米国による太平洋・マーシャル諸島での水爆実験で静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」乗組員や住民らが被ばくした「ビキニ事件」から1日で70年。首都マジュロでは核実験の犠牲者の追悼式典が開かれ、高知市の漁船乗組員の遺族が初めて参列する。焼津市の乗組員の墓前などでも集会があり、核兵器廃絶を訴える。

 米国は1946〜58年、マーシャル諸島で67回の核実験をした。うち54年3月1日、ビキニ環礁での水爆「ブラボー」の実験は広島型原爆の約千倍の威力で、福竜丸は危険区域外の公海上で放射性降下物「死の灰」を浴びた。各地の日本漁船乗組員も被ばくしたとされ、汚染された島に戻れない住民も多い。

 マジュロの式典に参列する高知市の下本節子さん(73)も、周辺海域を航行していた父親をがんで亡くした。2月29日は被ばくした住民と現地で面会し、互いの境遇を語り合った。この日は静岡市でも集会があり、日本政府に核兵器禁止条約への参加を求めた。