2023ー24年の期間内(対象:2023年12月〜2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。箱根駅伝部門の第3位は、こちら!(初公開日 2024年1月5日/肩書などはすべて当時)。

 箱根駅伝の復路は、まさかの展開になりつつあった。

 藤田敦史監督が見ていたテレビ画面には6区の帰山侑大(2年)が山頂付近で苦しそうに顔を歪めて走っているシーンが映し出されていた。

「おかしい。こんなこと今までなかった。何かが起きたんだと思いました」

昨年6区区間賞の2年生は「インフルエンザ」で調整不良

 前日の往路、駒澤大は青学大に2分38秒差を付けられて2位に終わった。

 逆転優勝を果たすには、かなり厳しいタイム差だが、それでも山下りで2分ぐらいまで縮め、7区から9区まで各30秒ずつ詰めていければ追いつけると踏んだ。そのためには、「攻めていく」と藤田監督が宣言した6区の走りが非常に重要だった。

 だが、レース後に差し込みがあったことを吐露した帰山は、ペースが上がらず、スピードに乗った下りができなかった。小涌園(9キロ)では3分18秒、函嶺洞門(17.1キロ)では3分45秒差に広げられ、当初のプランとは真逆の展開になってしまった。

 本来なら前回、6区区間賞の伊藤蒼唯(2年)が走る予定だったが、全日本大学駅伝後、インフルエンザにかかり、12月に入って練習を始めた。一方、帰山はその期間も練習をしっかりと積むことができており、調子が良かった。4区山川拓馬(2年)、6区帰山の起用は早い段階で決まった。

帰山は責任を感じて、涙を流した

 昨年は当日変更で伊藤と交代し、悔しい思いをした帰山だが、今回は出走が決まり、区間賞獲得を自分に課した。

 だが、箱根の山下りは甘くはなかった。

 最後までペースが上がらず、7区の安原太陽(4年)に襷を渡した時には、青学大との差は4分17秒まで広がった。この時点で、現実的には逆転が絶望的になった。帰山は責任を感じて、涙を流した。

今季ずっと先頭でレースをしてきたので…

 藤田監督は、狙い通りにいかない難しさを感じたという。

「6区で少しでも前との差を詰めていくことができれば、追撃態勢を整えることができたと思うんですけど、それがまずできなかったというところで精神的なダメージを受けてしまった。あと、今季ずっと先頭でレースをしてきたので、後手に回ってしまったことで動揺が走ってしまったかなと思います」

 復路の出足で躓いたことは、残りの区間の選手の走りに如実に影響した。

 7区の安原は帰山の走りをカバーし、青学大を追わないといけない状態だったので、突っ込んで入った。だが、なかなか差が詰まらず、焦りが生じた。必死に前を追うが最後は足が止まった。青学大との差は8区の赤星雄斗(4年)に襷を渡す時には4分44秒に開いていた。

流れを変えられなかったのは本当に申し訳ない

「4年生として流れを変えていかないといけない中、流れを変えられなかったのは本当に申し訳ないです」

 安原は、果たすべき役割を果たせず、悔し涙を流した。

 その後も悪い流れを断ち切れず、区間ごとに差を広げられ、10区の庭瀬俊輝(3年)がゴールした時には、青学大と6分35秒もの差がついていた。

1区で多くの選手が「3冠が見えた」

 駒澤大は箱根を失い、歴史を作ることができなかった。

「大きかったのは、やっぱり3区ですね」

 藤田監督は、悔しさを滲ませてそう言った。

 3本柱の篠原倖太朗(3年)が1区、鈴木芽吹(4年)が2区、佐藤圭汰(2年)を3区に置き、この3区間で後続を大きく突き離すのが、駒澤大の戦略だった。

 実際、1区ではそれがハマった。篠原がトップに立ち、そのまま鈴木に襷繋ぎをした時、篠原自身を含め、多くの選手が「2年連続3冠」が見えたという。だが、見えたことで徐々に別の感情に支配されていった。勝たないといけない、ここでさらに差を広げないといけないという焦りが生じたようだった。

エース・佐藤圭汰が抜かれた衝撃

 さらに2区で鈴木が青学大の黒田朝日(2年)に詰められ、3区では10000mのU20日本記録27分28秒50を保持するエースが太田蒼生(3年)に並走され、揺さぶられて負けてしまった。その現実は佐藤の凄さを知る駒澤大の選手たちに大きな衝撃を与えた。実際、「圭汰が抜かれるなんて」と選手たちが集まる駒澤大の食堂はシーンと静まり返ったという。

