「聖地巡礼」の先がけとなった80年代人気アニメ

「聖地巡礼」という言葉を聞いたことがあると思います。特に最近は、アニメ好きの人々の間で当たり前のように使われる言葉です。

 しかし聖地巡礼自体は紀元前から存在する習慣で、私の知る限りでも、古代エジプトでも神々の神殿を巡る旅というのがありますし、古代ローマでも同様な風習がありました。

 こうした宗教感に根ざした旅から、やがて大事だと思う対象にゆかりのある場所、つまり自分にとって尊い場所を訪ね歩くことそのものを、現代では「聖地巡礼」と呼ぶようになったようです。いわば「推し」に関係のある場所にゆくことで「推し」を少しでも近しく感じることで満足感を得る。それが昨今の「聖地巡礼」といってもいいでしょう。

 かつては有名俳優やアイドル、アーティストなどのファンの間で行われていたこの聖地巡礼ですが、ある時期からアニメーションのファンの間でも行われるようになります。しかし、ドキュメンタリーのアニメーションならそれもわかりますが、100%フィクションであるオリジナルアニメで、なぜこんなことが起こったのでしょう。

 特定するのは難しいですが、きっかけのひとつは1988〜89年に放送された『鎧伝サムライトルーパー』ではないでしょうか。

『サムライトルーパー』は「鎧戦士」と呼ばれる現代の少年5人が和風テイストの「鎧擬亜(よろいぎあ)」を身につけて戦うアクションアニメです。この物語の舞台は現代日本であり、作品企画当初から主人公たちには出身地、物語の中にも、日本各地にゆかりの場所等が設定されていました。

 これは視聴者がキャラクターたちや物語に親近感を持って欲しいという企画側の意図なのですが、作品が人気になるに従って意図は見事にファンの心をとらえたようです。特にアクティブに動いたのがハイティーン以上の女性たちで、その存在は訪ね先にも影響を与えるほどだったのです。

 たとえば、ゆかりの地のひとつだった山口県の秋吉台秋芳洞では、物語に登場する「鎧玉」を模した文字を掘った大理石の玉がお土産として並びました。ほかにも、いくつか同様の話を耳にしたことがありますが、この「玉」に関しては、自分も秋芳洞前の土産店で見ているので確かです。

 さらに作品だけでなく、制作会社やアーティストが利用している実際の店などを回る聖地巡礼もあります。

 私がかつて所属していたアニメーション制作スタジオ・サンライズがあった東京都杉並区上井草には、駅前にガンダムの像が立っていますし、『機動戦士ガンダム』を制作していたスタジオが入っていた古いビルも現存しています。富野監督をはじめスタッフたちが毎日のように利用したレストラン、ガンダムの町としてガンダムの絵が描かれた店舗のシャッターなどもあり、狭い範囲で手軽に巡礼が出来る場所とも言えるでしょう。

 災害も続き、なかなか上向かない日本経済。旅行にもさまざまな楽しみ方や目的の持ち方があります。「聖地巡礼旅行」は、経済を回すためにも、日本のアニメーションの楽しみ方のひとつとしても、けっこう有意義なのかもしれません。

【著者プロフィール】
風間洋(河原よしえ)
1975年よりアニメ制作会社サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の『勇者ライディーン』(東北新社)制作スタジオに学生バイトで所属。卒業後、正規スタッフとして『無敵超人ザンボット3』等の設定助手、『最強ロボ ダイオージャ』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『巨神ゴーグ』等の文芸設定制作、『重戦機エルガイム』では「河原よしえ」名で脚本参加。『機甲戦記ドラグナー』『魔神英雄伝ワタル』『鎧伝 サムライトルーパー』等々の企画開発等に携わる。1989年より著述家として独立。同社作品のノベライズ、オリジナル小説、脚本、ムック関係やコラム等も手掛けている。