慶応の強さは学生コーチが支えていたのか……。
それを実感したのは、Number 1092号「慶応義塾高校『学生コーチの対話力』」の取材で、松浦廉(商3)、片山朝陽(経3)、松平康稔(法3)の3人のコーチに話を聞いたからである。
Number誌の取材では選手と学生コーチの「目標設定」「対話」に焦点を当てたが、実はもう一本、書ける題材が取材で浮かび上がってきた。
大学生による優勝のための構想力。
これが実に興味深かった。
外野担当の松浦コーチは、こう言った。
「チーム能力の最大化を図る。これが10人以上いる学生コーチの役割かと思います。それぞれが『こんなチームを作りたい』というイメージを持っています。それをコーチ・ミーティングですり合わせていき、森林(貴彦)さんに提案していきます」
監督のことを「森林さん」と呼ぶあたり、いかにも慶応らしい。
さて、優勝への準備はどのようになされたのか。
内野守備を担当した片山コーチは、2022年の秋季関東大会が終わった時点で、こう確信したという。
「甲子園は間違いなく出場できる。センバツはほぼ確定でしたが、夏も神奈川を勝ち抜けられるし、それどころか『日本一になれる』とまで思いました」
センバツの選考がかかる2022年秋の慶応の戦いぶりはこのようなものだった。
秋季神奈川県大会
準々決勝 〇東海大相模 7―4
準決勝 〇日大藤沢 7―6
決勝 ●横浜 3―6
秋季関東大会
1回戦 〇常磐大高(茨城2位) 5―3
準々決勝 〇昌平(埼玉1位) 7―3
準決勝 ●専大松戸(千葉1位) 3―5(延長10回)
慶応の強みとは…
強豪校との対戦を通して、慶応の強みが見えてきた。
・打てるチームである
・小宅(雅己・当時1年)を筆頭に、複数の投手陣を構築できる
・プレーに関わることが多い一塁(延末藍太)、二塁(大村昊澄)、遊撃(八木陽)の守備は手堅い
片山コーチは手ごたえを感じていた。
「優勝した世代は入学してきた時から能力の高さは際立っていましたが、守備にしても、打撃にしても、まだまだ成長の余地が残されていました。そして日本一になるための課題が浮き彫りになったのが、センバツの仙台育英戦でした」
仙台育英との「点差以上に大きな“差”」
2023年3月21日、慶応は前年夏の優勝校、仙台育英と対戦した。13時57分に始まった試合は鈍色の空の下、重たい展開となる。0対1で迎えた9回表に慶応は同点に追いつくが、タイブレークの末に慶応は1対2で敗れた。
松浦コーチはこの試合をこう振り返る。
「点差こそ1点でしたが、それ以上に大きな差があることに気づきました。仙台育英の投手陣、仁田(陽翔・立正大進学)君、高橋(煌稀・早稲田大進学)君、湯田(統真・明治大進学)君、3人の140キロを超える外角ストレートをまったく打てませんでしたから」
センバツが終わって、コーチ陣は『打てるゾーンを広げていく』という課題に取り組むことを選手たちに提案した。ところが、すべてがうまくは行かない。松浦コーチによれば、打撃に「粗さ」が目立つようになってしまったという。
「難しい球に対して、ゾーンを広げて積極的にバットを振っていく。春季大会前の練習試合ではある意味、野放しにしていたんです。その期間、たしかに個々の能力は向上したんですが、今度はチームバッティングが出来なくなって(笑)」
松浦コーチの実感として、「高校生はどう自分が気持ちよく練習するか?」に傾きがちだという。その弱点を修正に向かわせるのが学生コーチの腕の見せどころだ。
「高校生にはバランス感覚を持たせることが大切かなと思ってます。強くスイングすることと、状況に応じたバッティングを意識すること、この両立がなかなかできません。自分が苦手とする練習に取り組んでもらうためにも、フランクに話せる人間関係の構築は重要ですね」
コーチ陣も忌憚のない意見を交わす。もともと高校時代は同じグラウンドで練習を重ねた「同胞」でもあり、風通しが良い。
「とにかく打たないことには、勝ち抜けません」
コーチたちはチーム能力の最大化を図るうえで、コンバートについても意見を交わした。片山、松浦両コーチは守備担当ではあるが、チームの生態系、打撃のことを念頭に置きながら学生コーチ間で戦略を話し合う。甲子園の優勝メンバーは、ハッキリと打撃力を重視して構想されたものだった。松浦コーチはいう。
「とにかく打たないことには神奈川も、甲子園も勝ち抜けません」
慶応の野手陣は、次のように構想された。片山コーチは、こう話す。
「ファースト延末、セカンド大村、ショート八木は確実にアウトを取れるので、不動の3人でした。延末は野球IQが高く、機転も利くタイプで、僕も信頼していました。大村はリーダーシップがあり、八木のフィールディングは全国でもトップレベルでした」
「メジャー」と「マイナー」の二重構造
逆にポジションの競争が激しいのは三塁、そして外野だった。コーチたちが話し合い、森林監督に提案し、最終的には監督が判断する。松浦コーチはいう。
「慶応は『メジャー』と『マイナー』という二層構造になっています。コンバートを選手に伝える場合、メジャーのレギュラークラスだと、森林さんがその意図を直接伝えます。マイナーの選手の場合は、僕たちから話すことが多いですかね」
打撃を評価されてコンバートされたのは、丸田湊斗、加藤右悟、福井直睦といった面々である。もともと丸田は遊撃手、加藤は捕手、福井は投手だった。
実際、秋季県大会の横浜との決勝戦ではレフト加藤、センター丸田、ライト福井という布陣で臨んでいる。しかし、関東大会では加藤と福井をポジションチェンジ。両翼の「最適解」を求めて学生コーチ陣が知恵を絞っていることがうかがえる。
最終的に夏の甲子園では、福井がサードに回り、レフトに打撃面で飛躍的な成長を見せた渡邉千之亮、センターの丸田は固定、そしてライトは加藤という布陣に落ち着いた。
では、実際の守備位置についてはどんな戦略を採っているのだろうか? プロ野球、メジャーリーグではデータをもとに位置を変えていくが、高校野球にもこの「波」が来ているのではないかと思ったからだ。すると、松浦コーチは「そんなことはないですよ」と否定した。
「高校野球のデータは、平均値を出せるほどサンプル数が多くないんです。プルヒッターという傾向が見られたとしても、それは相手投手の球速がそこまで速くないからです。ウチのピッチャーが出ていくと、そこまで引っ張れないので、反対方向に打球が飛んでいきます。慶応としては、打球方向はそこまで重視せず、セオリー重視で守ります。むしろ、球場の特性の方が大きいです」
“メジャー”で投げられる投手を増やす
慶応高校が練習する日吉台球場、夏の神奈川県大会決勝が行われる横浜スタジアム、そして甲子園球場。それぞれの球場には特性があり、外野フェンスの位置によって戦略は変わってくる。甲子園は、どうか?
