国指定無形民俗文化財で1000年以上にわたり、岩手県奥州市の黒石寺で開かれてきた「蘇民祭」が2024年2月17日の開催を最後にその歴史に幕を閉じる。全国から訪れる多くの観客を魅了してきた蘇民祭はなぜ今終わりを迎えるのか、黒石寺の藤波大吾住職に聞いてみた。

最盛期には4000人も訪れた日本の奇祭「蘇民祭」


1000年以上の歴史があるといわれる岩手県奥州市の黒石寺の伝統行事「蘇民祭」。ふんどし姿の男たちが、護符の入った麻袋「蘇民袋」を奪い合う光景が有名で、旧暦の正月に合わせ、夜通し行なわれる裸祭りだ。

最盛期には参加者と見学者合わせて4000人近くが寺を訪れていた日本の奇祭が、今年の2月17日開催を最後に今後、執り行わないと発表された。


今年で最後となる「黒石寺蘇民祭」のポスター

黒石寺の藤波大吾住職は、祭の中心を担っている関係者の高齢化と将来的な担い手不足を考慮した結果だという。

「数年前から徹夜で蘇民祭の進行をすることの労力が相当大変だったので、2023年のお祭りの打ち合わせ時期に、『やめる』という選択肢を私からご提案しました。それが、2024年を最後にお祭りの開催をやめる決定のきっかけでした。

蘇民祭を実行するためには祭りの内側部分での作業など、儀式がお祭りの核になっているところがあります。その部分はお寺の人間と檀家さん、黒石地域に住む方が中心となってやっているんです。

その役割は地域や家ごとに代々決まっていますが、その方たちが高齢化してきた中で、突然何かあったにとき対応できなくなってしまう可能性があり、そうしたご迷惑をおかけすることになるリスクを考えて、今回で最後とさせていただきました」(藤波大吾住職、以下同)


2008年に行われた蘇民祭で「蘇民袋」を奪い合う様子

しかし、愛好家も多いこの祭りを自身の代でやめる選択を下した藤波住職も「相当な葛藤はありました」と話す。

「自分が住職を務める代で終わらせることに相当な葛藤はありました。しかし、それは単に自分自身の責任だけを考えたにすぎないんです。本当に大事なところは、お寺として残していく信仰(蘇民祭は蘇民信仰、薬師信仰、山岳信仰の祭事)とはなんなのかという話だと思います。

祭りの準備をする方には、人によって替えのきかない役割がある。それが高齢化などで全員に無理が生じているなか、無理やり続けて、突然信仰が途絶えたとしたら…それこそよくない。

さらにたとえ無理をしてお祭りの形にこだわり、「続いているから」だけの気持ちでは信仰とは呼べなくなる。そういった観点も含めて、今回、争奪戦などのお祭りという形は最後にしようと決意したのです」


「お寺として信仰を大切にしていくために、ご理解いただきたい」


蘇民祭が今年で最後の開催というニュースが飛び交ったあと、「ボランティアとして手伝うから継続してほしい」との声が全国から相次いだ。

しかし、それでも藤波住職の決断は変わらないという。


JR東日本が「不快感を与えかねない」として掲示を断った2008年の蘇民祭のポスターに映っていた男性。当時、話題となり、取材に答えている

「最後だと発表してから、本当にたくさんの方から『手伝います』との声をいただいていて、具体的に「私たちがここをやりますから」という声もある。

ただ先ほども申し上げたように、祭事には替えがきかない役割があります。外の人は入れない部分が大きいんです。お寺として、信仰を大切にしていくためにそこは守りたい。

本当にありがたいお声をたくさんいただき、ありがとうございます。今回でお祭りとしてみなさんに参加していただく部分は終わりにはなりますが、蘇民祭としての信仰の形はそれぞれあるので、ぜひ来年以降にもお寺に来ていただければ本当にありがたいです」

祭りとしての形はなくなるが、黒石寺は旧正月の護摩祈祷などは今後も継続していくとしている。

最後の黒石寺蘇民祭は2月17日(土)に開催、午後6〜11時の短縮開催で、裸参りやコロナで中止をせざるをえなかった蘇民袋争奪戦も4年ぶりに行う。最後の蘇民祭を集英社オンラインでも2月18日にレポート予定だ。


火のついたまきに上がる柴燈木登(ひたきのぼり)も今年はなし。写真は2008年の様子

取材・文/集英社オンライン 撮影/村上庄吾