倉敷美観地区の中心にある大原美術館。

楽しみ方はさまざまですが、複数人で訪れるときに体験したいのが「対話型鑑賞」です。

未就学児童向けのプログラムから、企業向けのプログラムまで幅広く展開しています。

大原美術館で対話型鑑賞の歴史を作ってきたのは、学芸統括 柳沢秀行やなぎさわ ひでゆき)さん。

なぜ大原美術館は対話型鑑賞をおこなうようになり、ひとつの文化として浸透してきたのでしょうか。

柳沢さんに、自身がその取り組みの形成期に感じていたことや、現在の思いを聞きました。

大原美術館とは

大原美術館

大原美術館は1930年(昭和5年)に設立された、日本で最初の西洋美術中心の私立美術館です。

本館、分館、工芸・東洋館に分かれており、収蔵点数は約3,000件。

エル・グレコ《受胎告知》、クロード・モネ《睡蓮》など、現代で高い評価を得ている名画の数々が展示されています。

大原美術館 モネ『睡蓮』

設立当時の日本では、本物の西洋絵画を観る機会はほとんどなかったそう。

「優れた作品を日本でも観られるようにしたい」と強く願った画家 児島虎次郎(こじま とらじろう)に賛同したのが、実業家 大原孫三郎(おおはら まごさぶろう)でした。

孫三郎の支援のもと、虎次郎が収集した西洋絵画が大原美術館の中核となっています。

開館時間など、詳しくは大原美術館ホームページを確認してください。

大原美術館でおこなわれている「対話型鑑賞」とは

大原美術館は、個人だけでなく団体で訪れることも可能です(要予約)。

なかでも注目を集めているのが「対話型鑑賞」。

多くの場合、美術館では静かに鑑賞するのがマナーですが、対話型鑑賞ではその名のとおり“対話しながら鑑賞”していきます。

作品を観て感じたことを共有する、個人での鑑賞とはひと味違うプログラムです。

大原美術館に限らず、さまざまな美術館で実施されています。

大原美術館_対話型鑑賞_柳沢さんファシリテート

大原美術館で対話型鑑賞を本格的におこなうようになったのは、2002年(平成14年)。

きっかけは、現在の大原美術館学芸統括 柳沢秀行やなぎさわ ひでゆき)さんが、大原美術館の学芸員になったことでした。

以来、柳沢さんは対話型鑑賞をおこなうための研修や、運営するうえでの仕組みを大原美術館内で作ってきたのです。

未就学児童学校団体向けのプログラムから始まり、今は企業向けの研修プログラムとしても提供するように。

約20年で、参加する目的や客層がかなり幅広くなっているのがわかります。

大原美術館では、対話型鑑賞がどのように浸透し、ひとつの文化といえるまで発展してきたのでしょうか。

柳沢さん本人に、現在に至るまでの経緯や思いを聞きました。

同じ作品を観ていても、人によって見方や感じ方は違う

写真提供:大原美術館
写真提供:大原美術館

──そもそも、対話型鑑賞とはどのようなものですか?

柳沢(敬称略)──

対話型鑑賞とは、美術館職員やボランティアのかたが担うファシリテーターとお客様、またはお客様同士の対話を通して、作品を鑑賞することです。

作品解説のようにお客様へ一方的に話すのではなく、作品を観て、感じたことを、互いに話しながら鑑賞していきます。

もともとは、ニューヨーク近代美術館で実施されてきたプログラム。

人種や価値観などの垣根を取り払う鑑賞方法として、綿密に研究され、実践されてきました。

日本に入ってきたのは、1980年代後半。

実際におこなうようになったのは、1993年(平成5年)です。

1990年代はじめに水戸芸術館や川村記念美術館などの学芸員たちが、ニューヨーク近代美術館へと視察へ行ったことから、日本でも実施機会が急速に増えていきました。

──対話しながらの作品鑑賞は、個人での鑑賞と何が違うのでしょう。

柳沢──

人はそれぞれ、見方や感じ方が違うんだ」と実感できるのが、対話型鑑賞の良いところです。

たとえば、家が描かれている作品を複数人で鑑賞するとします。

「何が印象的でしたか?」と聞くと、家の色、家の大きさ、家の住人など、さまざまな答えが返ってくる

すると「同じ作品を観ているのに、自分とは全然違うところを見ていたんだな」とか、「それ、描かれているの気がつかなかった!」とか、発見があるわけです。

一人で鑑賞しているときとは違う楽しみ方ができます。

また他者の視点を知ると、作品の見方や感じ方が変わることも多い。

その変化が不思議で興味深いとの感想は、参加者からよくいただきますね。

対話型鑑賞をおこなう「ファシリテーター」の育成から

大原美術館_対話型鑑賞_講義

──柳沢さんが対話型鑑賞に携わることになった経緯を教えてください。

柳沢──

対話型鑑賞を日本に広めた、京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センター前所長 福のり子さんの講演に参加したのが、最初のきっかけです。

