◆第96回選抜高校野球大会2回戦 明豊0―4高崎健康福祉大高崎(26日・甲子園球場)

 明豊は関東の強豪に3安打で完封され、全く見せ場をつくれないままゲームセットを迎えた。「守りのミスや判断ミスがあったが、総体的に見れば相手の方が力が上だった。夏までにああいう投手を打ち崩せるようチーム全体で攻撃の幅を広げていかなくてはいけない」と川崎絢平監督は課題を挙げた。

 打線の援護がない中でエースが力投した。5回から登板した野田皇志(3年)は4イニングを力投。内野守備の乱れで点を取られたが自責点は0。無失点に抑えた初戦の敦賀気比(福井)戦から計6回1/3を投げ防御率0・00を守った。この試合は先発の一ノ瀬翔舞(3年)とともに適時打は打たれなかったが、野田は「2点は取られているので、野手が失策したときにチームや自分がカバーして0点で抑えなければいけなかった」と自身に厳しかった。

 7カ月ぶりの聖地のマウンドには強い思いがあった。昨夏の甲子園初戦の北海(北海道)ではタイブレークとなり1点リードで迎えた10回裏に登板。1死から2連打を浴び、逆転サヨナラで敗れた。「まだ泣きそうになる」。今でも忘れられない屈辱だ。昨秋の公式戦では変化球の制球が悪かった反省から冬の間はスライダーやカットボールの練習をしてきた。今大会は大事な場面でカットボールが決まり「自信になりました」と大舞台で練習の成果を見せた。大分を出るときには昨夏の甲子園で打たれた動画をあえて見て「何しに甲子園に行くのか」を再確認した。「去年の夏より成長した自分を見せることができたと思います」とエースナンバーを背負って戻ってきた聖地で昨夏の借りを返すことができた。

◆アルプスで見守っていたのは…次ページ

 アルプススタンドではエースの投球を後押しする「兄」がいた。野田が「兄貴」と慕っていた杉本瑠偉さんの写真がその投球を見守っていた。杉本さんは野田の8歳年上の異父兄。20歳でがんと診断され、闘病の末に野田が中学3年の時に亡くなった。小学6年の時から杉本さんの兄の颯さんも含めて兄弟の親交が始まり、家族で食事に行くなど仲がよかった。病状が悪化すると、瑠偉さんは野田の自宅で闘病生活を送っていた。「よく一緒にプロスピ(野球ゲームの「プロ野球スピリッツ」)をやりました」。野田が和歌山から大分の明豊への進学が決まると、具合が悪いながらも学校のパンフレットなどを見て気にしてくれていた。亡くなったのは3年前の12月。「学校にいた時、亡くなったと聞いてすぐ家に帰りました。めちゃくちゃ悲しかった」と思い起こした。

 写真を携えて試合を見ていた颯さんは「瑠偉は生前、甲子園に応援に行きたいと話していました。きっと頑張れと応援しているはず。少しでも力になれば」と弟の分まで声援を送った。

 野田は選抜大会で準優勝した3年前の先輩を越えることはできなかったが、夏もまたエースとして甲子園に戻ってくる。「甲子園で自信をつけたと思う。夏は柱となるエースが必要。複数の投手の中で野田が一番近い。エースと呼ばれる投手になってほしい」と川崎監督も野田の成長に期待した。「球速、球威、体力どれも夏までまでにもっとレベルアップしたい。夏も先発できるようになれば」。悔しさを糧に成長したエースは、さらにすごい投手となって聖地に戻り、全国の強豪をねじ伏せてみせる。(前田泰子)