「80歳にもなってこんなオファーが来るとは思わなかった」

カルーセル麻紀(81)が10年ぶりに映画出演。『一月の声に歓びを刻め』(2月9日公開)で、娘を失って以来女性として生きてきた男性をスッピン状態で演じた。ロケ地はマイナス20度を記録した極寒の洞爺湖。紙おむつ着用で挑んだカルーセルが過酷な現場の空に見たのは、30年前に不慮の事故で亡くなった親友の笑顔だった。

大寒波の中で父親役初挑戦

「北海道に来てください」

カルーセルをモデルにした小説『緋の河』の作者で直木賞作家の桜木紫乃からの紹介で、『Red』『幼な子われらに生まれ』で知られる三島有紀子監督から届いたオファー。快諾し、到着した北の大地は荒ぶっていた。

「猛吹雪で道路も大渋滞。空港からホテルに着くまで3時間もかかりました。撮影のために朝4時起きでメイクをして現場に入ったら三島監督から『メイクは全部落としてください』と言われたのよ」

しかも自身初の父親役。「実生活でもお仕事でも父親役なんて初めてでしょ。しかも特殊な設定で。撮影前にはたくさんリサーチしました。私の時代はLGBTQという定義自体なかったし、日本で禁止されていたからモロッコまで行って性別適合手術を受けたくらいだから。役に入るのはなかなか大変でした」

撮影時80歳。これまで足は6度も手術をしており、3年前には脳梗塞で緊急搬送されたことも。そんな満身創痍で挑んだ大寒波の洞爺湖シーン。

「どんなに着込んでも気温はマイナス20度で周囲は雪景色。寒さで死ぬかと思った。近くにトイレもないから紙おむつを履いてね。一発本番で臨みました」

空に太地喜和子さんの幻影

膝が埋まりそうになるほどの雪原。息を切らしながらやっと辿り着いた洞爺湖の波打ち際で、ある人の幻を見た。

「あまりの寒さに氷が張っているところがあって、その漂う氷が私には主人公の亡くした娘のように見えた。思わずその中に手を突っ込んじゃったの。そしてバタリと仰向けに倒れた時、白樺の木から沢山の雪が落ちてきた。するとその枝の間から覗く太陽のすぐそばに、喜和子の笑顔が見えたんです」

若き日々を本当の姉妹のように過ごした女優・太地喜和子さんの幻影。奇しくも太地さんが亡くなって30年という節目の年。白樺の木の枝から落ちてくる雪を見るうちに、カルーセルの脳内に太地さんの代表的舞台『近松心中物語 それは恋』が思い出されたという。

「喜和子が亡くなってもう30年。とても仲良しだった。そんな喜和子が笑ってる。私には『麻紀、頑張れ!』と言ってくれているのがわかった。それがとても嬉しくて…。“喜和子が見てくれている!”と思ったら涙が出てきました」

フランス語罵倒も即バレ

15歳から芸の道に身を投じ、紆余曲折のキャリアは60年。

「80歳にもなってこんなオファーが来るとは思わなかったし、そもそも出来るなんて思わなかった。こんなにありがたいことはありません。ましてや私のスッピンピンの皺だらけの顔をアップで撮ってくれたりしてね。妥協知らずの鬼監督には感謝しかありません」

直々にオファーをくれた三島監督に賛辞を惜しまないが、手加減なしの演出にちょっとした仕返しぐらいは…?

「あまりにキツくて文句を言いたくなる時もありましたよ。ただ監督さんに対し『このクソったれ!』とは流石に言えないから、擦れ違いざまにフランス語で『merde!(クソ野郎)』って言ってやったの。そうしたらあの女、フランス語ができるのよ。だから私の悪口はバレバレ。憎らしいわよね〜」と大笑い。

三島監督には、昭和の邦画をけん引した森﨑東監督や深作欣二監督ら巨匠と同じ匂いがしたそうだ。

「どこか遠くにいてモニターも見ながら指示する監督さんが多い中で、三島監督はいつも私のすぐ横に寄り添って演出してくれた。今の時代、そんな監督は珍しい。この映画の公開が決まった時のコメントに『最後の映画出演』なんて書いたけれど、三島組にもう一度呼んでもらいたいと思っています」

粘り強い監督の存在と過酷な環境が共鳴した力作『一月の声に歓びを刻め』。傘寿を過ぎての俳優業再開にカルーセルは前向きだ。

(まいどなニュース特約・石井 隼人)