「甲子園の最大の特徴は、左中間、右中間の膨らみです。特に右中間を真っ二つに破られると三塁打のリスクが飛躍的に上昇します。被害をどう最小限に食い止めるか。深く守って長打のリスクを減らし、ポテンヒットは許容するということも、選択肢のひとつとして出てきますよね」
●投手陣
一方、投手陣の構想はどうだったのか。松平コーチは秋季大会を終えた時点で、こう考えていたという。
「秋の時点では小宅、松井(喜一)の2枚が主戦投手でしたが、球数制限のこともあり、この2枚では限界があると思いました。春のセンバツが終わってからは“メジャー”で投げられる投手の枚数を増やすこと。これが課題で、練習試合ではそれぞれの投手に課題を与え、成長を待ちました。そこで台頭してきたのが小宅の同級生のサウスポー、鈴木佳門でした」
夏の甲子園では、小宅と鈴木が両輪となって全国優勝を勝ち取るが、松平コーチはふたりの「ピッチングデザイン」に知恵を絞っていた。
「小宅に関しては、空振りを取る球種を探していました。春の段階ではスライダーで空振りが取れず、バットに当てられることが多かったんです。中間球というか、中途半端な球になっていたんですよね。春から夏にかけては、ストレートと見分けがつかないように『ピッチトンネル』を意識しつつ、感覚の鋭い選手なので、握りやリリースのタイミングの言語化を促して、再現性を高めていった感じです」
一方、急成長を見せた鈴木については「スケールアップ」がキーワードだった。
「秋の時点では故障があり、結果を残せませんでした。冬のトレーニング期には『現状維持か、それともスケールアップしていくのか?』ということを本人の思いも確認しながら進めていきましたが、大きかったのはフォームの改造です。鈴木も感覚の鋭い選手なので、その感覚を大切にしつつ、より強い球を投げられるフォームに改造し、それが結果につながったと思います」
神奈川を勝ち抜き、そして甲子園でも北陸、広陵、沖縄尚学、土浦日大、そして春のセンバツで敗れた仙台育英に勝って5勝。
クオリティの高い投手陣を構築しつつ、各々の投手のピッチングデザインを描き、それを実現させる。
慶応高校の学生コーチたちの構想力と実行力は、他のチームには見られないオリジナルなものだった。
どんなコーチでありたいか?
学生コーチたちは卒業し、入れ替わる。「だからこそ、ウチのチームは、その年によってチームカラーが変わります」と森林監督はいう。
「私は学生コーチたちの意見を聞き、それをマネージメントしていく立場です。彼らが意欲を持ってコーチングに携われるようにするのが仕事ですかね。ですから、コーチたちが替わればプランも変わり、去年のように大きく勝つこともあれば、県大会の早い段階で負けるリスクもあるかもしれない。でも、それで良いと思います」
高校野球は、とかく監督の色が強く出ると森林監督は話す。慶応は監督ではなく、選手、コーチの色が自然と特徴になっていく。
学生たちは日吉、三田の授業に出席し、レポートを書きつつ、野球のことに頭をめぐらせる。コーチ・ミーティングでは「どんなコーチでありたいか?」という話し合いも行われるという。
今年の慶応はどんなカラーに染まるか
そして、2024年の夏の甲子園を目指すチームは、3月10日から静岡県で合宿に入り、強豪校と手合わせをしている。
神奈川県の秋季大会では、準々決勝で桐光学園に敗れた。小宅、鈴木の投手陣は健在だが、ライトを守っていた加藤が主将となり、本来のポジションである捕手を務めている。
今年の慶応は、どんなカラーに染まっていくのだろう。
そして甲子園の優勝メンバーも、東京六大学野球でデビューすることになるはずだ。3人の学生コーチは口をそろえて言った。
六大学野球、そしていずれはプロ野球で活躍する彼らの姿を、スタンドから応援するのが楽しみです、とと。
文=生島淳
photograph by Yuki Suenaga