人違いで空蝉の継娘と契る(空蝉)

源氏は小君の手引きで再び紀伊邸を訪れ、二人の女が向き合って碁を打っているところをのぞき見ます。横を向いて、はっきり顔が見えないほうの女が、目当ての空蝉だと思われました。もう一人の女は、こちらを向いているのでよく見えました。大柄で肌の白い美しい人で、派手な顔立ちですが、上着の前をはだけてだらしない格好をしています。振る舞いはあけっぴろげで陽気で、少し品がない印象です。空蝉の継娘の軒端荻(のきばのおぎ)だと源氏は思い至りました。

一方の空蝉は、ほっそりして小柄で、目立たない容姿です。目が少し腫れぼったく、鼻すじが通っているわけでもなく、いってしまえば不器量なのですが、それを補うたしなみ深さがあります。夜が更けると、小君が空蝉の寝床に源氏を引き入れました。ところが、空蝉はその気配を感じ、着ていた小袿(こうちぎ)を脱ぎ捨てて逃げ去ります。そうとは知らない源氏は、寝ている女性を抱き寄せて「別人だ」と気づきました。空蝉と同室に寝ていた軒端荻だったのです。まさか人違いとはいえず、軒端荻が目当てだったように言いつくろって契りを交わし、空蝉の小袿を持ち去りました。

源氏は翌朝になっても軒端荻に手紙を送らず、空蝉のつれない仕打ちを嘆くばかりでした。小君に恨み辛みを言いながら、持ち帰った空蝉の小袿を見ています。その小袿をセミの抜け殻に例えた歌を、源氏が手習いのようにしたためたものを、小君が空蝉に届けました。空蝉は小君の行動をひどく叱りつつ、歌を見て、「しまった。あの小袿は汗にまみれていなかっただろうか」と心配になり、またも心を乱します。軒端荻のほうも、手紙一つこないことに気をもみ、普段の陽気さとは打って変わって、物思いにふけっているのでした。

小袿・・・平安貴族の女性が平常着である袿の上に重ねて来た上着
手紙・・・初めての逢瀬の翌朝は、男から女に手紙を送るのが礼儀。
手習い・・・習字の稽古の意味だが、古歌を写し書くことなどもいう。一見独り言のような独詠歌だが、人に見られることで贈歌になる場合もある。

平安の男性貴族の1日

平安の男性貴族の1日は、午前3時ごろ、皇居の入り口が開いたことを知らせる「開諸門鼓(かいしょもんこ)」の合図ではじまる。起床から出勤まで、しきたりに則り、多くのことを行っていた。以下のしきたりは、平安前期の右大臣で藤原道長(ふじわらのみちなが)の祖父にあたる藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が、公卿(くぎょう)の生活全般にわたっての心得を記した家訓「九条殿遺誡(くじょうどのいかい)」に則ったもの。出勤は午前6時ごろで、昼前には帰宅。日没とともに就寝という生活だった。

平安時代の男性貴族の1日

出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 源氏物語』高木 和子 監