イスラエルはハマスの攻撃をなぜ察知できなかったのか。立命館大学国際関係学部教授で中東が専門の末近浩太氏は、中東において、当事者不在で「歴史的な和解ムード」が広がっていたことが一因かもしれないと分析する。

※本稿は、『Voice』(2024年1月号)より、内容を一部抜粋・編集したものです。


青天の霹靂だった奇襲攻撃

昨年(2023年)10月7日に発生したイスラム主義組織ハマスとイスラエルの武力衝突は、中東がいまだに不安定な地域であることだけではなく、世界に大きな亀裂と対立が存在する現実を私たちに突きつけた。

それは、両者の対立がかつてない規模で再燃したことにとどまらず、世界各国の間でいずれに理があるのか意見の不一致が表出したからだ。

戦端を開いたのは、ガザ地区を実効支配していたハマスによる奇襲攻撃だった。ハマスは、これまでもイスラエル領内へのロケット兵器による遠隔攻撃を実施してきた。

しかし、今回の奇襲攻撃では、これまでとは比較にならないほどの大量のロケット兵器を発射しただけではなく、少なくとも1500人もの戦闘員を陸海空からイスラエル領内へと侵入させ、多くのイスラエル国防軍兵士や一般市民を殺害・拉致した。

イスラエル側の死者は1400人以上と伝えられ、1948年のイスラエル建国以来最悪級の戦争被害となった。

なぜ、イスラエルはこのハマスの奇襲攻撃を察知できなかったのか。世界最高水準の諜報機関モサド(イスラエル諜報特務機関)の責任が厳しく問われた。周辺国との戦争を繰り返してきたイスラエルにとって、インテリジェンス(情報収集・分析)は国家の存続を左右するためだ。

同盟国米国のCIA(中央情報局)もハマスによる攻撃の可能性を察知していたが、差し迫った脅威としては捉えていなかったという。明らかに油断だった。

しかし、振り返ってみれば、また、自戒を込めて言えば、モサドやCIAだけではなく、世界の誰もが奇襲の日まで油断があったように思えてならない。米国バイデン政権のサリバン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は、9月末に「中東地域は、過去20年で最も安定している」と述べたばかりだった。

ガザやハマスの状況がどうなっているのか、未解決のままのパレスチナ問題はこれからどうなるのか。これらの重要な問題が、どこか忘却されつつあった。その背景には、世界の関心がロシアによるウクライナ侵攻に集まっていたこともあるだろう。

しかしそれ以上に、中東が安定に向かっているという過度な楽観があった。そうしたなかでのハマスによる奇襲攻撃は、まさに青天の霹靂だった。


当事者不在の和解

なぜ、私たちは読み誤ったのだろうか。その一因として、最近の中東で「歴史的な和解」のムードが広がっていたことが挙げられる。和解は、次の2つの局面で進んでいた。

第一の局面は、長年対立を続けてきたアラブ諸国とイスラエルとの国交正常化の動きだ。エジプト(1979年)、ヨルダン(1994年)に続き、2020年には米国の仲介でアラブ首長国連邦(UAE)、バハレーン、スーダン、モロッコの4カ国が立て続けにイスラエルとの国交正常化に踏み切った(アブラハム合意と呼ばれる)。

さらに最近では、イスラム二聖地の守護者を自任するサウジアラビアがイスラエルとの国交正常化交渉に乗り出していると伝えられていた。

第二の局面は、今年に入ってからサウジアラビアとイランの和解が達成されたことだ。両国は、中東における地域大国の座をめぐって数十年にわたる激しい対立を続けていたが、中国の仲介によって和解に転じた。

とくにイスラエルとの国交正常化を模索するサウジアラビアと対イスラエル強硬派を自任するイラン――ハマスの最大の支援国――との対立解消は、パレスチナ問題の平和的解決の糸口になるかのように語られた。

しかし、ここで重要なのは、これらの2つの局面の和解が本質的には中東諸国の政府間の取引にすぎなかった点だ。それらは、イスラエル国家の存続をこれまで以上に強く保証する半面、将来のパレスチナ国家建設の見通しを欠いていた。つまり、パレスチナ問題の解決を置き去りにするような当事者不在の和解にすぎなかった。