新谷仁美の東京マラソンでの日本記録更新への挑戦が終わった。

「単純に結果が出なかったということで、それ以上でもそれ以下でもありません」

 レース後、記者会見場に現れた新谷は噛み締めるようにそう語った。

 記録は自身の持つ自己ベストにも届かない2時間21分50秒。女子はパリ五輪の代表選考外である東京マラソンを回避する選手が多かったとはいえ、それでも日本人1位(全体6位)、日本女子歴代11位の記録である。

 だが、新谷は自分を許せないとでもいうように、常に視線を落としていた。

 既報のとおり、今大会はペースメーカーの粗さが目立った。レース中、熟練の記者や指導者からも「ペースが遅すぎる」と不安視する声が聞かれたほどだった。

 当初の設定は1km3分17秒ペース。だが、前半は3分20秒、ときには3分22秒かかることもあった。

「楽だなと思ってはいたんですが、設定ペースより遅いということに気づかなくて」

 見かねたコーチの横田真人が中間地点手前で「遅い!」と指示を出したことで、遅れに気づき、ペースメーカーはスピードアップ。だが、焦りもあったのか、直後は3分11秒という不安定さを見せた。

「横田コーチの声を聞いて、初めてやばいと思って。そこから変なリズムにハマってしまった」

 どの大会でもペースの多少の上げ下げは想定内と言える。だが前半だけでここまで大きくブレることは珍しいだろう。結局、このダメージが後半への失速へと繋がった。

先月の大阪国際女子でペースメーカーを務めた新谷

 1月に行われた大阪国際女子マラソンでペースメーカーを務めた新谷は、その直後、まるで今回を予見していたかのような話をしていた。

「ペースメーカーは選手ではなくて、設定されたタイムを刻むために呼ばれています。だからこそ設定を守るべきだし、そこから大きくずれているようであれば運営側が指示を出すべきだと思う。これだけ日本のマラソン界は低迷していると言われているのだから、日本陸上界を盛り上げるためにも、みんなが最後まで自分の役割に責任を持つべきなんじゃないかと思うんです」

 もちろんペースメーカーが機能しなかったから日本記録が出なかった……とは言えないだろう。

 想定通りのペースで進んでも記録は出なかった可能性もある。だが、設定タイムを設けた以上、少なくともそれを守るようオーガナイズするのが大会の責任と言えるのではないか。そのうえでペースメーカーの後ろにつくのか、前に出るのか。そこからは選手の自由であり、責任となってくる。

 ただ東京マラソン後の会見で新谷は、状況説明こそしたが、全ての原因は自分にあると語った。

「ただ、ただ力不足だったと思います。ペースメーカーにリズムをもらおうとしていたのが悪い結果につながってしまったという反省点があります。私自身が早々に気づけばよかったことですし、タイムを見ていなかったことが全ての原因だったと思います。ここまで応援してくれたのに、本当に申し訳なかったと思います」

マラソンで記録を出さないと「話題にならない」現状

 そもそも新谷がマラソンで日本記録を狙おうと決意したのは、1万mでの日本記録樹立がきっかけだった。

 当時、新谷は「ハーフマラソンで日本記録を出したときはほとんど話題にならなくて。オリンピック種目の1万mで日本記録を出したらちょっとは変わるかなと思っていたんですけど、世の中の反応は何も変わらないと実感して。やっぱりマラソンで記録を出さないといけないんだなと思ったんです」と、日本記録をモチベーションにマラソンに挑戦すると語っていた。

 その決意を胸に駆け抜けた、ヒューストン、ベルリン、そして東京。日本記録更新までわずかなところまで迫りながら、いまだ目標は達成できていない。

 だが今大会で、記録は出ずとも果敢に挑み続ける姿勢は確実に周りを変えていると感じた。

 今回の東京マラソンは、元世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ、女子マラソン世界歴代2位の記録を持ち、トラック競技のメダリストでもあるシファン・ハッサン、そしてパリ五輪代表を懸けた日本男子勢と見どころが多く、世界160の国と地域でも放送が決定するなど、世界的にも注目を集めたレースだった。

 それゆえ、新谷の挑戦はあまりテレビに映らないだろうと立ち上がったのが、100人の有志が沿道から新谷の姿をスマホで撮影して、その走りを繋ぐという「東京100人100カメプロジェクト」だった。当日は100人のファンが、新谷の姿を残すべく42.195kmを移動した。

 ただ、そのプロジェクトの100人を差し引いても、沿道の注目は新谷だった。

沿道からの「新谷ー!」という声援

 東京マラソン規模の大会ともなれば、沿道の観客は陸上に詳しい人ばかりではない。実際、「どれがキプチョゲ?」「ハッサン!……じゃなかった!」という声を聞くことも多く、名前を呼んで声援を送るのは、応援旗や応援ウチワを持つ陸上ファンや関係者が多かった。

 そんななか唯一、異彩を放っていたのが新谷だった。

 沿道に立っていると「新谷ー!」「新谷ー!」という声援が徐々に近づいてきて、姿は見えずとも間近に迫ってきていることが感じられる。

 キプチョゲもハッサンも分からなくても、新谷の顔と名前が合致して知っている人がこんなにもいるのかと驚いた。観客全員が最前列というぐらい応援が少ないエリアであったにも関わらず、途切れなかった声援。大観衆が詰めかけた銀座や浅草では、すごい声援が迎えたであろう。ゴール付近の丸の内では「新谷! ありがとう!」という声まで送られた。

「一番応援が多いんじゃないかと感じるぐらいでした。最後は私自身、もう日本記録はダメだろうなと思っていたのですが、それでも応援してくれる言葉がすごく力になりました」

 だからこそ声援に応えられなかった責任を痛感していたのだろう。記者会見で今後も日本記録を狙うのかと聞かれたときだった。新谷は涙をこぼさないように天を仰ぎ、声を震わせながら、必死に言葉を紡いだ。

「サポートしてくださっている方に、私が返せるものは限られていると思うんです。感謝の気持ちは常に持っているのですが、一度競技をやめて、まっさらな状態でこの世界に戻ってきて、それでも変わらずサポートをし続けてくれた人たちがいて。その方たちにどうしても目に見えないものじゃなく、目に見えるもので返したいという気持ちが常にあって。

 そんななかで日本記録というタイトルは形として残せるものじゃないかと思っているんです。だから今後も可能性があるなら、どうしても私はそこにこだわりを持ち続けたいと思っています」

長距離選手としての今後は…?

 東京マラソン前に話を聞いたとき、新谷は今後のプランをこう語っていた。

「私は長距離選手として、マラソンだけに特化するのはどうしても嫌で、トラックでも結果を出したいと思っているんです。ただ、マラソンに専念すると、どうしてもスピードが衰えてくる。マラソンに挑戦してもうすぐ3年。年齢を考えたら、限られた時間の中で、そろそろマラソンのストーリーから一度離れないといけない、うかうかしていられないなと思っているんです」

 新谷がこれからどんな道を歩むのかは分からない。

 だが、どんな選択をしても多くの人が応援をし続けるのではないか。そう思わせるだけの熱量が、東京マラソンの沿道にはあった。

文=林田順子

photograph by Nanae Suzuki