妻を同僚の左腕と交換(スワッピング)したことで知られる元ヤンキースの通算133勝投手、フリッツ・ピーターソン氏が、昨年10月に肺がんのためミネソタ州の自宅で死去していた。81歳だった。

卒業した北イリノイ大が12日に発表した。

ピーターソン氏は66年にヤンキースでメジャーデビューした。1年目から12勝と活躍し、72年までに7年間で6度の2桁を挙げた。初めて20勝した70年にはオールスターに出場した。

名門ヤンキースの2番手投手だったが、AP通信によると73年のキャンプ中に発表された「スワッピング」で特に有名になった。69年にドジャースからヤ軍に移籍加入したマイク・ケキッチ投手の妻、スザンヌさんに恋をしてしまった。ケキッチも、ピーターソン氏の妻、マリリンさんを気に入った。ケキッチの5歳と2歳の娘、ピーターソン氏の息子5歳と2歳の息子も、母について引っ越した。74年にピーターソン氏とスザンヌさんは結婚した。ケキッチとマリリンさんは破局した。

当時、ケキッチはデイリーニュース紙に「詳細を知らない人にとっては、不快なことかもしれません。妻を交換したとは言わないでください。私たちは妻を交換したのではなく、人生を交換したのです」と語っていた。だが、この主張が「紳士たれ」の球団から理解を得ることはなく、73年6月にケキッチはインディアンス(現ガーディアンズ)にトレードされた。ピーターソン投手も74年の4月には、同じくイ軍ににトレードされた。

ピーターソン氏はメジャーリーグで活躍する傍ら、67年に大学院で修士号を取得するなど、秀才でもあった。都会のシカゴ生まれで、プロ生活はニューヨーク。時代的に、ヒッピー文化の影響を受けたのかもしれない。77年にホワイトソックスで引退すると、カジノのディーラーや大学バスケットボールのコメンテーターとして働いた。本を3冊出版している。

ヤンキースは13日に「ピーターソンはいたずら好きで知られ、チームメートやコーチたちに愛される存在でした。彼の外向的な性格と好奇心旺盛だった。クラブハウスに軽快さをもたらし、彼のマウンド上の能力を裏付けた。特に、非の打ちどころのない制球力は、メジャーリーグで最高級だった。彼の妻スザンヌさんとピーターソン家全体に心からのお悔やみを申し上げます」と追悼した。

希代の名投手。メジャーリーグには個性派が多い。

ちなみに、相手のケキッチは、74年に日本ハムに所属し、5勝11敗を記録している。

【斎藤直樹】

(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「斎藤直樹のメジャーよもやま話」)