その講演では、対話型鑑賞とはそもそもどういうものか、基礎から勉強させていただきました。

学んだことを自分なりに分析しながら、実際に自分が美術館でおこなう方法を考えるようになったのです。

1996年、当時岡山県立美術館の学芸員だった私は、初めて対話型鑑賞を企画・実施することに。

まずおこなったのは、岡山市域の中学校の美術教員や岡山県立美術館のボランティアさん、そして岡山大学の学生たちに向けた、対話型鑑賞をおこなうための研修でした。

一般的に「ファシリテーター」と呼ばれています。

ファシリテーターを育成したあと、中学生100名くらいに向けて対話型鑑賞を開催しました。

当時参加してくれた教員たちは今も対話型鑑賞のスキルを継承していますし、ボランティアさんたちはチームを作って、さまざまな美術館で対話型鑑賞をおこなっています。

対話型鑑賞を続ける仕組みを作れたのは、私にとって良い経験でした。

そして2002年。私は大原美術館の学芸員になります。

今までの経験を生かして、大原美術館でも対話型鑑賞を実施できるよう取り組んできました。

大原美術館に、対話型鑑賞のスキルをストックしていく

大原美術館_対話型鑑賞_資料

──では、柳沢さんが大原美術館に対話型鑑賞を広めたのですね。

柳沢──

広めたというか、仕組みを作ったのは私かもしれません。

ですが、実は2002年以前も対話型鑑賞のようなものはあったんです。

私が働く前から、大原美術館では未就学児童対象のプログラムがありまして。

「どうしたら子どもたちに作品鑑賞を楽しんでもらえるか」を考えるなかで、自然発生的に対話型鑑賞のようなものが生まれていました。

ただ、当時の職員たちは自分たちがやっていることが対話型鑑賞とは知らなかった

なので私が大原美術館の学芸員になったのを機に「対話型鑑賞とは何か」「どのような考え方でおこなえばいいか」を習得できる研修プログラムを作って、館内で実施していきました。

大原美術館_対話型鑑賞_柳沢さん

──大原美術館ならではの、対話型鑑賞の特徴は何ですか?

柳沢──

大原美術館の強みは、研修プログラムによって、新たなファシリテーターを毎年生み出し続けていることです。

ファシリテーターや有識者がさまざまな美術館を渡り歩き、対話型鑑賞をおこなうのも大事ですが、対話型鑑賞のスキルを美術館にストックさせていくのもまた、意味のあることだと思うのです。

写真提供:大原美術館
写真提供:大原美術館

また、ファシリテーターの研修は一般のかたも参加できる機会があります。

大原美術館の恒例イベント「チルドレンズ・アート・ミュージアム」の前に、一般のかたも交えて研修をおこなうのです。

なかには毎年研修に参加してくださっているかたもいて。

ベテランから新人へ、私が多くを語らずともアドバイスしているんですよ。

この循環が、とても良いなと思っています。スキルをストックしてきたからこそ生まれた流れだな、と。

対話型鑑賞では「作品自体から収集できる情報」を扱う

大原美術館_対話型鑑賞_集合

──対話型鑑賞のファシリテーターを育成するうえで、何を大切にしていますか?

