今季からシカゴ・カブスに移籍した今永昇太(30歳)が快投を続けている。

 5月3日時点で6試合に先発して無傷の5勝、防御率0.78。海の向こうから伝わるコメントも彼らしくウィットに富んでおり、日本の野球ファンも表情をほころばせている。

 本記事ではあらためて「今永昇太とは何者なのか?」その人物像を描き出してみたい。

山崎康晃が明かす「今永ってどんな人?」

「よく連絡をくれますし、ほかのチームメイトみんなとも頻繁に連絡を取り合ってるみたいですよ。向こうにまだ友だちがいなくて寂しいんじゃないですかね(笑)」

 そう話すのは、DeNAで今永と同僚だった山崎康晃だ。山崎はドラフト1位で2015年に入団、その1年後に今永が同じくドラフト1位で入団してきた。山崎は抑え、今永は先発と役割は異なるが、2人は昨シーズンまでの8年間にわたり苦楽をともにしてきた戦友といえる。

 山崎は、1つ年下にあたる今永の人柄について、こう語る。

「純粋な野球少年であり、冒険家でもあり、ファニー・ガイ。人間として非常に魅力的な存在ですよね。冒険家という表現を使ったのは、彼がずっと何かに挑戦しているように感じられるからです。もちろんメジャーもそうですし、投げ方や変化球の握りなんかも、昨日と今日で全然違うことをしたりする。変化を恐れず挑戦する姿勢を、常日ごろから見てきました」

 山崎自身、一時はメジャーへの移籍を真剣に考えた。悩み抜いたすえにDeNA残留を決めたわけだが、その目に今永の活躍はどう映っているのだろう?

「自分のことのように一喜一憂してますね。打たれれば落ち込むし、『まだまだこんなもんじゃない。次こそはやってくれる』って思いますよ。うらやましさは……どうですかね。(先発と抑えで)仕事が違いますし、活躍しているうれしさのほうが強いかな」

 山崎は、今永との思い出について楽しげに話してくれたが、一方で少し困ったような表情も浮かべるのだった。

「『昇太とこういうことがあったよ』と話すのは簡単なんですけど、彼はどういう人物ですかと聞かれると、僕もまだ分かっていない部分がありますね。いろんな顔を持っている男なので」

 その言葉に、筆者も思わずうなずいた。今永という人間は、多面的であるがゆえに描写が難しい。

筆者に“ナゾのあだ名付け”

 筆者は今永がルーキーだった2016年から幾度もインタビューをしてきたが、彼を特徴づける一面として真っ先に思い浮かぶのは、高いコミュニケーション能力だ。

 入団2年目あたりから、今永と顔を合わせるたび、あだ名で呼ばれるようになった。「日比野」という響きに遊び心をくすぐられたのか、「ヒビアン・スーさん」「日比谷線さん」と続き、最後にはドラえもんの野比のび太をもじって「ひび・ひびたさん」とまで。そんなふうに接してきた選手は、後にも先にも彼しかいない。

 年齢はちょうどひと回り離れているが、筆者としては怒りなど微塵も感じなかったし、むしろ嬉しかったのを覚えている。

 いわゆる「目上の人」に対する接し方がうまい。これについては、かつて本人も認めていた。

「大学1年生のときなんかは(上下関係が)めっちゃ厳しいので、変な要領を覚えちゃって。自分で言うのも何ですけど、それ(処世術)はうまいと思いますよ。これの世界ですから」

 そう言いながら、今永は“ごまをする”しぐさを見せたのだった。

先輩に辛辣な一言「いじられてました」

 実際のところ、そんなにごまをすっていたわけでもないのだろうが、「こいつ面白いヤツだな」と思ってもらえる絶妙の間合いで先輩と接し、良好な関係を構築してきたことは間違いない。

 1つ先輩の山崎との間にも、こんなエピソードが残っている。

 昨年7月15日の広島カープ戦。先発の今永は8回無失点の好投を見せた。ところが、1-0の9回にマウンドに上がった山崎が同点のソロホームランを被弾し、さらに二塁打を打たれて降板。後続の投手も、勢いづいた広島打線を止められず逆転負けした。

