〈八代亜紀さん死去〉盟友・山本譲二がSNSで発した「譲二君、ごめんね、ありがとう」の真意とは?
熊本地震の復興だけでなく、地元の児童養護施設もずっと支援
「先ほど、卒園した子たちからも泣きながら『八代亜紀さんが亡くなったって報道を見た……』と電話をもらいました。みんなこれまで八代亜紀さんにかわいがってもらってきましたから。私も、長年いるスタッフも涙が止まらないです……」
現在、2歳〜18歳まで約40名の子どもたちが生活しているという八代ナザレ園。八代亜紀さんは熊本県に来ることがあれば少しの時間でも同園に立ち寄り、子どもたちと触れ合っていた。富田美智子園長が八代さんとの思い出を語る。
「いつも4〜5人のスタッフと一緒に訪ねてくださったのですが、時間のないときに来てくださるときなんかはスタッフの方たちが『次の予定に間に合わなくなる』と慌てることもありました。
何らかの家庭の事情で親元を離れて暮らす子どもたちを元気づける思いもあったかもしれませんが、ご本人もとても楽しそうにしておられて、八代さんにとっても息抜きになっているようにも見えました。
八代さんはテレビで見せる優しい天然ぶりそのままで、いつも和やかな気持ちにさせてくれる方でした」
最後に同園を訪れたのは去年の4月のこと。施設の子どもや関係者と卓球でひとしきり遊ぶと次の予定地へ向かったという。
「このときもとてもお元気でした。『お上手ね』と子どもたちに声をかけたり、一緒に卓球を楽しんでいました。八代さんはいつもたくさんのクリスマスプレゼントを送ってくださって、施設の卓球台もそうです。最初は『子どもたちの人数が多いから2台送るわね』と言ってくださったのですが、私が『置く場所がありません』と言ったくらいで(笑)」
ある年のクリスマスには60〜70個の大きなケーキが届けられ、富田園長は「一気にケーキの注文が入りすぎてケーキ屋さんが困っちゃったんじゃないですか?」と八代さんに冗談まじりに言ったこともあったそうだ。
「いつも子どもたちのことを気にかけてくださって、あるとき突然、『寒くなってきたから子どもたちにジャンパーを送るわね。サイズと人数を教えてね』と八代さんからお電話をくださったことがありました。数日後、八代さんがわざわざ見に行って選んで買ってくださったジャンパーが園に届いたんです」
子どもたちからの手紙を「私の宝物」と大事にしていた
八代さんは同園だけでなく、熊本地震や2020年7月に熊本県を襲った豪雨の復興支援など、いつも郷土・熊本のために尽力し続けてきた。熊本県・蒲島知事も「悲しみの念に堪えません。復旧、復興に向けて歩む被災者を励ますなど、ふるさとを思う多くの活動をしていただいた」と哀悼の意を表した。
彼女のこうした行動の原動力はいったいどこから来ていたのか。富田園長が続ける。
「人柄なんだと思います。本当に優しい方なんだと思います。そして、それだけではなく八代さん自身も人とのつながりを大切にすると同時に楽しんでいる、そんな風に見えました」
去年9月、活動休止について自身のインスタグラムで「膠原病の治療に専念するため、2023年いっぱいはお仕事をお休みさせていただきます。少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね」と綴っていた。富田園長が最後に八代さんの様子を聞いたのは12月のことだった。
「クリスマスプレゼントのお礼もかねて、こちらからメロンを八代さんの事務所にお送りしようと思って連絡したときに事務所の方とお話しました。『八代さんは入院はしているけどベッドで寝たきりとかではなく、体を動かして病院内で歩いたりしていますよ。今まで走り続けてきましたから、ちょっとお休みしています』と聞いておりましたので、年が明けたら復帰するとばかり思っていました。
だからまだどこかで信じられないという思いがあります。園の子どもたちも八代さんの訃報にショックを受けていて……本当に優しい方でしたから」
生前、八代さんは園の子どもが送ってくれたクリスマスプレゼントのお礼状を『私の宝物』と言って大事にしていたそうだ。同園には創立100周年記念をお祝いして八代さんが描いたという“マリア様”の絵が今も飾られているという。
聖母のような慈愛に満ちた彼女の生き方は、歌とともに多くの人の心を癒したに違いない。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班