【2】から続く

スーパーカーブームに沸く1970年代、すでに50歳代という熟年の域に達していたジョバンニ・ミケロッティが仕立て上げたサルーンカー。恒星ミザールの名を冠するこのクルマは、故郷イタリアを離れ日本の地で永く眠りについていた。

【1974年式ミケロッティ・ミザール vol.3】

 そもそもミザールは長い間、イタリア本国のマニアの間でも行方不明とされてきた。それがなぜ今ここにあるのだろうか。現在ミザールが展示されているのは、昨年より一般財団法人となった千葉県松戸市にある昭和の杜博物館。松戸市の建設会社である吉岡建設工業の会長だった、故・吉岡光夫さんが集めた自動車、鉄道その他多くの昭和コレクションの数々を展示する博物館である。

 吉岡さんは取材の5年ほど前、廃業した中古車屋さんからミザールを譲り受けた。建設業という仕事柄、中古車販売店の敷地を更地にするのを依頼され、そこの倉庫でこのミザールを発見したのだ。

 イタリアのカロッツェリアのショーカーが日本で眠っていたという不思議。そのヒントとなるのが、1977年に東京・晴海で開催された「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ77」というイベントだ。スーパーカーブームの波に乗り、ミケロッティのほかピニンファリーナ、ベルトーネ、ザガート、イタルデザインといったイタリアのそうそうたるたるカロッツェリアが一堂に会したこのイベントに、ミザールの姿はあったという。このとき、ミケロッティ・レーザーと共に、日本へ渡ってきたという説が有力だ。

 このイベントの後、レーザーと共にミザールは松田コレクションに加わっていたようだ。レーザーは2009年に六本木で開催された「東京コンクールデレガンス2009」に姿を見せ、健在であることが確認されたが、ミザールは松田コレクションを離れ、一時はミケロッティブランドとタイアップ商品を出した製菓会社の社屋に飾られていたこともあるという。そこから、流れに流れて、昭和の杜博物館へとたどり着いたのだ。

 吉岡さんは生前、このクルマを走らせたいと語っていた。このクルマの行く末は今ここで語るべきではないが、本誌イベント「ノスタルジック2デイズ」でレーザーとともに会場展示を行う予定だ(2019年2月23-24日開催の第11回ノスタルジック2デイズにて展示)。再び動き出したミケロッティの2台の試作車。本誌はこれからも見守っていきたい。

【画像36枚】イタリア本国のマニアの間でもゆくえ行方不明となっていた幻のショーカーが日本に眠っていたのだ


>>内装はファブリックで統一されており、シートには若干硬め。ドア中央に堂々と手巻き式レギュレーターが付くが、小窓しか開かない。


>>横置きに配置されたランチアベータの4気筒DOHC 1756㏄エンジン。未来的なボディ外観に反し、エアクリーナーの形が時代を感じさせる。下にはウエーバー製キャブレターが備わる。


>>なかなかの広さのトランクルーム。聞いたこともないメーカー製のスペアタイヤが未使用のまま眠っていた。


owner

「どのクルマよりも大事にしてるものが実はあるんだよ」とオーナーがこっそり見せてくれたのは、懐かしのポン菓子機だった。これをオート三輪に乗せて、実演して子供たちに配るのが夢の原点だったという。2019年1月21日、70歳で急逝。この写真は2018年11月17日、昭和の杜博物館にて。





1974年式 ミケロッティ・ミザール

全長×全幅×全高 不明
ホイールベース 不明
トレッド前/後 不明
車両重量 不明
ボア&ストローク 84.0×79.2mm
エンジン種類 水冷直列4気筒DOHC
総排気量1756cc
最高出力 110/6000ps/rpm
最大トルク 14.7/3000㎏-m/rpm
最高速 175㎞/h
トランスミッション 5MT

※エンジンはランチア・ベータ1.8クーペを参照。


【3】に続く