生まれは鹿児島の薩摩隼人。育ちは大阪。名門・浪商のケンカ野球で生を受け、明治大学島岡学科の首席卒業と呼ばれた神宮の華から、V9巨人の川上野球を骨身に刻み込んだ現役時代。引退した後は、日本ハム監督、巨人二軍監督、北海道移転後の日ハムGM、ヤクルト監督と各地を転々としながら、若いチームの土台づくりを担ってきた。

 一線を退いていた2011年12月。親会社が変わったDeNAベイスターズから三顧の礼でチーム作りの一切を任されるGMに就任。焼け野原の中から7年間かけ、チームの土台をつくりあげると、2018年いっぱいでGMを退任した。御年78歳。プロ野球の第一線から退いて早5年。野球人永遠の課題である「チーム作り」の考え方を後世に伝えるべく、高田繁は語り始める。<Number Webインタビュー全2回の第1回/第2回も配信中>

――よろしくおねがいします。

高田 はいはい。よろしくね。

――2024年もキャンプがはじまりましたが、高田さんは今年のお正月はどう過ごされていたのですか?

高田 え、今年? そうねえ。正月はどこにも出かけんと自宅でゆっくりすごさせてもらいました。子どもや孫、みんなが来てくれてな、それだけね。何も変わりがないけど、ありがたい時間だったね。

――新年の抱負などは語られたんですか?

高田 俺のか? なにバカなこと言ってるんだって。78やで(笑)。終活の身辺整理で忙しいってのに、抱負なんてあるわけないでしょう。新聞を見れば新年早々から同年代の人たちが亡くなってらっしゃる。やっぱり一番最初に年齢に目がいくんだよね。八代亜紀さんはまだ73歳か、ああ、ベッケンバウアーは同じ年じゃないかってね。さびしいよね。今は俺も女房も健康で元気にさせてもらってるけど、そんなもんこの先どうなるかなんてわかりゃあせん。老人は今しかない。未来への希望は若者たちの特権ですよ。

2018年にGMを退く。現在はDeNAの「フェロー」

――含蓄のあるお言葉です。高田さんは2018年にGMを退いて以来、どのような生活をされているのでしょうか?

高田 うん。今の肩書はね”フェロー”っていうの。でもベイスターズじゃない。DeNA親会社の方のフェロー。だから、立場上、球団には直接アドバイスはしない。これはね、僕が希望したんですよ。そのかわりに、高校野球や大学野球を好きな時に観に行けるからね。母校の明治大学にふらっと行って、グラウンドにも降りていける。孫もおるしな。野球はこれまでゲップがでるほど観てきたからね。もう、できるだけ仕事にはしたくないんだけど、野球を観てると、どうしたって力が入ってきてしまうからなぁ。

――フェローなんてハイカラな肩書ですけど、具体的には何をされているんですか?

高田 1カ月に1回ぐらいDeNAの南場(智子)会長や岡村(信悟)社長たちと一緒に横浜スタジアムの小部屋に集まって試合を観るんですよ。そのときにね。おれは説明をするの。この選手はどうだ、このプレーはなんて話をしてるんだけど……まぁ、GMの時とは見方がぜんぜん違うよね。あの頃はチームの成績も、個人の結果も気になって気になって、胃がキリキリキリキリと痛む。どのように考え、決断するべきか! なんてことをずっとやってたでしょ。

――GM時代の高田さんはいつも険しい顔をされていた印象があります。

高田 そうだねぇ……。あの仕事は悪役になることでもあるからね。選手の肩を叩くんだもん。チーム作りをするということは、想像以上の決断力が必要になる。すべての責任を自分が負うんだからね。もちろん能力は必要だけど、それ以上に肝っ玉が据わっていないとできない。

――戦力外にトレード、FA残留要請。誰を残して誰を斬り、どんなチームを作っていくのか。ネットの声なんか聞いていたら死んでしまいそうです。

高田 俺はアホやからなんも気にしなかったけどな。失敗したら俺が責任とるんやからね。ファンの人は今いる選手みんなに残ってもらいたいのは当然や。「FAだけど出てっていいよ」なんて人はいないし、戦力外だって同じ。そこをリリースする決断もするわけだから、嫌われ役になるのがイヤな人はこの仕事をできないよね。

 だから、今はもう気持ちがずいぶんと楽になったよ。チームに何かを言うこともないしね。ただみんなと一緒に応援してるだけや。いや、しかし南場さんは、すごいね。誰よりも応援の熱が入ってる。その熱にあてられて、俺も気がつけばベイスターズファンと同じですよ。

――高田さんが、ですか?

