2023年、阪神タイガース「38年ぶりの日本一」の背景には、長きにわたる経営陣のぬるま湯体質が、2022年から劇的に変化を遂げたこともその要因のひとつにあげられる。1955年シーズンにわずか33試合で“解任”された第8代監督・岸一郎を通じて「なぜタイガースが優勝できないのか」を綴った『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』より一部を抜粋、再編集してお届けする。

選手の王様体質、派閥、タニマチ…阪神タイガースの特殊事情


2023年。阪神タイガースは日本一になった。

終わってみれば2位の広島に11.5ゲーム差をつける圧勝。新聞テレビ雑誌あらゆるメディアは黄色に染まり、そのなかで監督の岡田は連日のように「名将」と大絶賛された。

岡田とは孫ほどに年の違う選手の起用論、育成論が分析され、岡田の口癖であり「優勝」の隠語を意味する「アレ」は「A.R.E.」というチームスローガンになり、年末恒例の新語・流行語大賞にもなった。経済効果は969億円。改めてタイガースの持つ圧倒的な力を見せつけられた。

書籍『虎の血』では、1955年シーズンにわずか33試合で“解任”された、阪神タイガース第8代監督・岸一郎を通じて「なぜタイガースが優勝できないのか」という議題を取材してきた。オーナーと本社、球団の力関係。


阪神タイガースの歴史上、「最大のミステリー」ともいわれる第8代監督・岸一郎(写真/産経新聞社)


監督と選手王様体質、派閥と報道合戦、タニマチと金……この本に書ききれなかった岸時代以降の歴史と裏舞台も含め、タイガースという唯一無二の特殊球団ぶりに圧倒された。

そして、この原稿をまとめ終わった年に優勝を果たしたこと。なんという運命的なエンディングであろうか。筆者にとってはゴールヘ辿り着いたご褒美のようであり「タイガースで優勝することのなんと難しいことか」と簡単に結ばせてはもらえない、最後の問題である。

阪神タイガース、38年ぶりの日本一。2005年ぶりとなる岡田監督2回目の優勝はタイガースの歴史上、藤本定義ぶり。関西ダービーも59年ぶり……となるこの優勝。前年と比べてたいした補強もないのに、どうしてタイガースは日本一になることができたのか。

「ワシらの優勝の時も21年ぶりや。ぶり、ぶり、ぶり、言うて、富山の寒ブリかっちゅうねん。まぁでもこれが毎年優勝するようなチームだったら、こんな大騒ぎはせんよな」

11月。東京で日本海の海鮮丼を食べながら、川藤幸三が放笑した。

おそらく、毎年のようにタイガースが優勝していたら道頓堀には誰も飛び込まない。優勝までの期間が空けば空くほど、亡念が強ければ強いほど、到達した時の瞬間的な喜びは凄まじい爆発力を生む。

そういう意味ではファンをこれほど喜ばせることができる優勝の間隔も“虎の血”の原則に適ったタイガースの罪深き魅力なのかもしれない。

「しかし、岡田岡田と、どいつもこいつもオカひとりが優勝させたみたいに言うけどな。ローマも優勝も一日にしてならずや。今年のオカの功績は当然大きい。でも、ワシはその前に監督だった矢野や金本や和田や、その前の時代があってだと思っている。

負けても積み重なるものがあるんや。過去の代々の監督たちも、優勝しよう、優勝しようとして、何かが足りなくて負けた。勝つには勝つ要素があり、負けるには負けるだけの要素がある。それが年輪のひとつになって、結果が実ったのが今年になっただけのこと。

監督の力がすべてじゃない。まずは何が必要かって、戦力がなければ勝てん。名将・知将いうたかて、あの野村克也さんが来て阪神は勝ったか? 戦力、監督コーチ、そしてフロントとかな、みんながひとつになっているかどうかやんか。それがやっと、ひとつの方向を向けたっちゅうことやな」


阪神が“阪急になって”初めての優勝


「この日本一がなんやといわれたら、『阪急になって初めての優勝である』と答えるわな」

スポーツニッポン大阪版で07年より人気コラム『内田雅也の追球』を綴る内田雅也は、鳴尾浜近くの喫茶店でブラックコーヒーを啜りながら最後の講義を始めた。

阪急。関西鉄道会社のライバルにして、球団設立当初は「巨人よりも阪急に負けるな」とタイガースが敵愾心を燃やした、かつての名門球団の親会社である。

前回優勝の翌年、2006年に村上ファンドの経営権取得問題から阪神と経営統合しており、阪急阪神ホールディングスが誕生した。とはいっても、「球団の経営は阪神電鉄が行う」との内部文書があると囁かれているように、これまで阪急は経営に口出しせず、旧来通りの経営陣がタイガースを運営。

それは社風が守られた半面、タイガース経営陣のぬるま湯体質がそのまま継続されたことでもある。これが、誰の目にも変化が明らかになったのが2022年のことだった。

「やっぱり勝てなかったからやろな。最近では徐々に阪急の影響力も強まってきていた。2022年の1月に矢野監督の急遽の今季限りを受けて、球団は次期監督を平田勝男で一本化した。

ところが5月に阪急電鉄の角和夫会長が岡田さんとゴルフにいった際、肩をポンと叩いて『秋になったらな』と言った。その後、球団の平田監督案は取り下げられ、岡田さんが監督になることが決定。つまり、これまでの『タイガースの監督は阪神電鉄が決める──』という図式が壊れたんや」

岡田彰布は22年10月にタイガースの監督に就任。続いて12月には阪神タイガースの11代オーナーに、杉山健博が就任。阪急出身者として初めてタイガースのオーナーとなった。


”阪神が阪急になって”初めての監督ともいわれる岡田彰布氏(写真/共同通信社)


