漫画「はだしのゲン」を題材とした講談を37年間、語り続けてきたことでも知られる講談師の神田香織さんは、「統合失調症の娘を持つ母」としての顔も持っている。19歳で病を発症した娘に寄り添い、妄想や幻覚などの症状のケアを続けてきた経験を初めて告白する。

「飛んでごらん」との幻聴が聞こえて…


神田香織。福島県いわき市出身。1981年、二代目神田山陽に入門。1989年に真打昇進。1986年、講談「はだしのゲン」公演で日本雑学大賞を受賞するなど、社会派講談の第一人者として知られる


私には19歳の時に統合失調症を発症した娘がいます。二番目の娘で幼い頃から「ミーちゃん」と呼んでいました。

そのミーが30歳になった年のこと。日本がコロナ禍にあった2020年8月15日に当時暮らしていた江東区のグループホームの3階自室から落下し、全治6ヶ月の大けがを負ったのです。

そのときの彼女の記憶によると、窓から洗濯物を取り込もうとしたとき「何度も『飛んでごらん』という声が聞こえ誘われるように身を乗り出した」そうです。

窓枠の手すりをまたいで落下する瞬間に、「あっ!これはいけない」と気が付いて、頭を両手で抱えたことでかろうじて急所の直撃は避けられたのですが、地面にたたきつけられて複数箇所を複雑骨折。そして排泄障害を負うことになりました。

警察から一報を受けたときのショックは今でも忘れられません。つい数時間前に昼食をともにしたばかりでしたから尚更です。この日はお盆休みで、グループホームのアパートにはスタッフも利用者も、他に誰もいませんでした。

大急ぎで病院に駆け付けたのが19時すぎ。このときは手術の真っ最中でロビーで待機しました。朝5時頃にやっと終わって、執刀医からは数回手術を重ねる必要があると聞かされ、呆然としながら帰宅しました。

娘の顔をひと目、見たかったのですが、ときはまさに新型コロナウイルスの感染拡大を抑える時期で、母親といえど面会が許されない状況でした。9月初旬、一般病室に移った際「ひと目でも会いたい」と伝えたのですが、断られてしまいました。

それからは毎回ナースステーションに日用品を届けては帰るだけ。9月の連休のときも後ろ髪を引かれる思いで帰ろうとしたところ、若い看護師さんが「面会はできませんが、廊下から顔を見ることはできますよ」と配慮してくれました。

カニューレを入れているので声は出せないものの、娘はニコニコしながら手を振ってくれました。途端に涙が溢れて「生きていてくれてありがとうね」と自然に言葉が出ました。このときは本当に看護師さんが白衣の天使に見えたものです。

コロナ禍で仕事はほとんどキャンセルとなり、この頃は病院通いが仕事のようでした。骨折の治療のために4回の手術に耐えた娘は10月半ばにリハビリ病院に転院。さらに3ヶ月のリハビリを終え2021年1月17日に退院。その後、統合失調症に理解があり、20代の頃から娘を見守ってくれていた男性と結婚しました。

私にとってこんな慶事はなく、ミーのすべてを受け入れて愛してくれた方に心から感謝し二人を祝福しました。娘夫婦は千葉に住み、月1、2回の精神科での診察は私が引き受け、入退院を繰り返しながらもふたり仲よく暮らしていました。ただ娘は幻聴が激しく、調子が悪いときは大声を出し、どこからか聞こえてくる声と闘っていて、心配は常にありました。


電車に接触し、両脚切断の大けが


そして2023年。私は中沢啓治さんの漫画『はだしのゲン』の講談を37年に渡って語り続けてきたのですが、この原作漫画が広島の平和教育の教材から外されるというニュースを耳にし、私も声をあげました。

8月13日には弟子の神田伊織との「戦争新作講談」親子会を催し、私は孤児院で育った西村滋さんの『お菓子放浪記』のネタおろしをしました。終戦の8月に平和をテーマとした会を催すことができ、ホッとして眠りについたその翌日のことでした。

午前11時20分、携帯電話が鳴りました。局番は千葉です。胸さわぎを抑えて出てみると船橋警察署からでした。ミーが電車と接触、大けがを負い、船橋の救急病院に搬送されたとのこと。

電車と接触したら……と考えたら気が遠くなり、「命は? 生きていますか?」と聞くのが精一杯でした。それから10分ぐらいは腰が抜けたようになり動けませんでしたが、とにかく病院へ、と電車を乗り継ぎ船橋へ。


写真はイメージです


ミーの夫もほどなく駆け付け、それから4時間、手術が終わるのを待ちました。ICUのベッドに横たわるミー。顔はきれいで手にかすり傷がある程度、しかし、右足は太ももの半分から、左足はひざ下から、三年前に続く二度目の大事故でミーは両脚切断という重傷を負ってしまったのです。

リハビリが終わり、ようやく歩けるようになったのに……。張り裂けそうな気持ちとはこのことでした。原因もこのときは何もわかりませんでした。今後どうなるのだろう、ミーの夫と二人、ただ呆然とするばかりでした。

それでも仕事は待ってくれません。8月27日には好評を博した親子会の追加講演も入っていました。芸人が板の上に乗るときは、プロとして何があろうとお客さまに自分の感情を見せてはなりません。