高田 そうねぇ。もちろん、野球を見れば長年携わってきたからねぇ。『あの選手のここがいいな』。『こういう風に育てたいな』、なんてふと思うことはあるけど、それは立場的に絶対に口には出さないよ。今の人たちが頑張っているところだからね。

「チーム運営はフロント主導で」

――DeNAになった当初、『人が変わろうとも球団としての指針はぶらさない』というお話を聞いたのですが、高田さんの時代のチーム運営の方針は、その後も編成のトップになった三原(一晃)さん、萩原(龍大)統括本部長と、変わらずに受け継がれているのですか?

高田 うんうん。基本的にはそうだと思うよ。チーム運営はフロント主導でチーム作りをやっていく。それは最初に建てた柱として目指したものだったよね。ただ、俺の時は『チーム作りに関しては私のほうですべてやります。その代わり現場には一切口を出さないから』と言ってね。チーム作りをするフロントと、戦う現場との一線を引かせた。

 メジャーのGMほどの力や権限はないけど、俺もチーム作りに関しては『これでいこう』という意志は通してきた。ただ、今はまた事情が違うからね。基本的には同じ方針でも、人によってアプローチは変わる。今は現場と意見交換をしながらやっているのだと思いますよ。

――本当に今の球団運営には一切タッチしていないんですね。

高田 そうだね。ただ、ずっと気になるんだよ。一緒にやっていた選手がまだ多いだろ。野球界でここまで生きてこられたことは巨人のおかげやから感謝はある。けど今はもうベイスターズが気になってねぇ。

――となると、昨シーズンの……

高田 いやーーーーーー! それだよ(肩を落とす)。本当に去年は悔しかったねぇ。優勝できる最大のチャンスだったよ。これでなんで優勝できなかったんだっていうぐらい悔しかったよね。

――それほどの悔しがり方で、いつも南場さんたちと観ていらっしゃるのですね。

高田 いや、本当に悔しかったから。

――DeNA参入当初、高田さんは何度もGMを固辞されたと聞きましたが、本当に干支が一周していろんなものが変わりましたね。

高田 そうだねえ。いまの横浜スタジアムの変わりようを見ると信じられませんよ。あの当時は毎年20億の赤字を垂れ流して、チームは最下位続き。俺も最初は『DeNAなんて聞いたことない会社、球団を持って大丈夫かよ』なんて思ったもんだけどね。やっぱり、頭のいい人が集まってるんだねぇ。

 最初に“女性のトイレをキレイにしよう”とか、これまでいたチームとは発想から視点からすべて違った。それも、やっぱり組織のトップに立つ南場さんの熱だったと思うよ。あの人の熱に触れたとき俺はね、日本ハムの初代・大社(義規)オーナーを思い出してしまったよ。

熱はあるが現場に口は出さない…理想的なオーナー

――「金は出すけど口は出さない」、野球殿堂入りも果たしている名物オーナーですね。

高田 あの方も、野球を本当に愛しておられた。会食をしていても、何をしていても、ファイターズのことが気になって、秘書に途中経過を報告させていたんだから。それでいて、成績が悪くても現場の選手たちについて愚痴ることもない。監督の俺だって一度も叱られたことがないんだから。『高田、大変だろうけど頑張ってくれよ』と言ってね。

――現場にとっては理想的なオーナー像ですね。

高田 南場さんもね、一緒に観ているからわかる。あれだけ野球に対して熱を持っているのに、現場には絶対に口出ししないってのが素晴らしいよ。あんなに応援してくれるオーナーがいるってことは、ファンの方も自信もっていいですよ。

<後編へつづく>

文=村瀬秀信

photograph by JIJI PRESS