「私の実際の経験から、家族が心の病を抱えた時に一人で抱えこまないでほしいと伝えたくてこの作品を描きました」と話すのは、漫画家・彩原ゆずさん。「躁状態」と「うつ状態」を繰り返す双極性障害を発症してしまった夫と、彼を支えようとするうちに、自身も心のバランスを崩してしまう妻の姿を描いたコミックエッセイ『夫婦で心を病みました』の著者です。
「健やかなるときも、病めるときも」支えあうのが夫婦の理想ですが、彩原さんご夫婦はパートナーが心の病に侵されたとき、関係性に変化が生じます。二人がどのように病と向き合ったのか、まずはこの作品のあらすじをご紹介しましょう。
穏やかで優しかった夫の変ぼう
ゆずさんは、会社員の夫・ユウタさんと、ふたりの小さい子どもと暮らしています。妊娠・出産で仕事を辞めた彼女は、フリーのイラストレーターとして働いていますが、家計の足しになるまでにはいたっていません。でも、まじめで優しく子煩悩な夫と支え合いながら、ゆずさんは家事に育児に奮闘していました。
一方でユウタさんは、遅い時間に帰ってきても家で仕事をしていたり、休みの日にも上司から電話がかかってきて対応を迫られるなど、仕事が立て込んでいるようでした。
ため息が増え、食事ものどを通らないほどの気苦労を抱えている夫の話を聞くことにしたゆずさん。
ユウタさんは上司が変わったことによる仕事のストレスで、体に変調をきたしていたのです。
精神科を受診し休職。病名は…
あばらが見えるほど痩せてしまったユウタさんは、ゆずさんのすすめに従って精神科を受診すると「うつ病」と診察されました。そして、医者の後押しもあり3ヶ月間休職することに。
彩原ゆずさん
「診断を聞いて、やっぱり!と思いました。実際はうつ病ではなく私の知識も乏しかったのですが、自分がイメージしていたうつ病の症状に似ていたので、間違いなくそうだろなと思っていました。ここまで具合が悪くなる前に身体を休めさせれば良かったな、とも思いました」
休職中も仕事のことを考えてしまっている夫を前に、ゆずさんは「夫を支えなきゃ」という思いを強くしていきます。うつに関することやリラックス方法について検索することにやっきになるあまり、ユウタさんにも「そっとしておいてほしい」「プレッシャーになりそう」とやんわり制止されてしまうことも…。
もちろん一番辛いのは病気になってしまった夫ですが、そばで支える妻にも負担はあります。
周囲に夫の病状を話すことができず、一人で抱え込んだゆずさんの精神は、そうして追い詰められていったのです。
療養中の夫をそばで支える妻の苦悩
ユウタさんが休職して2ヶ月くらいたった頃から、ゆずさんの身体にも異変が起こります。カンジダを患ったり、ひどい肌荒れになったり。子どもに強く当たってしまうこともあり、ゆずさんは毎日のように、寝かしつけの後で罪悪感にさいなまれていました。
そして休職期間が残り1か月になったある日のこと。ついに夫から「消えたい」という言葉が出てしまったのです。
その後は義両親の勧めもあり、しばらく実家で過ごしたユウタさん。帰宅した彼の表情は心なしか以前と違っていて、幼い子どもとも触れ合いながら幸せなひとときを過ごしました。しかし、そんな穏やかな時間は長くは続きませんでした。
物欲が復活したのは回復の兆し⁉
夫が職場に復帰してから、3か月もたたないうちに接待の飲み会が復活し、ユウタさんは飲酒して帰宅するように。医師にはお酒は控えるよう言われていましたが、上司の勧めには従うしかなかったようです。
仕事が忙しくなるにつれて、ユウタさんの買い物の頻度が増えていきました。最初は「物欲が出てきたのは回復の兆し」と思って多目にみていたゆずさんでしたが、膨らんでいくカードの請求額に耐えかねてユウタさんに指摘すると、彼は不機嫌になってしまいました。
少しずつ金遣いが荒くなるとともに、夫はささいなことで苛立つようになりました。
そんなある日、買い物の多さに苦言を呈したゆずさんの前で、ユウタさんはティッシュ箱を投げたのです。
物にあたる夫にイライラする日々
それから次第にユウタさんは物にあたるようになり、ふたりの仲は険悪になっていきます。眼鏡、ヘッドフォンなど、あらゆる物に怒りをぶつけるユウタさんの姿に怒りを感じるゆずさんでしたが、うつ病のことや子どものことを思うと強くは言い返せず、彼女のイライラは収まりません。ついには自傷行為のように、自分自身にうっぷんをぶつけるように。
以前の二人なら、ケンカすることはあっても話し合いで解決できていたのに、いまの夫は聞く耳をもたず、自分の意見をまくしたててきます。
