フィギュアスケートで日本男子初の世界選手権2連覇を達成した宇野昌磨(26=トヨタ自動車)が9日、現役引退を表明した。所属からの発表に合わせて自身のインスタグラムを更新。引退会見は14日に予定され「素晴らしい競技生活を送れた」と感謝した。

18年平昌五輪(オリンピック)で個人銀、22年北京五輪で個人と団体銅(団体は銀に繰り上げ発表)に輝き、日本勢最多3個のメダルを獲得。数多くの高難度ジャンプを操った表現者が、競技会に別れを告げる。

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宇野の決断が伝わる日がやってきた。

午前11時。所属からの発表に合わせ、SNSに思いを記した。

「現役選手を引退する決断を致しました。5歳の時にスケートと出会い、21年間続ける事ができ、素晴らしい競技生活を送れたことにとても感謝しております」。

思いや今後の活動予定は、14日の引退会見で自ら語る。

「かわいいね。スケートやりなよ!」

スケート人生の原点となる地元名古屋のリンク。当時中学生だった浅田真央さんの一言が背中を押し、競技の道へと進んだ。愛知・中京大中京高2年時にはジュニアグランプリ(GP)ファイナル、世界ジュニア選手権の2冠。小柄で踊れる少年はトリプルアクセル(3回転半)習得に約5年かかり、課題を克服すると一気に世界へ飛びだした。

知名度を世間に広げたのは18年平昌五輪だった。

2連覇の羽生結弦さんに次ぐ銀メダルで日本勢初のワンツーフィニッシュ。五輪王者の背中を追う過程では、結果を追い求めた時期もあった。

19年に山田満知子、樋口美穂子両コーチから巣立ち、指導者不在で臨んだグランプリ(GP)シリーズ第3戦フランス杯。ジャンプの不調で「演技をしたくないと思った」とショートプログラム(SP)後に1人で涙。今度はフリー後に大歓声を聞き、8位ながら「うれしさと、言葉では表現できない涙」が出た。

同年末からは06年トリノ五輪銀メダルのランビエル・コーチに師事し、楽しさを求める姿がよみがえった。22年北京五輪で団体に続いて個人で銅メダルをつかみ「今日の演技がどうであれ、この順位は4年間の成果なので、素直にうれしいです」と笑った。北京五輪個人金メダルのチェン(米国)、羽生さんが競技から離れた後も「年上として参考になるような選手ではない。でも、何か少しでも皆さんの力になれたらいい」と最前線を走り続けた。

22、23年世界選手権2連覇。シニア転向後、全ての同選手権に出場して、日本の出場枠確保に貢献し続けた。

最後の競技会は3月、カナダ・モントリオールで開かれた世界選手権だった。19歳マリニン(米国)が初優勝し、4位の26歳は「心から勝ちたいという気持ちになれなかった」と後輩を祝った。

シニアで9季目を終え、下した決断。宇野らしい、飾り気のない言葉で思いを伝える。【松本航】