大谷翔平の前通訳・水原一平氏のギャンブル依存症のニュースが大きく報じられている。競技は違えど、欧州サッカーにおいても昨年、激震が走る出来事があった。イタリア代表を背負って立つと見られた有望株たちが陥った違法賭博スキャンダルと、そこから立ち直ろうとする現状について現地在住ライターが背景をレポートする。<全2回の第2回/第1回からつづく>

 ユベントスのMFニコロ・ファジョーリは今、“しくじり先生”をしている。

 イタリア代表が米国遠征を戦っていた3月下旬、ファジョーリはトリノから北に車で1時間、ノヴァーラという町に赴き、自治体主催による依存症治療の啓蒙イベントに出席した。

 昨年秋に発覚した違法オンライン賭博事件によって長期出場停止処分中のファジョーリは、FIGC(伊サッカー連盟)からギャンブル依存症の治療を義務付けられている。計10回のセラピー・イベント出席は専門家による治療プログラムの一環だ。

「今でも賭け事したい?」

「好きなサッカーで大金を稼げるのに、なぜわざわざギャンブルに手を出そうと思ったのかね?」

 メインゲストとして出席するファジョーリには、同年代の依存症患者だけでなく年下のユベントス・ファンや厳しい目線の年配層から好奇と冷たい眼差しが注がれる。忖度なしの衆目に晒される中で、依存症にかかった自分に向き合い、しくじり体験を話すことが今の彼に課せられた試練だ。

闇サイトへの借金額は4億7000万円に膨れ上がり

 昨年の晩夏、闇ギャンブルによる借金の重圧や胴元からの恫喝の恐怖に耐えきれなくなったファジョーリは、トリノ地検へ“自首”した。取調べに対し、観念したように実態や心情を白状した。

 最初に違法サイトで賭けたのは21年の秋、U-21代表合宿中だった。代表のチームメイトだった(当時)ミランMFサンドロ・トナーリから誘われた。

 レンタル修行先のクレモネーゼからユーベに戻った22年夏の時点で、闇サイトへの借金額は25万ユーロ(※当時のレートで約3300万円)だったが、1年と経たずに300万ユーロ(※4億7000万円強)に膨れ上がった。

クリアミスの号泣、真相は「借金のことを…」

 23年4月16日、「練習にも試合にも身が入らない」状態で先発出場したサッスオーロ戦で、ユベントスは0-1の手痛い敗戦を喫した。自陣ゴール前でクリアミスを犯し、相手FWの決勝ゴールを“アシスト”してしまったファジョーリはベンチに下がった後、顔を覆い号泣した。

 チームメイトが代わる代わる慰めるシーンは感動的だと話題になったが、涙の本当の理由は「借金のことを考えたら怖くてたまらなくなった」からだった。

 違法オンライン賭博サイトには、一定のエリアごとに胴元の息がかかった“プロモーター”がおり、負け分のツケがたまったファジョーリは彼らから直接脅しを受けるようになっていた。

「負け分を払うか、さもなきゃ両脚へし折るぞ」

 ファジョーリは3歳年上の同僚DFフェデリコ・ガッティに「欲しい腕時計があるんだけど母親から口座を止められてて」と嘘をつき、4万ユーロを借りて当座の返済にあてていた。その頃、ファジョーリは5つも6つも違法サイトを掛け持ちし完全にギャンブル依存症に成り果てていた。

心の聖域、ユーベだけは汚せなかった

「借金を返すためだけにサッカーの仕事をしているようだった」

 プロモーターの一味からファウル数やイエローカードに関する八百長行為も持ちかけられた。だが、それだけはできないと踏みとどまった。

 ファジョーリは愛するユベントスの試合には決して賭けなかった。心の聖域だけは汚せなかった。

 出場停止期間が始まってから、彼は個人メニューの練習に日々勤しんでいる。治療プログラムにはFIGCのモニタリングの他にユーベのメディカルチームが加わり、手厚いサポート体制が整う。

「最も声をかけて励ましてくれるのは(FWドゥシャン・)ブラホビッチやガッティ、(FWフェデリコ・)キエーザです。フロントやアッレグリ監督、チームメイトたちの支えが本当にありがたいです」

アッズーリが連覇を狙うEUROに、トナーリは出られず

 一方、海を越えたイングランドではトナーリが陰鬱な日々を送っている。

 事件発覚後、すみやかに罪を認めて改心し、違法オンライン賭博捜査へ協力することで減刑を得たが、博徒崩れの心は晴れないままだ。

 昨年12月中旬、UEFAチャンピオンズリーグでの対戦でミランがニューカッスル遠征に来た際、トナーリは併催される人気(ひとけ)のないUEFAユースリーグの試合をわざわざ訪れ、愛する古巣の仲間たちと旧交を温めた。母国やサッカーから離れた境遇がよほど堪えているのか、その姿はいじらしく映った。