ゆずさんはそのストレスを晴らすために耳かきをしすぎて、ひどい外耳炎にもなってしまいました。
そして彼女は、加速する浪費を注意したくても、不機嫌になる夫が怖くて何も言えなくなってしまうのです。
彩原ゆずさん
「夫はもともと、一緒にいると安心する、そんな人だったのですが、この時期の夫は怖かったです。私は大声を出す人や不機嫌を露わにする人にかなり苦手意識があり、いつもビクビクしていました。イライラモードの時は、夫の言葉を否定すると怒りだし家の空気も悪くなってしまうので、否定をせず聞き手役になることが多かったです」
信じられなかった夫の裏切り
そんなある日、家族で出かけた外食先で支払いのためにユウタさんの財布を借りたゆずさんは、夜のお店のポイントカードを見つけてしまいます。ユウタさんは素直に認めて謝罪してくれたものの、ワンオペ育児で大変な思いをしていたゆずさんの気持ちはおさまりませんでした。
その後、姉御肌のいとこからのアドバイスで夫に手紙を書いてみることにしたゆずさん。夫から「辛い思いをさせてごめん」という内容の返事をもらい、前向きに進むことを決意した彼女でした。
その矢先、ささいなきっかけで口論になり、夫はついにゆずさんに手を上げてしまいます…。
追い詰められた妻はついに…!
「消えろ!」と暴言を吐きながら殴られたゆずさんは、大きなアザができてしまい病院で診察を受けます。その後のゆずさんは、突然怒りの感情に襲われて夫のシャツをはさみで切り刻んだり、何でもないときに突然涙が出てきたり……。
彩原ゆずさん
「あの頃はつねに気持ちが沈んでいて、赤信号なのにふらっと渡ってしまおうとしたり、かなり追い詰められた状態になっていました。ベランダから下を覗いてこのまま落ちてしまおうかと思った時、息子がしがみついてきて、それが本当にかわいそうで…」
泣きじゃくる子どもを前に我に返ったゆずさんは、保健所の相談窓口に電話して助けを求めたのでした。
保健所で現状を話したゆずさん。担当者が親身になってくれたこともあり、肩の荷が下りたような気持ちになります。
【ネタバレ】うつ病じゃなかった!まさかの診断結果とは
保健所の精神科医にも相談したところ、夫はうつ病ではない別の病気の可能性があることを告げられます。それは「双極性障害」。大きな高揚感のある躁の状態と、落ち込むうつ状態を繰り返す病気です。夫婦そろって夫のかかりつけの精神科医に向かい、いままでの夫の行動を細かく伝えると、やはり双極性障害の可能性が高いという診断を受けました
そして夫は、薬を切り替えつつ経過を見ることになりました。
彩原ゆずさん
「夫が変わったようになってしまったのは病気のせいだったんだとホッとした気持ちがありました。優しかった過去の夫が完全にいなくなってしまったわけではないと思えたんです」
その後夫は、薬は服用していたものの、逸脱した行動はすぐには収まったわけではありませんでした。無計画にマンションのオーナーになろうとしたり、頻繁に買い物をしたり…。そして再度1年間の休職を余儀なくされます。
夫に寄り添うゆずさんの精神状態も低空飛行を続けていましたが、偶然親しくなったママ友に身の上話をしたことで心が軽くなり、一人で抱え込まないことの大切さを実感するのでした。
ぶつけられない鬱憤を自分に向けて身体を傷つけてしまうゆずさんと、物にあたって壊してしまうユウタさん。
ふたりはぶつかり合いながら荒波のような日々を過ごし、それでも相手を支えようと、一歩ずつ前に進む努力を重ねるのでした……。
パートナーが心の病を抱えた時は、抱え込まずに相談を
当時の思いを、著者の彩原ゆずさんは次のように語ります。
「私は当時誰かに自分の状況を話すことが難しく、恥ずかしさもあったりしてなかなかまわりに相談できずにいました。ただ医師や誰かに話すことが状況を改善するきっかけになるかもしれないので、一人で抱え込まずに相談してほしいです」
この作品の中で特に印象的だったのは、ゆずさんの「もっと早くに相談すればよかったな」というフレーズ。
複雑な思いを抱えながらも夫の闘病を支えたゆずさんですが、彼女の場合は、身近な人や専門家に相談し、夫の病気を理解できたことが、解決の糸口をつかむきっかけになりました。
心の病は、体の病と同じく誰にでも起こりえること。もしものときは、ちゅうちょせず医師の診察やカウンセリングを受け、心の問題とゆっくり向き合うことが大切なのかもしれません。
文=山上由利子