「2区で黒田君に詰められても3区の圭汰のところで太田君を離してというのを想定していたんですが、離せなかった。その結果、4区の山川が追い掛ける展開になり、無理して股関節痛を再発させてしまった。ここは、もう負の連鎖でした」

 ただ、藤田監督は、「レースそのものは悪くなかった」と選手たちをかばった。

往路の設定タイムを上回っていた

 佐藤は太田に競り負けたが、設定タイム通り走れなかったのかというと、決してそうではなかった。1区の設定は62分で、篠原は61分02秒、2区の設定は66分30秒で鈴木は66分20秒、3区は61分で佐藤は60分13秒だった。4区は61分で山川は62分32秒、5区は70分45秒で金子伊吹(4年)は70分44秒と、ほぼ設定通りに走っていた。往路区間の設定タイムは、5時間21分で、実際は5時間20分51秒の大会新記録、全員がほぼ設定通りに走っていた。

「圭汰は、山川が遅れた分をカバーしているので、全体的に狙い通りの走りができていたんです。でも、その上を青学に行かれました。さすがに5時間18分の往路記録は想像できなくて、監督としての経験値の少なさがすごく出てしまったかなと。復路も6区以外は、全員が5番以内で走っているので選手はよく頑張ってくれました」

 設定通りに戦えたが、勝負には負けてしまった。

青学大に完敗した理由

 なぜ、ここまで差がついてしまったのか。

「ひとつはスタミナの差でしょうね。今回、年間を通してのスタミナ作りをやっていかないと箱根の距離になった時、脆さが出てきてしまうのを実感しました。青学は、年間通してスタミナ作りをしているというのを聞いているので、その差が出てしまったのかなと思います」

 青学大は伝統的に長い距離を踏んで強化をしている。そこには、箱根では絶対に負けない、負けられないという執念みたいなものが感じられる。そういう空気がチーム内でうまく醸成され、自主的に練習に取り組み、力をつけていくといういいサイクルができている。その結果、とんでもない爆発力を持った選手が出てくる。それが3冠、箱根3連覇を達成した2017年の3区秋山雄飛であり、今回3区を駆けた太田だった。

世界の舞台と箱根の頂

 彼らのような選手が生まれてくる背景について、藤田監督はこう語る。

「そういう選手が生まれてくるのは、箱根に懸けているチームの特徴であり、強さだと思います。トラックレースをやっていくとスピードを出すために距離を踏むのを控える調整期間が必要になるのですが、箱根だけってなると、年間通して長い距離を走っていられます。そうして培われたものが箱根に出るのでしょう。うちは、世界を目指す選手の育成も同時に進行しているので、今後もスピード強化とスタミナ作りの両面でやって行きたいと思っていますが、今回の結果を見ると地道なスタミナ作りが足りなかったと思っています。そこは今後うちが取り組んでいかないといけない課題でしょうね」

現役時代、私も3冠に届かなかった。またか…

 今後の課題について収穫はあったが、2年連続3冠にはあと一歩及ばなかった。そのことについて藤田監督は、どう考えているのだろうか。

「このチャレンジはうちしかできないことだったので、すごく誇りに思いますし、駒澤大学にとって大きな財産になったと思います。もちろん、(3冠を)取れなかった悔しさはあります。(現役時代)私も出雲、全日本を取って箱根を取れなかったので、またかという思いです。箱根は取れそうで取れない。区間配置や選手の起用についてもその難しさを改めて感じました。そういう目を私自身もっと磨いていかないといけないと思いますし、来年は箱根で勝てるチーム作りをしていきたいと思っています」

自分を責めずに再び箱根でやり返してほしい

 レース後、各大学のミックスゾーンは、選手と報道陣でごった返していた。大きな窓の近くに佇んでいた安原は、「何も残せなかった」と悔しさを噛みしめた。

「後輩たちに2年連続3冠を残していこうというのは4年生のミーティングでも言ってきましたし、4年生が全員そう思ってやってきました。それができなかったのは、本当に残念でした。この悔しさをみんなが感じてほしいですし、帰山も自分を責めずに箱根でやり返すぐらいの気持ちでこれから頑張ってほしい。来年の箱根は絶対に取り返してほしいですね。僕は、これからは一ファンとして応援していきます」

 駒澤大が2年連続3冠に果敢に挑戦した姿勢は、他大学を刺激し、青学大の大会新記録での優勝を生む一つの要因になったのは間違いない。また、駒澤大が今年以上に強くなるためのステップとして考えれば、今回の箱根2位はこれ以上ないモチベーションになるはずだ。

 駒澤大の2024年は、悔しさを力に変える1年になる。

文=佐藤俊

photograph by Naoya Sanuki