 試合直後は互いの心情に配慮したやりとりがあったが、数日経つと一転、今永は過去を蒸し返し始めた。

 山崎の前で、わざとらしくこんなことを口にしたという。

「あのホームランがなかったら、今ごろ7勝してるはずなんだけどなあ……」

 辛辣な一言を浴びせられた山崎。苦笑交じりに振り返る。

「いじられてましたね。彼は結構根に持つタイプなので、2〜3年経ってもまだ言われるんじゃないですか(笑)。でも、そうやってジョークにしながら、僕に対してハッパをかけてくれていたのかなとも思います。僕にそんなことを言ってくる人はなかなかいませんし、彼の存在に救われた部分は大いにありますね」

 今永は、先輩だけに意識を傾けていたわけではない。山崎は言う。

「後輩への接し方、向き合い方も非常に器用ですよ。あれだけのビッグネームでしたけど、後輩たちみんなに慕われて、楽しく話している姿には僕も学ぶべき部分があるな、と」

 謙虚な姿勢を貫くこと、あるいはユーモアを駆使することで、近づきがたい先輩になることを巧みに避けていたのだろう。こうしたバランス感覚も、実に今永らしい。

8回無失点でも「反省」の真意

 もう一つ、左腕の特異な一面として「客観視する力」を挙げたい。

 今永は、“第3の目”を持っているように見える。その目は厳しい性格を宿しており、「それでいいのか?」と常に今永自身に問いかけるのだ。悪い結果が続いているときはもちろん、良い結果が出たときも。

 先ほど触れた昨年の広島戦の直後、今永はこう話していた。

「自分は8回無失点だったけど、チームは負けている。そこで僕が考えるべきことは『8回無失点だったから大丈夫。俺は何の問題もない』ではなくて。攻撃陣にリズムを持ってこられたか。あそこのムダ球がどうだったか。勝ってしまうと、そこまで目が及ぶことは少なくなってしまう。負けたときにあらためて学ぶべき点がたくさんある」

 自身を俯瞰する視点は、今永を変化へと駆り立ててきた。山崎は「冒険家」と表現したが、その原動力はいつだって現状に対する厳しい問いかけだったのだ。

 山崎が言う。

「やっぱり探求力は、僕が今まで見てきた選手の中でもずば抜けています。試合の途中でも投げ方を変えるくらいですから。『今日(球の)ラインが出てないんで、ちょっと(腕の出し方を)斜めからにしますわ』とか、ロッカールームで堂々と話すんです。それで実際に、次の回には投げ方が変わっている。そういうのは僕にはない感覚ですね」

 過去には、投球時に立つ位置をプレートの一塁側の端から三塁側の端に変えて復調したこともあった。修正点を見定めれば躊躇なく大胆な変化に打って出るのも、今永の特徴だ。

 最後に、これまでの対話の中から今永の言葉を一つ紹介したい。

忘れられない「1年目の発言」

 今永が駒沢大の4年生だったとき、秋のリーグ戦でチームの成績が振るわず駒沢大は東都の1部2部入れ替え戦に回り、東洋大に敗れて2部降格が決まった。そのときのことを振り返っての発言だ。

「1部に残留していた自分と、2部に落ちた自分、その両方の道があるじゃないですか。結果としては2部に落ちたほうの道を進むことになったわけですけど、それを正解にするのも、不正解にするのも、自分だと思っています」

 2016年2月、ルーキーとして初めての春季キャンプをスタートさせてから数日後に言ったセリフだ。当時22歳の頭を占めていたのは、ドラフト1位でプロ入りできた誇らしさではなく、母校に置き土産を残せなかった不甲斐なさ。このときからすでに、今永は第3の目で自身の姿を見下ろし、己の未熟さを燃料として成長の歯車を回し始めていた。

 その回転はDeNAでの8年間も、そしてメジャーで過ごすこれからも、きっと止まることはないだろう。少なくともその点だけは、安心して見ていられる。

「ファイヤー!」って叫んでいたり…

 山崎は笑顔でこう話していた。

「いたずらでホットクリーム(温感クリーム)を塗られたパンツを知らずに穿いて、(エスコバー選手ら外国人選手に)『ファイヤー! ファイヤー!』って叫んでいたり……そんな彼のことが僕は大好きでした。ほんとに楽しかった。まあ、いつか戻ってくるでしょうけどね。僕はそう信じてますよ」

 もし本当にそうなるのだとしたら、またきっと含蓄のある言葉でさまざまな経験談を語ってくれることだろう。

 メジャーでの活躍を見守りながら、そのときを楽しみに待ちたいと思う。

文=日比野恭三

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