子どもに発達障害があると分かって落ち込んでいるママ友。あなたは、そんなママ友を励まそうと思ったとき、つい「こういう子って、凡人にはない秘めた才能があるよね」「神様は、育てられるママを選んで子どもを授けるんだと思うよ」と言いたくなってしまいませんか。しかし実際、言われた側はどう感じているのでしょうか。

「立石さんだから育てられるのよ」

 子育て本著者・講演家である私の息子は、知的障害のある自閉症児です。ある日、ママ友数人とランチをしていたとき、こんなことがありました。

 私が長年、教育関係の仕事に携わっていることを知っているママ友が、「やっぱり、子どもは親を選んで生まれてくるのね。立石さんだから育てられるのよ。立石さんを選んで、◯◯くんは生まれてきたのよ」と言いました。

 その日のランチには、栄養士の資格を持つママがいました。そのママの子どもは好き嫌いもなく、食欲旺盛でした。すると、さっきと同じママ友が「□□くんは料理上手のママを選んで生まれてきたのね」と言っていました。

 当時、障害のある息子を周囲の子と比べてしまう“比べる病”に侵され、心がひねくれていた私は心の中で、「もし、栄養士のママの子が超偏食だったら、『好き嫌いが多い子だから、料理上手なママのところに生まれてくるのね』とでも言うんだろうか」とまで思ってしまいました。

 言った人には、決して悪意はありません。むしろ「よかれと思って」励ましているのです。

 仮に、栄養士のママが、子どもの激しい偏食で悩んでいたところに「やっぱり、子どもは親を選んで生まれてくるのね。◯◯さんだから育てられるのよ。□□くんは親を選んで生まれてきたのよ」と言われていたらどうでしょうか。もしかしたら、私と同じように傷ついていたかもしれません。

 以前、療育施設で出会った障害児を育てる親御さんが、「大きな声では言えないけれど、今度産むんだったら、こんな子は嫌だよね」と私に言ってきたことがあります。当時、子育てに疲労困憊(こんぱい)していた私は「気持ち、分かるな…」と思いました。

 障害児の親は、子どもの行動改善に望みを託して“療育の鬼”と化し、「こんな子に産んでごめんね」と自分を責めていることもあります。

「神様は育てられる人を選んで子どもを授ける」「子どもは親を選んで生まれてくる」。これらの言葉を言われた側は、「きれいごとを言わないでよ! 子どもにも神様にも選ばれたくなんかなかったのに!」と、心の中で叫んでいるかもしれません。

「こういう子って才能あるよね。将来の職業に生かしてね」の言葉も、「こんな幼いうちから、将来の職業のことまで考えなくちゃいけないんだ」と、さらには「責任を持って育てなさい」と責められているように感じているかもしれません。

「この子の寿命よりも1日長く、私を生かしてください」

 この世に生まれてくるか、生まれてこないかは、子ども自身の選択ではありません。もし、子どもが選択しているのだとしたら、虐待する親の家庭に生まれる子も、親を選んでやってきたということになってしまいます。

 障害児を育てている親は言います。「神様、一つだけ願いをかなえてくださるのならば、この子の寿命よりも1日長く、私を生かしてください」と。“親亡き後の子どもの行く末”を案じ、「この子を残して逝けない」と思うからです。実際、順番としてはそういうわけにはいかないのですが、つい、そう思ってしまうのです。少なくとも、そんな気持ちでいる人に対して、「あなたを選んで生まれてきた」とは言わないでほしいのです。

 では、どんな言葉をかけたらよいのでしょうか。

「大変そうだね。私には、あなたの本当の苦労を分かることはできないけれど、何か私にできることがあったら言ってね」。そんなふうに接してもらえると救われます。

 私自身の経験ですが、買い物をするとき、ママ友が一瞬でも「今のうちに買ってきたら」と息子を見ていてくれたり、バスの中で席をすぐに立ってしまう息子を奥の席に座らせてくれたり、誕生日プレゼントに息子がハマっている国旗カードをくれたりしたことがあります。その気遣いが、心に染みました。

 安易な“励ましの言葉”を発する前に、少し考えてみてくださいね。