日本のプロボクシング界にとって歴史的1日となった34年ぶりの東京ドーム大会。メインではスーパーバンタム級の4団体統一王者の井上尚弥(31、大橋)が元2階級制覇王者、ルイス・ネリ(29、メキシコ)に1ラウンドにまさかのダウンを喫したものの、ダウンを3度奪い返して6回にTKO勝利して4つの王座の防衛に成功した。モンスターにとってプロアマの公式席戦及びスパーリングを通じても初のダウンとされていたが、実は2度目だった。父で専属トレーナーの真吾氏(52)が明かした衝撃の新事実とは?

父でトレーナーの真吾氏がアドバイスを送る(写真・山口裕朗)

 ダウンを想定してのトレーニング「ぐるぐる竹刀」

 4万3000人の大観衆を総立ちにさせた。井上が逆転で“悪童”ネリをキャンバスに沈めた世界戦の衝撃と波紋は、試合から3日が経過しても止むことがない。ほぼワンサイドの試合をドラマチックにしたのは、弟の拓真が「心臓が止まるかと思った」と表現した、まさかの1ラウンドのダウンシーンである。
至近距離で左アッパーを放ち、続けて右フックを打とうとした瞬間にネリの左フックが飛んできた。まともに顎に食らった井上は体を反転させてダウンした。
「死角から入ってきて見えなかった。誤算があるとすれば、その角度の調整のミス。さほどダメージはなかった」
真吾トレーナーはなぜダウンシーンが起きたかをこう説明する。
「ああいうことが起きるのが怖かった。相打ちになると先に当たったもん勝ちなんですよ。あの距離で戦うことを避けたかったが、変に気合が入って圧をかけにいってしまっていた。出だしから勢いを止めようとしたのでしょう。でも左のパンチだったので体重が流れ、体に残るダメージはなかった。もし右の相打ちになっていたら危なかった」
だが、ダウンをした後の井上の行動が凄かった。すぐに立ち上がることはせず片膝をついたまま、カウント8まで待ちダメージを回復させたのである。
「8カウントまで膝をついて休む。そこの数秒が大事。日頃から考えるようにしていることが咄嗟にできた。ダウンしてすぐに立つと足のふらつきとかが出る」
井上は普段からダウンした場合を想定してイメトレをしてきたことを明かした。真吾トレーナーは「ここ最近はないが『万が一ダウンした場合は、急には立たないで』という話を何度かしたことがあるんです。アマチュア時代はダウンを想定した練習をしていた」という。
竹刀の柄を額にあて、先をキャンバスにつけて竹刀を中心にぐるぐる回り、平衡感覚を失わせ目が回った状態にしておいてからミット打ちを再開するという練習。運動会などでよくある「ぐるぐるバット」を応用してダウンを喫した状況を作りその場合の対応を練習していたのだ。
井上のダウンはプロアマを通じて初でスパーリングでも倒されたことはないとマスコミ各社に報道された。筆者もそう紹介した。だが、真吾トレーナーは「プロアマを通じて公式戦でのダウンはありません。でもスパーリングを含めると2回目なんですよ」と衝撃新事実を明かした。
遡ること15年前、井上が高校2年の春ごろのスパーリングで悶絶KOされたことがあるというのだ。
一体誰に?
その注目のモンスターを倒した相手は父の真吾トレーナーだった。

