人気ミステリ作家・綾辻行人のデビュー作「十角館の殺人」が、Huluで初めて映像化された。1987年に出版された同書はベストセラーとなり、「新本格ミステリ」ブームを呼ぶことになった。だが、トリックの奇抜さゆえに、映像化は不可能とされてきた禁断の書でもあった。漫画化、アニメ化、実写化されたホラーファンタジー「Another」と並び、多くのファンから愛され続ける綾辻のブレイク作「十角館の殺人」の魅力を探ってみよう。

タイトルからすでに始まる巧妙なトリック

 ミステリ作家・綾辻行人のデビュー作「十角館の殺人」は、ミステリ研究会に所属する大学生、通称「エラリイ」の、こんな台詞が冒頭で語られる。

「僕にとっての推理小説とは、あくまでも知的な遊びの一つなんだ。小説という形式を使った読者対名探偵の、あるいは読者対作者の、刺激的な論理の遊び。それ以上でもそれ以下でもない」

 京都大学大学院に在学中だった綾辻が1987年に刊行した「十角館の殺人」は、斬新なトリックが大きな話題となった。同書は100万部を越えるベストセラーとなり、エラリイの台詞はそのまま、綾辻による「新本格ミステリ」時代の幕開けを告げる声明にもなった。


綾辻行人『十角館の殺人』(講談社文庫) 『十角館の殺人 』(アフタヌーンKC )©Yukito Ayatsuji/Hiro Kiyohara 2019

 謎の屋敷を舞台に、訳ありな住人たちが暗躍し、探偵が謎に挑むという本格推理小説の世界を、綾辻は「十角館の殺人」で見事に復活させてみせた。綾辻は続けて「水車館の殺人」「迷路館の殺人」「人形館の殺人」「時計館の殺人」‥‥と「館」シリーズを発表。さらに綾辻が在籍した京都大学推理小説研究会(略称・京大ミステリ研)からは、エラリー・クイーンから強い影響を受けた法月綸太郎、人気ホラーゲーム「かまいたちの夜」のシナリオを担当した我孫子武丸らが作家デビューを果たす。松本清張を中心にした社会派ミステリから、新本格ミステリへと時代は動くことになった。

 読者を大いに欺く「十角館の殺人」は、タイトルからある意味、すでにトリックが始まっている。映画の世界では、1990年代からデヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』(1995)や『ファイト・クラブ』(1999)、M・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』(1999)などが大ヒットし、どんでん返しを狙った作品が続々と派生したが、小説「十角館の殺人」はそれらの作品に先駆けた衝撃作だったのだ。

 2024年3月22日(金)より、Huiuにて連続ドラマ「十角館の殺人」(全5話)の配信が始まる。小説ならではの叙述トリックが核となった作品ゆえに映像化は不可能だとされ、今回が初めての映像化だ。『ラーゲリより愛を込めて』(2022)で二宮和也の息子を演じた奥智哉の初主演作であり、『るろうに剣心』(2012)などの人気作で活躍する青木崇高とのW主演となる。

 では、今なお多くのファンを惹きつける「十角館の殺人」の魅力はどんなところにあるのだろうか。

密室状態の孤島で起きる連続殺人事件

 物語の舞台となるのは、海に浮かぶ孤島「角島」。この小さな島では、半年前に天才建築家・中村青司(仲村トオル)とその妻、使用人夫婦の4人の焼死体が発見されていた。事件後、角島は無人島となっていたが、青司が建てた十角形の外観をした奇妙な建物は残されていた。そこは「十角館」と呼ばれる屋敷であった。

 その十角館を、K大学ミステリ研究会の男女7人が合宿で訪れる。推理小説マニアである7人は、それぞれエラリイ、アガサ、ポウなど人気推理作家の名前を愛称にして呼び合っていた。1週間の合宿中に新作小説を書き上げようと息巻く7人だったが、十角館の7部屋ある個室でそれぞれ一夜を明かした翌朝、惨劇が始まる。何者かによって殺された仲間の死体が見つかったのだ。外部との連絡は取れず、犠牲者はさらに増えていく。

 一方、合宿前にミステリ研究会を退会していた江南孝明(奥智哉)は、推理小説好きな島田潔(青木崇高)と知り合い、中村青司の死をめぐる真相を探ろうとしていた。青司の謎を追う江南と島田、密室状態である角島で誰が殺人犯か分からずに疑心暗鬼に陥っていくミステリ研究会のメンバー。2つの物語が交差した瞬間、思いがけない真実が明かされることになる。

 「叙述ミステリ」の傑作として「十角館の殺人」は名高い。また、叙述ミステリとしての仕掛けだけでなく、中村青司が設計した十角館には、意外な秘密が隠されている。米国の「タイム」誌が選ぶ「史上最高のミステリー&スリラー本」オールタイム・ベスト100に選出されるなど、海外での知名度も高い。