病院に通いながら稽古を続けました。夢中になって稽古に打ち込んでいると、このときだけは他に何も考えませんでした。ミーの列車事故はプライベートなことなので、自分の胸にだけしまっておこうと強く心に決めました。

3年前の転落の際は廊下から娘の顔を見せてくれた看護師さんの親切がうれしくて、ある季刊誌に「不幸中の幸い」というエッセーを書いたのですが、今回はそれ以上に大きなけがでした。

もう人様に語ってもご心配をかけるだけです。これ以上、自分のことでお気遣いいただくのは申し訳ないという気持ちでした。


悲しむことは生きること


そんな中、11月に一冊の本が送られてきました。いわき市出身の私は文化を通じて福島に寄り添うことを目的としたNPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を立ち上げて活動してきたのですが、そのNPOの講師であり、娘についても時おり相談に乗ってもらっていた精神科医の、蟻塚亮二先生のご著書でした。

本のタイトルは『悲しむことは生きること』。この本の「はじめに」を読んだときに私は大きな感銘を覚えて考えを変えました。以下に記します。

「悲しむことは悲しみを一緒に悲しんでくれる人がいて可能になる。心が凍りついている時に、人は悲しんだり泣いたりすることができない。だから悲しむことの前提には人間に対する信頼感がある。それは見えなかった未来が見えることである。だから、『悲しむことは生きること』なのだ」


「悲しむことは生きること」(風媒社・2023年)


ハッとしました。今、ガザでは1万人もの子どもや、赤ちゃんまでも見殺しにされています。手足を失った人も大勢いて、私にはとても他人事には思えません。そうです。私たちは世界中でその悲しみを共有し、怒っています。

確かに悲しむことは人間への信頼感が前提にあるからできるのです。悲しむことが生きることならば、精一杯その生をつとめようと思いました。

事故から約3ヶ月間、夢中になって仕事に打ち込むことで、叫びたくなるような気持ちを抑えていた私は、その本に背中を押され、思い切って次女の大けがのことをフェイスブックの友人たちに報告したのでした。

書き出しはこうしました。

「お友達の皆さん、突然ですが次女(33歳)の報告をさせてください。3年前のお盆、3階からの落下事故で複数箇所骨折、排泄障害が残りながらもリハビリを経て歩けるようになった次女ミーのことです」

そして列車事故に遭ったことを伝えました。

「お友達の皆さん、ミーの悲しみを一緒に悲しんでもらえますか。そしていいね、や励ましの言葉をいただけたら、それが彼女の『心の支え』となってくれると思うのです。3年前、皆様からのメッセージを読む私の声を嬉しそうに聞いていたのと同じように。退院したら車椅子の生活を始めるミーに『見えなかった未来が見えてくる』といいな、と思っています」


驚くほどたくさんの激励のメッセージ


SNSに投稿した結果、驚くほどたくさんの激励のメッセージをいただきました。許可を得て一部を公開いたします。

@神さまはそのひとが受け止めて乗り越えられることを起こします。私は癌サバイバーです。私の娘も小さな時3度の大きなオペを乗り越えました。生き延びたから、起きた当事者だから、大きな大切なことに気づかされたり、目覚めさせられたり、いっきに成長させられたりして、そして生きているからここに至ったんだと、思わされます。人生はその連続かもしれません。どうか、ミーが1年後、3年後、その後となった時、心から笑って、すごいことを乗り越えちゃったね、と家族と言えますように。
人生は悲しみや苦しみからしか学べないというものではなく、喜びやわかちあいや幸せから沢山のものが学べます。どうぞ、お大事にしてくださいね。

@生きることは悲しむことなんです。たくさん悲しんだその先に他者に心尽くした分の悦びが訪れてくれるんです。頑張って、ミー


@お嬢さんへの心配を一人胸にしまい込んで『はだしのゲン』公演をはじめとして、人々を勇気づけ、奮い立たせる社会活動を大切にしてこられた香織さん。さぞ、御自身は、他人には計り知れない深い苦悩に苛まれていらっしゃったのでしょう。今回事故を公表されたことは良かったと思います。心の中で渦巻くどうしようもないような苦悩も事実を口に出すことでやわらぎ、いまは少しでも気を休めていただければと願うばかりです。



私は励ましのコメントをくださった方々にお礼の文章をしたため、ミーに向けてメッセージを送りました。

「ミーちゃん、お母さんは蟻塚亮二先生の本『悲しむことは生きること』を読んで、事故のことをFBに書きました。大勢の皆さんからミーちゃんに寄り添い応援したいとコメントをもらいました、その一部をコピーしました。それから激励の手紙も。読んでね」

娘の事故と病気のことを公開すると、数名の方からメッセンジャーで身内に統合失調症の方がいて今後情報交換をしたいと連絡をいただきました。

その方々とは個別に情報交換するつもりですが、私は専門家ではないのであくまで私の体験をお伝えすることになろうかと思います。

一方で私や娘の体験が統合失調症のご家族を持つ皆さんのお目に触れ、少しでもお役に立てればと思っています。機会があれば、悲しみを共有するために寄稿を続けていこうと考えています。

文/神田香織