2023年の東京大学入学式祝辞で「夢に関わる、心震える仕事を」と述べたことが話題の馬渕俊介氏。現在は、グローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)でヘルスシステムのトップを務める。途上国での感染症対策にリーダーシップをとってきた馬渕氏が、ヘルシステムとは何か、また世界の「感染症対策」がどのように行われてきたかについて解説する。

聞き手:編集部(田口佳歩)

※本稿は、『Voice』(2024年5月号)より、内容を編集したものです。


「ヘルスシステム」とは

――馬渕さんが所属されているグローバルファンドは、SDGs目標の一つでもある世界三大感染症(エイズ・結核・マラリア)を終息させるために、資金を動員、活用する最大級のスケールの国際機関です。そのなかでも、馬渕さんは「ヘルスシステム」部門を率いていますが、具体的にはどのような活動をされているのでしょうか。

【馬渕】「ヘルスシステム」という名前だけだと、少しわかりにくいですよね(笑)。基本的なところからご説明すると、感染症対策を効果的に進めるためには、現在進行形で蔓延しているエリアに対して、まずは検査キットや治療薬、あるいはマラリアであれば予防のための蚊帳などを、タイムリーかつ安価に届ける必要があります。「サプライチェーン」と呼ばれるものです。

また、それぞれの村から選ばれて、病気に対する教育や予防活動を推進したり一部検査や治療を担ったりするコミュニティヘルスワーカーが効果的に働ける仕組みを作ることも、感染症対策には不可欠です。

さらに、新型コロナやHIV、薬剤耐性のある結核などを検知する検査機関「ラボラトリー」や、とくにどの地域で感染が蔓延しているのか、リアルタイムかつ詳細に把握するためのデータ収集のシステム「サーベイランス」も非常に重要です。

たとえば、HIVの場合には、男性同士の性交渉をする人たちやドラッグユーザーなどが、流行に大きな影響を受けている人口集団である「キーポピュレーション」と呼ばれており、そのようにリスクがとくに高い人たちのなかでどう病気が蔓延しているかを測り、対策を練っています。

いま紹介した「サプライチェーン」、人、「ラボラトリー」や「サーベイランス」などの基本的な機能がすべて整わなければ、感染症の対策は効果的に進みません。われわれは、これらすべてをまとめて「ヘルスシステム」と呼んでいます。

さらに言うと、グローバルファンドは設立されてからの22年間、HIVや結核、マラリアに特化して対策を講じてきました。

しかし、新型コロナが世界的に流行した際にはその範囲を超えて、各地にコロナの検査キットや防護服を供給し、また治療に不可欠な酸素を供給するプラントの設置を大規模に展開しました。その経験をふまえ、パンデミックを二度と起こさないための対策を担うことも、重要な役割に加えています。

――馬渕さんが統括する組織が、感染症対策において多岐にわたる活動を展開されていることがよくわかりました。とくに難しさを感じるのはどのような点ですか。

【馬渕】いま申し上げたように、「ヘルスシステム」は複数の機能が複雑に絡み合って構成されているため、どこから手を付ければよいのか、その効果をどう測るのかが非常にわかりにくいことが難しいところです。

そこでグローバルファンドとして取り組んでいるのが、「分ける」ことと「絞る」ことです。「分ける」とは、「ヘルスシステム」のコアになる機能、つまりはさきほど挙げた「サプライチェーン」や「ラボラトリー」「サーベイランス」などの機能に分けて、その構成要素をさらに分解しながらそのあるべき姿を考えることです。

この作業によって、どこを優先的に改善するべきかがわかるようになり、またその機能の改善度合いもある程度は数値化できるようになります。

一方の「絞る」ですが、資金や人的資源が限られているなかで、世界の百何十カ国すべてに対して、同じレベルの支援を行なうことは不可能です。ですから、まずはとくに課題が大きい十数カ国に絞って、集中的に資金と人的資源を提供しています。

さらにそのなかでも、われわれが「ヘルスシステム」のすべてを支援するのではなく、とくに役に立てそうな分野に絞ることで、その国や地域でどのような成果を収め、それをどうやって測るかを明確にしています。

このように、「分ける」と「絞る」を徹底することにより、戦略的かつ集中的に感染症対策および「ヘルスシステム」の構築を並行して行ないつつ、その成果をデータ化できる状況をつくりあげています。


三大感染症の現状

――「三大感染症」を中心に対策を講じているのも、まさに「絞る」発想からきているのでしょうか。

【馬渕】そのとおりです。現時点でHIVや結核については大きな成果が出ていますが、他方で課題も多く残っています。

まずHIVは、1990年代に爆発的に流行した感染症で、当時は世界で年間300万人以上が感染していました。死者数はピーク時の2000年代前半には200万人弱を数えています。それが、いまは年間の死者数が63万人と半分以下になりました。とはいえ、治療薬が感染者全員に行きわたっているわけではありません。

結核の死者数は世界で年間約130万人で(HIV陽性者を含む場合)、いまやHIVの数をしのぎます。それでも22年前、グローバルファンドが設立されたころは年間死者数が260万人でしたから、当時と比べて半減しています。

治療には定期的な治療薬の接種が必要ですが、交通アクセスが不便なところに住んでいたり、生活自体が困窮していたりする人たちにとってはハードルが高く、完治を前に治療をやめてしまう人も少なくありません。そのことが薬物耐性のついた結核の拡大につながってしまい、対策をさらに難しくしています。

マラリアの致死率は、ほかの二つよりは低いのですが、感染者数は圧倒的に多いのが現状です。世界で年間約2億5000万人が感染していて、死者数は年間約60万人。ちなみに、この数字の95%はアフリカです。気候変動も大きな懸念材料で、というのもマラリアを媒介するハマダラカの生息する地域がいま増えてきているのです。

以上のように、三大感染症はいまなお、世界にとって大きな脅威です。目標である2030年までの終息への道のりは、険しいと言えるでしょう。ただし、先ほども紹介したとおり、グローバルファンドができてからの22年間で、目に見える大きな成果が出ているのも事実であり、今後も持続的に対策を講じていきます。

(後編につづく)