込んでいた。菅尾さんは事故直後からメールを送り、電話を鳴らし続けた。「本当に乗っていたのかな」。前日に連絡を取ったばかりで信じられなかった。

 遺体安置所で目にした吉崇さんは、頭と腰の骨が折れ、裸で横たわっていた。そばにあった青い袋には、身に着けていたスーツや下着が入っており、手にするとずしりと重かった。「血がいっぱいしみ込んだのかもしれない」。体を動かしたら痛いだろうと、触れられなかった。

 中学の弁論大会で「大きなことはできなくても、人の心に光をともす存在でありたい」と語った吉崇さん。今も留学先の友人や会社の同僚が慰霊式に駆け付け、遺骨を埋葬した霊園を訪ねてくれる。かつての仲間たちは「とにかく優しかった」と口をそろえる。

 あれから19年。「つらいことがあっても慌てず、ゆっくりと頑張って」。亡き息子が呼びかけてくれている気がする。(千葉翔大)