「ジャイアント馬場の墓が明石にあんねん」

 兵庫県明石市に住む旧友の言葉に驚いた。馬場(本名・馬場正平)さんは、新潟県三条市出身。墓がある明石市とは縁がなさそうだが…。本当だろうか、半ば疑いながら現地に向かった。

 山陽電車の山陽明石駅から徒歩約10分、本松寺を訪ねると、釈孝修住職が門まで出て来てくれた。「プロレスラーの馬場さんの墓があると聞いたんですが」。私の問いに釈住職は「ありますよ。どうぞ、お入りください」。

 疑問は即座に吹き飛んだ。「馬場家各霊位」と書いた墓が見えた。右側に実物大のリングシューズのモニュメント、左側には馬場さんのイラストを刻んだプレートがあった。

実物大のリングシューズのモニュメント。石製でサイズは33センチだった(撮影・永田浩)

 釈住職に聞くと、本松寺は妻・元子さんの実家の寺。父親を亡くし悲しみに沈んでいた元子さんが「実家の墓の横に2人の墓を建てたい」と希望し、馬場さんと話し合って決めたという。馬場さんが「お父さんの隣が空いているからそこに僕たちも入ろう。それなら寂しくないでしょ」と話し、元子さんを慰めたとも言われる。

ジャイアント馬場の墓を案内してくれた本松寺の釈孝修住職(撮影・永田浩)

 2人の出会いは1955年。当時、馬場さんはプロ野球巨人の新人投手で春季キャンプ地が明石だった。市瀬英俊著「誰も知らなかったジャイアント馬場(朝日新聞出版)」や門馬忠雄著「雲上の巨人 ジャイアント馬場(文芸春秋)」などによると、巨人の後援者だった元子さんの父親が自宅で激励会を開き、千葉茂選手らとともに馬場さんも招かれた。その際に2人は顔を合わせた。後に文通が始まり、いつしか交際に発展したという。

 馬場さんは60年、宿舎の風呂場で転倒したけがが原因で引退し、プロレスラーに転向。身長209センチを誇る巨体を生かし、「16文キック」「脳天唐竹割り」などの技でファンを沸かせ一時代を築いた。99年1月31日、肝不全により死去した。享年61歳。遺骨を自宅で保管していた元子さんも2018年、78歳で永遠の眠りにつき、本松寺に2人そろって納骨された。

ジャイアント馬場のイラストを刻んだプレート(撮影・永田浩)

 私は80年代、プロレス中継をよく見ていた。馬場さんと人気を二分していたアントニオ猪木さんに憧れていた。失礼ながら馬場さんは、動きがどことなくスローに見え、強いという印象を持てなかった。見方が変わったのはスタン・ハンセンとの激闘。老練な試合運びに加え、俊敏さと豪快さを感じ、以来ファンになった。

 雄姿を生のリングで見ることはなかったものの墓前であいさつができ、心が躍った。取材の帰り、馬場さんの登場曲「王者の魂」が頭の中で響き渡った。冬の明石海峡を吹く風はなぜか暖かく、心地よく感じた。(永田浩)=随時掲載