<ブレーブス1−9パドレス>◇19日(日本時間20日)◇トゥルーイストパーク

【アトランタ(米ジョージア州)19日(日本時間20日)=四竈衛】パドレスのダルビッシュ有投手(37)がブレーブス戦に先発し、7回2安打無失点1四球9奪三振と快投を演じ、野茂英雄、黒田博樹以来、史上3人目の日米通算200勝(米国107勝、日本93勝)を達成した。

全て先発勝利での到達はNPBでの達成者を含めても史上初。自己最長を更新する25回連続無失点で4連勝。防御率2・08と、37歳にしてさらに円熟味を増した投球で、球界の歴史に名前を刻んだ。

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珍しく言葉を探すダルビッシュの表情に、大記録への感慨がにじんだ。試合後、ロッカー室内で心境を問われると、思いを巡らせるように口を開いた。「正直、実感というのが本当にないので…。ちょっとホッとしています」。前日試合開始直前の天候悪化で中止となり、スライド登板となったが、打線の効果的な援護もあり、7回を99球で無失点。シャワーを浴び終えても止まらない汗を拭いながら、過去20年間の足取りをたどった。

05年、プロ入りした当時、将来像を具体的にイメージできるような状況ではなかった。「本当に練習したくない人だったので、そんなことまったく考えてなかったです」。黄金ルーキーとして騒がれた一方、デビュー前には未成年の喫煙で停止処分を受けた。身長196センチながら体重85キロと細身で、同期入団の涌井(当時西武、現中日)との体力差にがくぜんとした。だが、持ち前の負けん気と探究心で道を切り開いてきた。当時、球界内では懐疑的だった科学トレーニングやサプリメント摂取などをいち早く取り入れ、本格的な体作りに着手した。「走り込み不要論」を公言したこともあり、異端児的な視線で見られ、批判的な声も多く聞かれた。それでも、何事にも固定観念を持たず、「型にはめない」との信念は曲げなかった。

速球だけでなく、徹底的に変化球へこだわり続け、白星を積み上げてきた。小学6年時、解禁されたカーブを投げた際、コーチに「ダメ出し」されたことで、負けん気に火が付いた。その後は、人一倍の器用さと好奇心で次々に変化球を習得。今ではスライダー、カーブ、カットボールなどは、同球種でも軌道、球速を投げ分けるなど、10種類以上を自在に操るマジシャンとなった。「そもそも成績を残すというところじゃなく、いろんな変化球を投げたいというのが、ずっとやっている動機」と話すほど、今もなお変化球への興味が尽きることはない。

現状維持をよしとせず、変化することにためらいはない。今年4月に負傷者リスト(IL)入りしたのを機にフォームを改良。食事、サプリメント、トレーニングドリルを見直した結果、体脂肪率3%減に成功した。かつて日課だった左投げでの遠投も再開するなど、多くの引き出しからベストの選択をする柔軟な調整法で、25回連続無失点と本調子を取り戻してきた。

次の目標は、シンプルに「201勝」を挙げた。契約は42歳になる28年まであと5年。「自分にできることは謙虚に明日からまたやっていくこと。今日のことは今日で忘れたいと思います」。日米両球界のレジェンドとなった自らの立場も、ダルビッシュはおそらく実感していない。

◆ダルビッシュ有(ゆう)1986年(昭61)8月16日、大阪府羽曳野市生まれ。東北高2年春から4季連続甲子園に出場し、2年夏準優勝、3年春の熊本工戦でノーヒットノーラン達成。04年ドラフト1巡目で日本ハム入団。06年に12勝で日本一に貢献。最優秀防御率2度、最多奪三振3度、リーグMVP2度、07年沢村賞。08年北京五輪代表、09、23年WBCで世界一。11年オフにポスティングシステムでレンジャーズ移籍。13年最多奪三振、カブス時代の20年に日本選手初の最多勝。21年から所属するパドレスとは42歳となる28年まで契約している。196センチ、100キロ。右投げ右打ち。妻はレスリング元世界女王の聖子さん。

◆日本プロ野球名球会 日米通算200勝をマークしたダルビッシュは、名球会入りの資格を得た。名球会は78年に設立され、野球振興、社会貢献を目的にする団体。入会資格は日米通算で投手なら200勝または250セーブ、打者なら2000安打以上。入会資格に相当する記録保持者が、特例で入会する制度もある。理事長は古田敦也氏。