 トナーリの処分が明けるのは来シーズン開幕後の9月で、3年前にアッズーリの一員として優勝したEUROも今夏の大会への参加は叶わず。仲間たちの奮戦を恨めしくTVの前で観ることしかできない。

 ニューカッスルを率いるエディ・ハウ監督にとっても、今季チームの中心を担う一人となるはずだったトナーリを起用できない不満は大きいだろう。それでも46歳の指揮官は彼に同情を寄せ、復帰を待ちわびる。

「トナーリはチームでのトレーニングに励んでいる。ほとんどが個人メニューか少人数グループでの限定メニューだが、このつらい時期を乗り越えて復帰することは彼の精神面において重要な試練になるだろう」

ルーニーが口にした「ギャンブルはもうたくさんだ」

 賭博スキャンダルはイタリアの専売特許ではない。プレミアリーグでも、昨年5月に賭博行為を禁ずる規約の違反者が出ている。

 ブレントフォードのFWイヴァン・トニー(28歳)は、FA(イングランド協会)の調査で、17年から21年にかけ、計262回もサッカーの試合で賭けていたことを認め、8カ月間の出場停止処分と罰金5万ポンドの制裁を受けた。処分は今年1月に終了し、トニーは復帰後すでに4ゴールを決めている。

 名FWだったウェイン・ルーニー(38歳)も、現役引退前のダービー・カウンティ時代に依存症の治療セラピーに出席し、自身のギャンブル依存について語ったことがある。

 曰く「俺は若造でクラブでも代表でも移動ばかり、大金と暇を持て余していたから携帯を使ったオンライン賭博にハマった。自分が何をしでかしたかに気付くのは、とっくに負けが相当込んだ後さ。5カ月も経たないうちに80万ユーロを吸い取られたよ。こうなると、すった金のことばかり考えてサッカーに集中するどころじゃなくなる」

 アルコールや格闘技好きで知られた放蕩三昧のルーニーですら「ギャンブルはもうたくさんだ」と反省しているのだ。

セリエA選手の約500人のうち、最低でも10〜15人は

 ファジョーリの治療にあたっているパオロ・ジャッレ医師は、アルコールや薬物、ニコチン等各種依存症の専門家だ。同医師は強調する。

「ギャンブルは悪癖や有害な習慣などではありません。れっきとした病気です。言い方は厳しいですが」

 ドクターは冷静に驚愕の数字を並べる。

「セリエAの選手数は約500人。私の専門分野の一般的統計モデルにあてはめると、彼らの中に最低でも10人から15人のギャンブル依存症の選手がいる計算です。『同年代と比べて高額のサラリーと自由時間を多く持つ』等の条件を加味すれば、依存症の選手がリーグ全体で30人、40人いても何ら不思議はありません。今回の事件は氷山の一角でしょう。表面化していないだけで、サッカー界全体ではかなり多くの人間がギャンブル依存症に陥っているはずです」

W杯優勝に導いたロッシもキャリアの汚点があるからこそ

 2012年、EURO本大会直前のイタリア代表合宿へやはり警察が捜査に立ち入った国際スポーツ賭博スキャンダルがあった。アジア圏シンジケートによる大規模な試合工作が疑われ、選手やOB、関係者から多くの逮捕者が出た。当時、事件を担当したトリノ地検検事の発した一言が今も頭にこびりついている。

「賭け事は人間の持つ本性の一つ。撲滅することは不可能だ」

 確かにギャンブルも違法サイトも無くすことは非現実的だろう。だが、ギャンブル依存症は克服できる可能性がある。

 練習の傍ら週2回通うセラピーで、ジャッレ医師は4年前に他界した名FWパオロ・ロッシを引き合いに出しながら、ファジョーリへ「EURO2024への代表招集を狙ってみてはどうだい」と穏やかにけしかけている。

 2016年にイタリア・サッカー殿堂入りした球聖ロッシには、1980年の八百長疑惑による出場停止処分というキャリアの汚点がある。だが彼はユベントスへの移籍を契機にどん底から這い上がり、82年スペインW杯に出場すると得点王と優勝、さらにバロンドールまで勝ち取った。

 人生のセカンドチャンスはあるのだ。

完全に克服できないかもしれない。けれど…

 啓蒙イベントで依存症を克服できると思うか、と問われた“しくじり先生”ファジョーリは、率直な言葉で答えた。

「自分が克服できているか、正直わかりません。もしかしたら完全に克服はできないかもしれない。けれど家族や信頼できる友人に囲まれていい方向に向かっている。そんな気がするんです。今は試合に出たい。少しでも早く、サッカーの試合のアドレナリンを感じたい」

 ファジョーリの出場停止処分が明けるのは5月19日だ。

 6日後の今シーズン最終節、モンツァ戦が復帰戦と見られている。

<第1回からつづく>

文=弓削高志

photograph by Getty Images,Takuya Sugiyama