2023年10月7日、パレスチナのイスラム組織・ハマスがイスラエルに攻撃を仕掛けました。未だ終息の目途が立たない中、人権活動家のサム・スタインさんは、ユダヤ人でありながらパレスチナの支援を続けています。

命の危険があるにも関わらず、なぜサムさんは活動を続けるのか。そして、パレスチナ自治区として認められていながらも、ユダヤ人による入植が続いている「ヨルダン川西岸地区」はどのような状況なのか。サムさんが伝えます。(訳・編 小林実央)


私は、ユダヤ至上主義の家庭で育った

私は厳格なユダヤ教の家庭に育ちました。ユダヤ教は自分にとって宗教というだけでなく、政治的な信条でもありました。共和党を支持することは、安息日の習慣(金曜日の日没前に始まり翌日に終わる、礼拝を行う日)を続けることと同じくらい、かつての私にとっては重要なことだったのです。

高校時代にラビ(ユダヤ教の宗教的指導者のことを指す)から「バラク・オバマは本当はアメリカ人ではない」と教えられ、私は大学に入るまでオバマ氏をイスラム教徒だと信じ込んでいたほどです。※1

ラビである友人の中には、元イスラエル首相イツハク・ラビン氏(中東和平を推し進め、和平反対派のユダヤ人青年に銃撃されて死亡)が凶弾に倒れる前から、彼は暗殺されるべきだと発言していた者もいます。

私は生まれた時から、ユダヤ至上主義の、人種差別的かつ不寛容な教えのもとで育ちました。そのため、パレスチナ人の人権を声高に訴えるユダヤ人に初めて会ったときは気分を害しました。彼らの声は"ユダヤ教徒に対する攻撃"のように感じられたのです。

しかしそういった意見に何度も触れるにつれ、パレスチナ人の人権に向けられた関心は、ユダヤ教に対する拒絶ではなく、共感の現れであることに気づいたのです。

そして、私はアリク・アッシャーマン氏と出会いました。彼は自由主義のユダヤ教徒であり、人権活動家としても著名です。そして彼が主催するイスラエルの人権NGO「トーラート・ツェデク」に参加することになりました。

NGOのメンバーは、ティシュアー・ベ=アーブ(ユダヤ教の祭日の1つ。「ユダヤ教の歴史の中で最も悲しい日」と呼ばれ、断食を行う)の日に、さまざまなパレスチナ人に話を聞き、彼らの闘いを学び、共感しています。

※1. イスラエル首相ネタニヤフ氏と、アメリカ元大統領オバマ氏は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸で建設され続けるユダヤ人入植地の問題や、イラン核合意での意見の不一致により対立していた。オバマ政権がイスラエルと対立したこともあり、親イスラエル姿勢を維持する共和党を支持するユダヤ人も多かった。


ユダヤの入植者に故郷を追われるパレスチナ人

2023年7月26日、私たちは、あるパレスチナ系アメリカ人から話を聞く機会を得ました。彼は家族と共に、いとこが住んでいたトゥルムスアイエ(ヨルダン川西岸地区)へ引っ越してきましたが、その直後(2023年5月頃)にユダヤ人入植者が村を襲いました。彼の家は全焼させられ、数千ドルの損害が発生。複数人が負傷、1人が死亡しています。

それから私たちは、付近にあるラス・アル・ティン村の残骸を目にしました。この村の住人は、入植者による暴力が過激になったことで、より安全な地域に避難したといいます。また、近くのアイン・アル・サミャ村も同様で、最後の住人は七週祭りの頃(2023年5月25日)に避難しました。

ティシュアー・ベ=アーブだったこの日は、アリク氏とNGOのメンバーで断食を行い、一日中エイカ(ヘブライ聖書の中の1つ『哀歌』)を読んでいました。

ユダヤ教を信じることと、パレスチナ人の権利を尊重すること。両者が矛盾しないことは明らかです。私たちはパレスチナ人の声を聞く必要があります。私は、もっと早く耳を傾けていればよかったと思っています。


「もう一歩進めば終わりだ」武装した入植者に脅された日

2023年10月27日、アリク氏と私はヨルダン川西岸地区のテイベを訪れました。その村は入植者の暴力から逃れるため、避難の準備をしているところでした。周辺の村の住人たちは既に避難を終えた後でした。

このような事態は、ハマスが攻撃を開始した2023年10月7日に始まったわけではありません。それに、いま起きているイスラエルとハマスの衝突が終息したところでこの問題が解決することもないでしょう。

住民が家から避難している間に、十数人の武装した入植者が現れました。彼らはアリク氏を攻撃し、彼と私から携帯電話を取り上げました。入植者の一人は私に対し「もう一歩進めば終わりだ。お前らが何をしているか、もう十分見た」と言いました。

その後パレスチナの兵士たちがやって来ましたが、彼らは何のアクションも取りませんでした。携帯電話は戻ってこず、入植者が逮捕されることもなく終わりました。ただ、私たちは生き伸びられて幸運です。もし私たちがいなかったら、村のパレスチナ人に何が起こっていたか分かりません。

しかし、携帯電話を取られてしまった自分に腹が立ちます。自分を責めて、無意味な反省を繰り返すのは馬鹿げた行為だとわかっていても、です。

銃を突きつけて脅されたのは、この1週間で3度目です。自分の精神的な健康状態がどうなっているかは、本能的に気づいています。それでも、「私が死んでいないという事実は、"パレスチナ人を保護する者としての立場"が効果的な戦術であることの証明だ」という奇妙な慰めに私はしがみついています。