柳沢──

私が必ず伝えている、対話型鑑賞のベースとなる考え方があります。

それは「作品は多様な情報体」であることです。

作品には、作品自体から収集できる情報と、作品からは収集できない情報の2種類があります。

たとえば、「何色を使って描かれているか」「どんな塗り方をしているのか」「何が描かれているか」などは、作品を観ればわかったり、想像できたりする。

でも「画家の名前」「画家が生まれた年」などは、作品を観てもわかりません。

対話型鑑賞で扱うのは「作品自体から収集できる情報」なんです。

この考え方はとくに大切ですし、必ず伝えています。

写真提供:大原美術館
写真提供:大原美術館

──美術館に行ったら、作品を観てもわからない情報ばかりが気になっていたかもしれません……。

柳沢──

「ここにある作品のなかで、どれが好き?」という問いであれば、わかるかどうかではなくて、自分がどう感じるかが答えになりますよね。

対話型鑑賞では、作品をわかることがゴールではないんです。

お客様のイマジネーションを膨らませ、感じたことを引っぱり出すのが大切。

それをお手伝いするのが、ファシリテーターの役割です。

ファシリテーターの研修では、作品の見方をさまざまな角度から考え、その人自身の作品の読解力を開拓していきます。

あとはファシリテーターとしての経験を積んでいく。

場数を踏んで、さまざまなお客様に対応していくと、作品から情報を引っぱり出すスキルが身についていきます。

対話型鑑賞はスキルだと、私は考えているんです。

美術館では、最適解を求めなくていい

大原美術館_対話型鑑賞_解説

──大原美術館では、数年前から企業向けの研修プログラムとして対話型鑑賞を提供していると聞きました。

柳沢──

対話型鑑賞では、同じ作品を観ていても人によって見方や感じ方が違うことが発見になります。

それは美術館だけではなく、普段の生活でも同じです。

ビジネスの世界であれば、複数人で同じプロジェクトに取り組んでいても、どこを重視しているかが人によってバラバラな可能性がある。

対話型鑑賞では、いかに個人の見方や感じ方が違うかを体感できます。

違いを把握しておくだけでも、仕事をするうえでの心づもりコミュニケーションが変わると思うのです。

写真提供:大原美術館
写真提供:大原美術館

また対話型鑑賞では、どんな感情も肯定的に受け止め、「なぜそう判断したのか?」の問いで本人の考え方を引き出します。

これは近年ビジネスで重視されている、心理的安全性を保つ職場にするために活用できる考え方です。

心理的安全性が保たれていれば、自ずと相手の感情に耳を傾けられるし、自分の感情を素直に話せる。

心理的安全性を作ることが、いかにチームでのパフォーマンスを上げるために重要か、対話型鑑賞で感じられると思っています。

「心理的安全性(psychological safety)」とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことです。

リクルートマネジメントソリューションズ:心理的安全性とは

──心理的安全性を確保したり、物事に対するアプローチの違いを知ったりするのに美術館が適しているのはなぜだと思いますか?

柳沢──

作品は多様な情報体」であることが、関係していると思います。

たとえば対話型鑑賞をすると、作品を近くで観たり遠くで観たりしながら、自分が感じたことを言葉にしていく。

企業として意思決定をするときも、さまざまな情報を集めて比較検討したり、本質を見つめ直したりしながら、エビデンスを積み上げていきますよね。

俯瞰(ふかん)したり、すごく接近して考えたりすることを、ビジネスでは自然とおこなっているわけです。

そうやってさまざまな視点で物事を把握する力を養えるのは、多様な情報体である作品が多くある美術館ならではです。

あとは、絶対的な正解がないことや、正解が複数あること、わからないことを排除せず、わからないまま置いておくことは、感覚として持っておくといいと思います。

以前参加してくださったベンチャー企業の社員さんが「ここでは最適解を求めなくてもいいんですね」と言っていたのがとても印象的で。

迷っていいこと、迷える力が重要であることは、美術館だから伝えられるのかもしれません。

対話型鑑賞のスキルを未来へ

写真提供:大原美術館
写真提供:大原美術館

──大原美術館の、企業向け対話型鑑賞プログラムに参加するにはどうすればよいですか。

柳沢──

大原美術館に直接、電話やメールでお問い合わせいただければと思います。

プログラムは企業向けに独自に開発しました。

複数の作品を同時に鑑賞して仲間外れを探したり、作品の描き方を想像してジェスチャーで表現してみたり、さまざまな内容を用意しています。

作品を通してイマジネーションを膨らませながら、同じ職場で働く仲間との感じ方の違いをぜひ体感しに来てください。

──対話型鑑賞における、今後の目標を教えてください。

柳沢──

大原美術館としては、今後もファシリテーターを生み出しながら、できるだけ継続してもらえたらうれしいです。

私以外にも研修できる人が出てきたら、理想ですね。

対話型鑑賞は鑑賞方法の一つなので、良い鑑賞者を育てる手段として、スキルをつなげていきたいと思います。

おわりに

写真提供:大原美術館
写真提供:大原美術館

どれほど仲がいい人でも、まったく同じ考えの人はいません。

また自分が正解だと思うことは、誰かにとっての正解ではないかもしれません。

そんな当たり前を、普段の生活ではつい忘れてしまいます。

柳沢さんへのインタビューを経て、対話型鑑賞は今ある当たり前に気がつくきっかけになるのだなと感じました。

互いをよく知る仲間と、対話型鑑賞を体験する。

それだけで、自分や相手との関係性を結びなおすいい機会になりそうです。

個人での鑑賞とはひと味違う体験を、大原美術館で楽しみませんか。

著者:こあ(小溝朱里)