「経営統合して以来、角和夫会長ほか阪急幹部は表向きは監督人事に口出ししてこなかった。杉山さんがオーナーになっても、経営権は実質阪神電鉄のままなのは変わらず。

だけどな。杉山さんが組織にひとり入ったことで、これまでのタイガースに蔓延り、何度となく繰り返されてきた足の引っ張り合いのような悪しき体質が鳴りを潜めたんや」

企業経営によく使われる「ナマズ効果」というものがある。イワシという弱い魚は生簀に入れたまま輸送すると、その多くが力尽きるか、弱ってしまう。しかし、同じ生簀にナマズを一匹入れておくと、イワシは“食べられる”という緊張感から泳ぎ続け、元気で活きのいいまま運べるのだとか。

まさに2023年の阪神に当てはまるのかもしれないが、「虎の中に岸一郎という異物を放り込んだ」野田誠三のミスマッチな失敗例も忘れてはならない。


「岡田監督・平田ヘッド」は今までは考えられない人事


現場では岡田が新監督の対抗馬だった平田勝男をヘッドコーチに入閣させた。今までであれば考えられない人事であるが、平田は権力への欲も見せず腹心としてよく岡田を支えた。

「最近読んだ本に“明るく権力欲のないナンバー2がいる組織は崩れない”と書いてあったんやけど、まさに平田ヘッドのことや。彼だからこそ、岡田さんを理解し、通訳しながら、みなをまとめることができた。そういったことも含め、風は変わりつつある。

タイガースに伝統的に蔓延っていた悪しき体質が変わるかもしれん。まぁ、それは翌年以降、どうなるかやな。これまでも優勝した年は『連覇や』『黄金時代の到来や』とさんざんっぱら騒いどったけど、一度としてそうなった試しがない。どうなるか、楽しみやね」

よい歴史も悪い歴史も内包して時代は繋がっていく。タイガースでは数年前から球団に所属したフロントや監督経験者、選手たちの証言を集めるアーカイブのプロジェクトをスタートさせており、内田はそのアドバイザーとして協力しているという。



さて、この岸一郎とタイガースの物語も、そろそろ仕舞いが見えてきた。

ある日のこと。川藤幸三のYouTube「川藤部屋」を見ていると、甲子園歴史館に展示された歴代監督のパネルの前で、川藤と藤川球児が対談を行っていた。

これは藤川が「尊敬する村山実さんのことを知りたいので、せっかくなら村山さんの前で撮影をしたい」と、申し出たものだとか。川藤がうれしそうに目を細める。

「あの撮影の時に、球児が歴史館を観ながら言うたんや。『カワさん、これは今のウチの連中に見せるほうが先ですよ。これは知らなければならない』とな。

ワシが藤村富美男さんに言われたような、先人が作り上げてきたタイガースの本当の歴史というものを、今ワシが球児に伝えとるとな、あいつは感じ取ってくれている。『カワさんのあとはぼくに任せてください。ぼくは必ずタイガースの歴史をこの先の人たちに繋いでいきます』言うてな」

歴史とは受け継ぐ人が、何を感じ取れるかだ。先人たちがそこで懸命に生きた証を今の自分たちがどう受け取れるか。球史に残る大スターの豪快な生き様もあれば、名も知らぬ人たちにも壮絶な人生が転がっている。大切なのは知ろうとすること。そうすれば、いつだって虎の血の物語に会いに行ける。

「この人はなんですか……?」

藤川球児が、岸一郎のパネルに興味を示した。

「ええか、球児。この人はな……」


文/村瀬秀信


【3月18日(月)開催】
『虎の血』×『知将・岡田彰布』刊行記念
村瀬秀信さん×内田雅也さん トーク&サイン



24年3月18日(月)18:30〜(18:00開場)
大阪工業大学梅田キャンパスOIT梅田タワー2F セミナー室 202号室
※イベント受付は梅田本店で行います。
詳細はhttps://store.kinokuniya.co.jp/event/1707192766/


虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督

2024年2月5日

1,980円

四六判/320ページ

ISBN: 978-4-08-790149-8
2023年に18年ぶりの優勝を果たし、沸き立つ阪神タイガース。
そのタイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。

第8代監督・岸一郎。

1955 (昭和30) 年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎたおじいさんが、突然、タイガースの一軍監督に大抜擢されてしまったのだ。

「なんでやねん?」 「じいさん、あんた誰やねん?」
困惑するファンを尻目に、ニコニコ顔で就任会見に臨んだ岸一郎。
一説には、「私をタイガースの監督に使ってみませんか」と、手紙で独自のチーム改革案をオーナーに売り込んだともいわれる。

そんな老人監督を待ち構えていたのは、迷走しがちなフロント陣と、ミスタータイガース・藤村富美男に代表される歴戦の猛虎たち。メンツを潰された球団のレジェンド、前監督の松木謙治郎も怒りを隠さない。

不穏な空気がチームに充満するなかで始まったペナントレース。
素人のふるう采配と身勝手に振る舞う選手たちは互いに相容れず、開幕後、あっという間にタイガースは大混乱に陥っていく……。

ファンでも知る人は少なく、球史でも触れられることのないこの出来事が単なる“昭和の珍事”では終わらず、タイガースの悪しき伝統である“お家騒動体質”が始まったきっかけとされるのは、なぜなのか? そもそも岸一郎とは何者で、どこから現れ、どこへ消えていったのか?

満洲─大阪─敦賀。ゆかりの地に残された、わずかな痕跡。吉田義男、小山正明、広岡達朗ら当時を知る野球人たちの貴重な証言。
没年すら不詳という老人監督のルーツを辿り、行方を追うことで、日本野球の近代史と愛憎渦巻く阪神タイガースの特異な本質に迫る!