 無人島に招待された登場人物たちが次々と殺されていく展開は、“ミステリの女王”アガサ・クリスティの名作「そして誰もいなくなった」にオマージュを捧げたものであり、タイトルは綾辻が少年時代に心酔した江戸川乱歩の「三角館の恐怖」にちなんだものとなっている。ミステリ好きの心を刺激する要素が惜しみなく散りばめてあるのが、綾辻行人のデビュー作「十角館の殺人」だ。デビュー作には作家のすべてが詰まっていると言われるが、「十角館の殺人」こそまさにそのとおりの作品である。

ミステリ界の「トキワ荘」から飛び出した才人たち

 綾辻行人が大学院時代に執筆した「十角館の殺人」は、綾辻自身の学生時代を投影した小説でもある。綾辻が所属していた京都大学推理小説研究会には、1学年下に大谷大学文学部に通う小野不由美がいた。入会したばかりの小野は、綾辻とホラー映画の話題で盛り上がり、意気投合したそうだ。

第29回江戸川乱歩賞に『十角館の殺人』の原型作品『追悼の島』を応募して、一次選考は通過、二次選考で落ちました。22歳のときの、青春のひとコマですにゃ。#私の乱歩賞 https://t.co/l5waOs95iN

— 綾辻行人 (@ayatsujiyukito) May 13, 2021

 推理小説研究会時代に、綾辻と小野は「追悼の島」を共作しており、これが「十角館の殺人」の原型となった。メインとなるトリックは、小野のアイデアだと言われている。綾辻と小野は「十角館の殺人」が出版される前年の1986年に学生結婚しており、小野も作家デビューを果たし、今や「十二国記」などのファンタジー小説の大家となっている。

 もし、どちらかだけ売れっ子になっていたら、今年のアカデミー賞脚本賞受賞作『落下の解剖学』の作家夫婦のような悲劇が起きていたかもしれない。ふたりがおしどり夫婦で、出版界は幸運だった。ちなみに小野不由美原作、中村義洋監督の実話系ホラー映画『残穢 住んではいけない部屋』(2016)では、小松由美子(竹内結子)とその夫・直人(滝藤賢一)として描かれている。

 また、原作の「十角館の殺人」の舞台は大分となっている。綾辻は京都生まれであり、大分は小野の故郷。創作過程には、ふたりのラブロマンスも隠されているように思う。いつか、綾辻と小野が「十角館の殺人」の創作秘話を明かす日が楽しみだ。

 それにしても当時の京都大学推理小説研究会の顔ぶれがすごい。綾辻のデビューに続いて、後輩となる法月綸太郎、我孫子武丸、小野不由美らが次々と作家になっている。さながら当時の京都大学推理小説研究会の部室は、ミステリ界の「トキワ荘」状態だったようだ。


法月綸太郎『赤い部屋異聞』 (角川文庫) 我孫子武丸『殺戮にいたる病』 (講談社文庫)

 古今東西の名作ミステリについて語り合うだけでなく、メンバーが創作した推理小説を掲載したサークル誌を定期的に発行し、学園祭で販売していた。また、メンバーが書き下ろした新作ミステリを朗読し、他のメンバーがメモを取りながら推理する「犯人当て」も開いていたという。このときのアイデアをもとにして、綾辻は短編集「どんどん橋、落ちた」を発表している。「どんどん橋、落ちた」には、“悩める自由業者”リンタローや“その愛犬”タケマルが登場する。学生時代の名残りを感じさせる、遊び心に満ちた一冊となっている。

 スポーツでも、一人が新記録を達成すると、次々とそれに続くアスリートたちが現れ、記録がみるみる更新されていくことになる。ブレイクスルーと呼ばれる瞬間だ。綾辻の「十角館の殺人」でのデビューこそ、ミステリ界にブレイクスルーを招いた瞬間だった。京都大学推理小説研究会のメンバーだけでなく、有栖川有栖、歌野昌午らも脚光を浴びることになった。また、綾辻らの活躍に刺激を受けた新世代の作家は、かなりの数になるだろう。

映画版『アナザー』では省かれた叙述トリック

 学園ミステリ小説「Another」で、綾辻作品と出会った若い世代も多い。「Another」は、山崎賢人&橋本愛による青春ホラー『Another アナザー』(2012)として実写映画化されている。古澤健監督による映画版『アナザー』は、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でブレイクする直前だった橋本愛のミステリアスさを前面に押し出した作品だった。眼帯姿の橋本愛の美少女ぶりは特筆されるが、原作の「叙述ミステリ」としての面白さは残念ながら省かれた形となっていた。

