中森明菜(58)の復活劇が話題を呼んでいる。公式ユーチューブチャンネルに登場し、ヒット曲「TATTOO」のジャズバージョンを披露したのである。最後には両手でピースサインをつくり、笑顔で明るいのだ。

 2017年末のディナーショー以降、長きにわたった活動休止。デビュー40周年を迎えた22年にはNHKの紅白出演オファー説が伝えられたが、実現しなかった。翌23年には「北ウイング」をセルフカバーした楽曲をリリースするなどしたが、このとき公開された近影は黒いブランケットに目から下を覆ったものであった。そうしたこともあって、芸能マスコミは今回「顔出し」「カラーで動く」などの見出しで、歌姫復活と伝えた。ネットには「うれしくて、感謝」「おかえりなさい」といったコメントが殺到している。

「明菜さんの大人の歌声にわたしも感激しました」と、芸能リポーターの平野早苗氏はこう言う。

「明菜さんは明るいばかりじゃない、独特の暗さがあって、笑っていても無理に演出しているような印象も魅力だと思うんです。山口百恵さんも現役時代、同じような印象を受けましたけど、それとも違う。心の中の葛藤、弱さといいますか、誰にもまねできない、確立された雰囲気がありました。その胸の内は想像するしかありませんけれども、今回マイクの前に立つ姿からはそれとはまた別の、新しい明菜さんになっているように見えました。歌手人生の新たな扉を開いたということなのでしょうね」

 明菜を長く取材する芸能記者、マスコミ関係者からも、同じような感想が少なくないようだ。明菜はストレスによる免疫力低下や帯状疱疹を患い、体調面がすぐれないとの報道も続いた。それもあり、若々しく、健康そうで、往時と変わらぬ美しさに驚くとともに、称賛する声が上がるのだ。

「14年の紅白出演時は米ニューヨークからの生中継でした。当時は長くアメリカに滞在していたそうですが、昨年は都内でホテル住まいと伝えられた。帯状疱疹が完治したわけではないにせよ、知人と食事を楽しむなど、回復に向かっていると。そうした話を大きく上回るような復活ぶりなのだから、凄いのです」(元スポーツ紙芸能記者)

かつては奇行の数々も

 明菜は80年代アイドルの筆頭格というだけじゃない。業界では数々の奇行でも知られた。

「打ち合わせの流れで飲んだとき、テキーラとか度の強いお酒をグイグイ飲んでいたのを覚えています。マイ・タバスコを持ち歩き、ふぐ鍋の締めにひと瓶、かけてしまう姿もあった。若く元気だったからでしょうけど、相当なストレスを抱えていたのでしょうね」と当時を知るテレビマンは振り返った。

 デビューから数年後、「ファンの集い」で司会を担当した芸能リポーターの小柳美江氏はこう言う。

「もう大人気で、会場前には早朝からファンが詰めかけ、入りきれないほどでしたね。明菜さんは本番前、ご機嫌斜めでステージに出たくないと言い出して、スタッフの方がなだめ、わたしはアドリブでつないだのですが、異変を感じた観客がざわつきはじめた頃に登場した明菜さんはさすがの一言。明るくたのしいトークで沸かせ、歌いはじめた途端に、会場が明菜ワールド一色に染まっていったんです。新人とは思えない表現力、存在感に圧倒されたのを覚えています」

 ステージの後は機嫌も戻り、元気に挨拶して会場を後にしたという明菜。ピカイチの才能にして、「マネジャーが1年に5人、いや7人代わった」「その時の機嫌次第で対応が違った」といったエピソードも数え切れない。私生活でも注目を集め、女性誌やワイドショーのトップが定位置であった。長い活動休止中は体調不良などで「そのまま引退か」との見方もあったが、それらを吹き飛ばす勢いの最新動画公開である。

「(活動休止中は)どのように暮らしていたのでしょうか。また、表舞台に返り咲くことへの思い、改めて歌うことへの思いもお聞きしたいですね」とは、平野氏。

「いまの明菜さんにまたお目にかかり、取材させてもらえたら」と、小柳氏。

 ファンも芸能マスコミも皆、ナマ明菜を待ちわびている。