Kさんは子どもの頃からずっとワンコがいる生活をおくってきました。先代のアッシュは10代のKさんにいつも寄り添っていました。2011年、Kさんが18歳の誕生日を迎える直前に虹の橋をわたりました。以来、Kさんは日々涙が止まらず、食事も喉を通らなくなり、夜も眠ることができず息も苦しくなるという重度のペットロスになりました。

「あのとき、アッシュにこうしてあげれば良かった」「アッシュとの時間をもっと作ってあげれば良かった」と自分を責めるようにもなりました。

知人が「保護犬のお手伝いをしない?」と声をかけ、やがてKさんは仕事が休みの日に保護犬の譲渡会の手伝いをしたり、殺処分ゼロを実現するためにはどんなことが必要なのか、などを考えるようになりました。

この活動で知ったのが、広島県を拠点に多くのワンコの命を救ってきた団体、ピースワンコ・ジャパン(以下、ピースワンコ)でした。

神奈川から広島まで保護犬に会いに行く

KさんはピースワンコのSNSなどを見るようになり、アッシュによく似た犬を見つけました。マナという真っ白のワンコです。いてもたってもいられなくなったKさんは神奈川から広島のピースワンコのシェルターまで足を運びました。

ほんの数十分しか接することができませんでしたが、マナは尻尾を振ってKさんを歓迎してくれました。SNSで見た以上に凛とした様子。大好きであろうピースワンコのスタッフの姿を見つけると、ジャンプしながら甘えていました。そのギャップもかわいらしく、Kさんは心を奪われました。「マナを家族として迎え入れたい」と。

しかし問題がありました。マナには重篤な皮膚病で、お腹一面には全く毛がなく治療中でした。後ろ髪をひかれる思いで神奈川に帰ったKさんは母に「迎え入れたいワンコに会ってきたんだけど、お腹に毛がない子なんだ」と伝えました。

厳しい母の優しい一言「皮膚病がどうしたっていうの」

Kさんの母は、Kさんの考えに「それはダメ」と反対する場面がたびたびありました。もちろんKさんのことを思って、あるいは大人から見て「現実的ではない」と判断しての言葉でした。「皮膚病があるマナ」についても、Kさんは猛反対を覚悟しました。すると母は一言。

「あなたが決めたことに、どうして私が反対するの? 皮膚病がどうしたっていうの。迎え入れなさい」

母の言葉にKさんは目頭が熱くなりました。

かつてアッシュが診察してもらった近くの獣医にも相談しました。獣医は「まず、保護犬を迎えることは大賛成。そして、あなたはアッシュの面倒もよく見ていたし、皮膚のケアもきっとできると思いますよ」とKさんの背中を押してくれました。

Kさんはマナを迎えることにしました。ピースワンコからの引き渡しの際、スタッフからマナのお世話をしてきた際の記録ノートを渡してくれました。

その日までのマナの様子がびっしり書かれていましたが、それはかつてKさんがアッシュのお世話をしていた際に書き残していた記録ノートにそっくりで、「大事にお世話されていたんだな」とその思いを強く感じました。

献身的なサポートで皮膚病を克服

マナを迎えるまでKさんは「恵まれない保護犬を人間が幸せにしてあげるのだ」と思っていました。マナを迎えてからは「人間が保護犬に幸せにしてもらっているのだ」という考えに至ったそうです。Kさんのペットロスの苦しみがマナとの時間でやわらいだからです。天国のアッシュがKさんのためにマナとの縁を繋いでくれたのかもしれません。

それから数年後、ピースワンコにアッシュやマナとよく似た真っ白の元野犬が保護されました。マルバというメスです。このマルバも「マナの妹分」としてKさんは迎え入れました。今は2匹仲良くKさんの家で暮らしています。

Kさんの献身的なサポートの甲斐もあり、マナは皮膚病を克服。今ではお腹にも毛が生えて美しい体になりました。

マナ、マルバと一緒に暮らすようになったKさんは、保護犬の譲渡会のお手伝いには行けなくなってしまいましたが、それでも「保護犬を家族に迎える」ということは、命を救う活動にももちろん繋がっています。Kさんのように、まっすぐな想いでワンコに接する人が、さらに増えてくれることを願ってやみません。

(まいどなニュース特約・松田 義人)