 当時は、神奈川県の秦野に真吾トレーナーが作っていた自前のジムで練習をしており、スパー相手がいなかったため、真吾トレーナーと弟の拓真の3人で順繰りに回しながらスパーをしていたという。
「ボディブローですよ。悶絶です(笑)。キャンバスに大の字になりました。当時はすでにスピードがあり、足を使われるととてもついていけなかったんですが動きが止まったところの一発です。まだ体もできていなかったし自分の方が体も大きかった。だから練習を含めるとネリのダウンは2度目なんです。本当はナオに一度もダウンのないまま引退してもらって『唯一倒したのは自分だよ』と自慢したかったんですけどね(笑)。わかりませんが、あの経験が今回生きたんじゃないですか。ふふふ」
あまりのダメージに翌日、血尿が出たほどだったという。
真吾トレーナーは、町田にあったプロジムで練習を積んでいて仕事の関係もあってプロテストは受けなかったが、その実力はプロレベルにあり、当時すでに高校のタイトルを総なめにしていた息子を相手にヘッドギアもつけずにスパーリングの相手をしていたという。
だが、高3になる頃には、井上のフィジカルができつつあり「パンチが当たらなくなった」。母親を通じてヘッドギアをつけて欲しいと伝えられ、井上が逆に手加減しているのを肌で感じるようになったためプロ入りと同時に“親子スパー”は行われなくなった。
ネリ戦の劇的TKO勝利の軌跡を遡っていくと、そういうモンスターのルーツに辿りつく。
その逆転劇の裏にはさらなる秘話があった。
ダウンを喫した後にまだ1分以上の時間が残っていた。
井上はクリンチ、顔面を覆い尽くすような鉄壁のガード、スウェーなどのテクニックを駆使して、その危険な時間帯を乗り切ろうとした。ちょうど、赤コーナー付近でロープを背にして防戦一方になった際に、すぐ下にいた真吾トレーナーは大声を出した。
「慌てるな。打ち終わり(を狙え)、打ち終わり!」
徐々に回復してきた井上がアッパーを打ち返すのでネリも深追いはできなかった。絶体絶命のピンチを切り抜けた井上は、インターバルでコーナーの椅子に座ると場内のビジョンに映し出されたダウンシーンのスロー映像を見て「どのパンチをもらい、どういうダウンだったのか」の確認作業をした。驚くほど冷静だった。
その1分間で真吾トレーナーは、こんなアドバイスを送っている。
「まずは一回リセットしよう。仕切り直そう。ジャブは当たっている。まずジャブから組み立てていこう。丁寧に丁寧にね。自分の距離を踏まえていこう」

 井上はその言葉通りにガードを上げ、上体を小刻みに動かしながらジャブから組み立て直した。2ラウンドにネリの最終兵器である左のオーバーハンドフックを外してそこにカウンターの左フックをお見舞いしてダウンを奪い返す。4ラウンドには、横を向いて右手で自分の顎をちょんちょんと触って挑発する仰天のパフォーマンス。ノーガードにして誘うことまでして、不敵な笑みさえ浮かべた。5ラウンドには、わざとロープを背にしてネリを誘い左フックで2度目のダウン。もうグロッキー寸前のネリを6ラウンドに左から右アッパー、右ストレートのコンビネーションで、試合を終わらせた。
真吾トレーナーは「身内から、あのノーガードは怖いという声もあったけれど、もう見切っていたので、遊び心を交えることができた。ギリギリの戦いではなく、差があったからこそ、あれができた。誘われるのではなく、こちらが主導権を握って誘う。サイド、サイドに動き、スピードで圧勝して右を当てる。1ラウンドを除けばパーフェクトですよ。ネリはナオに踊らされていた」と説明した。
一夜明け会見で井上はネリを「すべてが想定内。もっとパワーがあるのかなと思ったが。やりやすさ、やりにくさを踏まえても(ネリが過去の対戦相手の中で)一番手ごわいとは言えないのかなと。戦う前から隙が凄く多いなという印象がありその通りのイメージだった」と評した。
だが、真吾トレーナーの受け取り方は少し違っていた。
「想定以上でも想定以下でもなかったけれどネリは強かったですよ。来る勇気があった。ナオのパンチを怖がったボクシングじゃなかった。倒されてもやれることをやろうとしていた。最後まで逃げないでどこかでパンチを当ててやろうとしてきた。その気持ちが見えた。一番ではないが、ネリは強かった」
それは今まで対戦してきたボクサーにはなかった姿だったという。
過去の対戦相手の中で何番目に強かったですか?と聞くと、「結局、過去に戦った全員が何もできなかったわけじゃないですか」と返されて、それが愚問だったと気づいた。
大橋秀行会長は「ダウンがなければ弱いものいじめをしたと思われるほど、一方的な展開だった」と振り返ったが、ネリもダウンこそ奪ったが、何もできなかった。
ただ相手が弱いのではなく井上尚弥の強さが異次元なのだ。
「ナオもタクも1ラウンドでダウンして、こっちからしたらたまったもんじゃない。寿命が縮まりますよ(笑)。でもドームを埋めていただいたお客さんにとって最高の試合だったんじゃないですか?」
真吾トレーナーの問いかけに黙ってうなずいた。
34年ぶりにボクシング界に東京ドームの扉を開けたモンスターは“最強最高”のエンターテイナーだった。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)