 小説という文字メディアゆえに成り立つ「叙述ミステリ」は、映像化が極めて難しい。その困難なハードルに今回「十角館の殺人」で挑んだのが、内片輝監督だ。朝日放送で1999年〜2008年に放映されたテレビドラマ「安楽椅子探偵」シリーズ(綾辻と有栖川有栖との共作)では、ディレクターを務めている。「安楽椅子探偵」は関西ローカルながら、出題編と解答編の2週にわたって放送された画期的な懸賞金付きの番組だった。

 その後、朝日放送を離れてフリーとなった内片監督は、水谷豊主演ドラマ「相棒」(テレビ朝日系)やWOWOWの連続ドラマW「邪神の天秤 殺人分析班」などの人気番組を手掛け、キャリアを磨いてきた。そして綾辻との出会いから20年越しで実現させたのが、今回のHulu版「十角館の殺人」というわけだ。

 脚本には「半沢直樹」「VIVANT」(共にTBS系)などの大ヒット作を放った八津弘幸らを起用。キャストは探偵コンビに扮した奥智哉と青木崇高の他に、仲村トオル、草刈民代、角田晃広、河井青葉、前川泰之、池田鉄洋、濱田マリといったクセのある実力派俳優を配役。角島で惨劇に遭遇するミステリ研究会のメンバーには、元欅坂46の長濱ねる、宮部みゆき原作のミステリー大作『ソロモンの偽証』(2015)でインパクトを残した望月歩ら、今後の活躍が期待される若手俳優たちがキャスティングされている。

 原作を完全映像化した全5話となっており、第4話のラストにミステリ界の伝説となった「あの一行」が用意されている。原作ファンは「あの一行」がどのように映像化されたのか、また原作未読の方は真犯人が誰なのか、ぜひ確かめてほしい。

奇妙な「館」は各地に残されていた!?

 惨劇の舞台となる「十角館」と同じくらい、異様な存在感があるのは天才建築家・中村青司だ。常人には理解できないダークな一面を持つ青司がおかしな館を建てたために、恐ろしい事件が起きてしまったと言える。綾辻ファンには今さらな説明だが、青司は「十角館」だけでなく、各地に奇妙な館を建てており、この後も「館」シリーズとして惨劇が続くことになる。

 ホームズとワトソンよろしく、「十角館の殺人」で探偵コンビを組んだ島田と江南は、日本推理作家協会賞を受賞した「館」シリーズ第4弾「時計館の殺人」で再会を果たす。推理好きが高じた島田はミステリ作家となっており、大学を卒業した江南は出版社に勤め、またまたこのコンビは難事件に遭遇するはめになる。今回のHulu版「十角館の殺人」の評判次第では、「館」シリーズの映像化が検討されるに違いない。

 2023年にスマッシュヒットを記録した劇場アニメ『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、角川映画『犬神家の一族』(1976)をオマージュしていたことでも話題となった。市川崑監督が『犬神家の一族』や『悪魔の手毬唄』(1977)をヒットさせたことで、70年代後半は横溝正史のリバイバルブームが日本中を席巻した。「十角館の殺人」の初となる映像化は、新本格ミステリブームを再燃させる銃爪となるのか注目したい。

 執筆時は無名の学生にすぎなかった綾辻行人が仕掛けたトリックを、あなたは見破ることができるだろうか。

文 / 長野辰次

作品情報 Huluオリジナル「十角館の殺人」

十角形の奇妙な外観を持つ館“十角館”が存在する、角島。1986年“十角館”を建てた天才建築家・中村青司は、焼け落ちた本館・青屋敷で謎の死を遂げた。半年後、無人島と化していた角島に、K大学ミステリ研究会の男女7人が合宿で訪れる。その頃、海を隔てた本土では、かつてミス研メンバーだった江南孝明のもとに、死んだはずの中村青司から1通の手紙が届く。調査を進めるなか江南は、島田潔という男と出会い、行動を共にすることに。一方“十角館”では、ミス研の1人が何者かに殺害される。疑心暗鬼に陥り、互いに仲間を疑いはじめるメンバーたち。孤島である角島から出ることができるのは1週間後。2つの物語から起こる、想像を超えた衝撃の結末とは。

監督:内片輝

原作:綾辻行人『十角館の殺人』(講談社文庫)

出演:奥智哉、青木崇高、濱田マリ、望月歩、長濱ねる、今井悠貴、鈴木康介、小林大斗、米倉れいあ、瑠己也、菊池和澄、池田鉄洋、前川泰之、河井青葉、草刈民代、角田晃広、仲村トオル

©綾辻行人/講談社 ©NTV

2024年3月22日(金) Huluで独占配信

公式サイト jukkakukannosatsujin/